升本重昭さまの御霊前へ
ありがとうございます。
1月11日、升本重昭さまの帰寂の報に接し、その御霊前に一言お別れの言葉を述べさせていただきたく書かせていただきました。
升本さんとお会いしたのはもう十年近く前のことだったでしょうか。ご家族で長松寺にお参りくださり、本当にいろいろなことがありました。筆舌に尽くしがたい、本当にいろいろなこと。重昭さん本人もそうですが、好美ちゃん、朱美ちゃん、順子奥さま。長松寺に御参詣いただくほんのわずかな時間でしたが、ご家族みんなと交流させていただいてきた十数年でした。
そう、まだ警察官だった頃のこと。退職される前のこと、退職された後のこと。組長のお役をいただかれるという時のこと、事務局長を拝命された時のこと。事あるごとに、いろいろなことをお話しくださいました。
そして、病気のこと。重昭さんが膵臓がんの末期と聞き、愕然としました。4年近く前のことだったでしょうか。以来、遠く横浜、京都で、昨日の朝まで、升本さんの当病平癒、ご奉公成就を祈願させていただいて参りました。
決して忘れられないのは、末期がんと判明してから、決意してネパールに来てくださったことです。「ネパールで死んでも構わへん」「ヒマラヤを見てから死にますわ」という決意を聞いた時、本当にその想いを受け止めていいものか悩みました。しかし、升本さんは小原旭くんがネパールで亡くなったことも、いろいろなことを思ってくださって、あの時、決死の覚悟でネパールまで来てくださったのだと思います。さすが「男・升本」です。
そして、素晴らしいご奉公をしてくださいました。抗がん剤で髪の毛が抜け落ちている、やはり痛々しい姿でしたが、そんなことを周囲に気遣わせることもなく、ヒマラヤ山脈を背景にして、満面の笑みでご奉公くださったのです。本当に忘れ難いご奉公の思い出です。
僕は、そんな升本さんが大好きで、本当に感謝していました。本当に、不思議な絆を感じていました。
あのネパールから、もう3年3ヵ月が経ちます。
帰国後、見事な現証の御利益を顕され、当病平癒、増益寿命、ギリギリまでご奉公させていただこうとする姿を見せてくださいました。ご自身の体調を思って、お受けしていたお役目に悩んでおられたことも聞きましたが、それでもギリギリまでご奉公なさったと思っています。
コレイア師やディリーパ師など、海外のお教務さんにとっても升本さんは特別な存在だったと思います。この十数年のお参詣とご奉公、何よりネパール団参で、まさに世界の佛立家族となっておられました。ディリーパ良潤も、升本さんのお見舞いに行かせていただけたことを心から喜んでいました。
僕の携帯電話には升本さんの写真がたくさんあります。長松寺のご宝前でもたくさん家族写真を撮りましたし、ヒマラヤをバックにした升本さんの勇姿は永久保存版です。
人間は必ず死を迎えます。だからこそ、長さではなく、中身が大事であると開導聖人はお示しです。升本さんの今生人界の思い出は、たくさんのご弘通ご奉公に彩られています。大変に尊く、有難いことだと思います。
闘病がどれだけ大変だったか分かりません。升本さん、すごいです。長い期間、本当に頑張りました。そして、献身的に看病を続けられたご家族の皆さまにも、言葉には出来ない、大変な日々があったことと存じます。本当に心から感謝申し上げます。
ここに、一期を定め終えた升本重昭さんを称えさせていただきます。そして、ヒマラヤを背景に、誇らしげな、満面の笑みをたたえた升本さんの顔を心に刻みます。
今生で積んだ功徳は火にも焼かれず水に流されることもありません。たくさんのご奉公の思い出を抱えて、寂光へお帰りいただきたいと思います。そして、生々世々のご奉公ですから、生まれ変わり死に変わり、再びこの娑婆で巡り合い、ご弘通ご奉公をご一緒したく願っています。
遠く、横浜の地から御回向させていただきます。
南無妙法蓮華経
ありがとうございます。
長松清潤拝、
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