2024年12月31日火曜日

今年もお世話になりました。ありがとうございました。




















あっという間に大晦日となりました。一年間のご厚誼に心から感謝申し上げ、来る年もどうかよろしくご教導、ご奉公、ご支援のほど、伏してお願い申し上げます。


振り返れば本年も今生人界の記念すべき一年でした。妙深寺の本堂再生工事の完了、ネパールではカトマンズ親会場の発足、米国やブラジルへの長期出張もありました。這いつくばっていても、前進できれば喜びです。問題の中にこそ真のご奉公があります。当たり前は何一つない。今年もかけがえないです。ありがとうございました。


時間は片時も止まらず、容赦なく流れてゆきます。だからこそ、握りしめたくなるほど愛しいものです。


12月24日、陸前高田の佐々木松男さんが亡くなられました。行年74歳で旅立たれたとのことでした。お名前が示すとおり高田松原の松を見守る活動をされていた陸前高田を象徴するかのようなお人でした。


妙深寺が横浜国立大ホールを借りて開催した東日本大震災復興支援大会ではスピーチをしてくださり、津波によって奥様を亡くされたことを含め、大切なメッセージを伝えてくださいました。決して忘れることは出来ません。大恩があります。


実は、12月13日に松男さんのご長男である高志さんの奥様からご連絡をいただきました。本当に久しぶりのことでした。タイムスリップしたかのように佐々木さんの思い出を振り返っていた最中、訃報が届きました。やはりこれも妙不可思議なサインなのだと思いました。


感謝してもし切れない。この10年、20年、いろいろなご奉公がありました。そこで多くの方々とお会いしました。本当に素晴らしい方々ばかりで、感謝しかありません。


パシフィコ・ヨコハマ、横浜国立大ホール。松男さんの写真を見つけ出しました。素敵なスピーチの写真です。スピーチは先日YouTubeのリンクをシェアしました。


すべて今生人界のかけがえのない日々。あのとき幼かった子どもたちも大きくなりました。自然災害は増え続け、支援活動が追いつかないほど恐ろしい時代です。


今年も暮れます。どうか、皆さまがより良き年をお迎えになられますよう、心から祈念しております。


そして、松男さんのご冥福を心の奥底から願っています。高志さんのことも毎日祈り続けています。


南無妙法蓮華経

ありがとうございます。

長松清潤拝

2024年12月30日月曜日

シュレックとカンフーパンダ



























大勢の参加をいただいて令和7年の大鏡餅つきが執り行なうことが出来ました。本当に、ありがたいです。


コロナ禍の過ごし方、乗り越え方で組織の命運が分かれると聞きます。妙深寺にとってもギリギリの選択がいくつもありました。今もそうです。


うっかりするとすぐに規模の縮小や中止や延期になってしまう。易きに流されるのが普通。妙深寺でさえお餅つきも年越し蕎麦も大晦日のかがり火も、中止になってもおかしくありませんでした。


本当に、妙深寺のみんなで力を合わせて継続してくださっています。今日のお餅つきもそうです。本当にありがたいです。


参加してくださる方々は増える一方。リスナーの方々も大勢お越しくださいました。たまたまテーブルが一緒になった人同士がラジオつながりと聞いてお互いに喜び合ったり、リピーターの方も何組も来てくださったり、ありがたかったです。


赤ちゃんを抱っこしながらのし餅を作ってくださったり、子どもたちのために薫化会さんが的当てゲームをしてくれたり、トンチとパンチが効いたご奉公がほんとにありがたい。


妙深寺にはシュレックもいるし、カンフーパンダもいるので最幸です。ちなみにハシャーン清嵐師は2度目のお餅つきだそうですがプロ級に上手。清翔師は相変わらず大活躍でした。


ご奉公いただいた皆さま、本当に、ありがとうございます。皆さま、どうかよいお年をお迎えください。


ありがとうございます。

2024年12月28日土曜日

今日は大掃除、明日はお餅つき












今朝はハシャーン清嵐師の御法門。日本人ではなく、日系人でもないスリランカのハシャーン清嵐師、ネパールのカドゥカ清地師、立派すぎて言葉もありません。彼らこそ妙深寺が生み出した珠玉の人材、尊いご弘通の器です。立派だと思います。感激します。


立ちはだかる壁に直面し、悩んでいること。清地の涙を見ていたら胸が締めつけられます。しかし、立ち止まるわけにはいかない。負けてはらならぬ祖師の御味方。がんばれ!


引き続いて本年度の感謝を込めた大掃除でした。今年初めて参加してくださった方々に感激!皆さんのご奉公をいただいて無事に終了いたしました。


午後はランドマークタワーのスタジオへ。今年最後の収録です。地球を約2周した今年こそ危なかったですが、穴を開けることなく横浜ラグーンの放送を続けることが出来ました。本当に感謝しかないです。


明日は大鏡餅つきです。午前9時半からスタートしますが、早朝から準備を進めていただきます。人手が足りませんので大勢の参加をお待ちしています。


新年の「妙深寺報」は今夜が締め切り、あと数分で出稿します。ギリギリのタイミング。来年は「歓喜踊躍(かんぎゆやく)」をテーマに掲げます。躍り上がり、飛び跳ねるほどの喜び、感謝と感動の一年にしたいです。


表紙はサムンドゥラデヴィで素晴らしいダンスを披露してくれた二人。歓喜踊躍の象徴です。


「我等今日仏の音教を聞いて歓喜踊躍して未曾有なることを得たり。」


引用した法華経の経文は「譬喩品」ではなく「信解品」の偈文でした。摩訶迦葉による感激の言葉です。よろしくお願いいたします。


とにかく、明日はお餅つきです!

待ってます!

ありがとうございます。

2024年12月27日金曜日

29日はお餅つき


ありがとうございます。

本年も12月29日(日)9時半から昼頃にかけて、大鏡餅つきを開催いたします。


お正月の御宝前にお供えする大鏡餅をみんなで作ります。

大人もお子さんも奮ってご参加ください。


お昼は美味しいつきたてのお餅をいただきます。


※早めに終了する可能性があります。餅をつきたい方はお早めにお越しください。


https://myoshinji.jp/7250/2024/11/30/news/


#妙深寺 #本門佛立宗 #長松清潤 #横浜ラグーン #お餅つき #年末

「お〜い!竜馬」小山ゆう先生からご許可(涙)!






ダメで元々と思いながら小学館にリクエストを送り、担当の方から返信をいただいた後、現薫師がやりとりを重ねてくれていました。


先ほど、大好きな漫画「お〜い!竜馬」の小山ゆう先生から、京都佛立ミュージアムの次回展示「真説・坂本龍馬展」で絵を使用していいとのご許可をいただきました。まさに歓喜踊躍、飛び上がって喜びました。


現薫師から小山先生の担当者さまに企画書を送付し、丁寧に主旨説明を重ねてくれていました。担当者の方から直接小山先生に聞いてくださったところご許可いただけたとのことでした。本当に夢みたいです。ありがたいです。


残すところ、あと2ヶ月、しっかりと内容を詰めていきたいと思います。先ほど坂本匡弘さんにもお伝えいたしました。


あー、うれしい。歓喜踊躍、飛び跳ねるほど嬉しいです。来館者の皆さまに龍馬の活躍をイメージしていただきやすくなります。暗殺直前5日前の手紙の価値もより鮮明に浮かび上がると思います。


ありがとうございます!

今年最後の横浜ラグーン


12月25日、今年最後のFMヨコハマ「横浜ラグーン」は山下達郎さんの曲でスタートさせていただきました。


一年を締めくくり、新年を迎えるにあたり、法華経にある「歓喜踊躍(かんぎゆやく)」という言葉をご紹介させていただきました。


感謝と感動、歓喜と感激。一日一日を大切に、その心、その姿を忘れず生きてゆきたい、生きてゆこう、というお話でした。


気がつくと潤いがなくなり、乾燥してしまうのが私たちの心です。乾燥するのはお肌だけではありませんね。心に潤いを保つ。メンテナンスを続けることが大切。油断するとすぐに乾燥してしまいます。


感謝と感動を忘れないこと。慈悲と愛情を失わないこと。とても大切です。法華経の「歓喜踊躍」の精神を学んでいただければありがたいです。


今年最後の選曲は山下達郎さんの「RIDE ON TIME」と「あまく危険な香り」でした。今年を締めくくるボーズワードは「人間」でした。


一年間、ありがとうございました。今生人界、大変なお力添えをいただいておればこそ、ラジオを通じてみ仏の教えをお伝えすることができています。それこそ「歓喜踊躍」の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。


来年もどうかよろしくお願い申し上げます。


ONAIR DATE 2024/12/25 (Wed)

https://radiko.jp/share/?sid=YFM&t=20241225053000


引き続き皆さまからのお便りをお待ちしています。素朴な疑問、質問、何でも結構です。


番組メールアドレス

lagoon@fmyokohama.jp


下記のサイトから直接FMヨコハマに送ることも出来ます。

是非、お便りください。お待ちしております。

https://www.fmyokohama.co.jp/form/message?p=6504


横浜ラグーン、今後ともよろしくお願いいたします。


番組提供

株式会社ティー・エフ・ピー

https://www.tfp.vc


〈 協力 〉

100万人のクラシックライブ

https://1m-cl.com


M&Aベストパートナーズ

https://mabp.co.jp


妙深寺

https://myoshinji.jp


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スマトラ島沖地震から20年














20年前の2004年12月26日、スマトラ島沖で巨大地震が発生し、津波が近隣諸国を襲った。


震源の真西にあたるスリランカには時速約700キロで超巨大津波が到達し恐るべき被害をもたらした。3万5322人が亡くなり、1万6637人が負傷、行方不明者は5637人、83万人以上が家を失った。


私はこの約2ヶ月前にスリランカにいた。帰国して間も無く起こった大災害だった。


あれから20年が経つ。支援活動、交流活動、ご弘通ご奉公、様々な日々があった。すべてがかけがえのない大切な時間だった。


謹んで、亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、世界各地で相次ぐ自然災害の終息と被災地の復興を願う。


真の復興とは人間の心の復興や再生であると信じている。これからも出来ることさせていただきたい。


Namu Myo Ho Ren Ge Kyo

Arigatou gozaimasu

2024年12月25日水曜日

【12月門祖総講】自分との戦いに打ち勝て【長松清潤ご住職】


御教歌
「悪友はおのが心にあるものを ほかより来るとおもひける哉」

敵は自分の中にいる。
勘違いしてはいけない。思い違いをしてはいけません。
疑い、迷い、誇り、怠り。
謗法、罪障、慢心、懈怠。
戦わなければならない相手はたくさんいますが、何より自分に負けてはならない。ただ一つの命、たった一度の人生、一日一日を大切に、御本意に叶うように、約束の道、ご信心、ご奉公、菩薩行に励むことが大切とお示しの御教歌。

オーストラリアの山村光子ベインさんは、先住松風院日爽上人の乗泉寺時代のご学友、12月31日が祥月ご命日の山村日光上人のお嬢さまです。日光上人は熱海 妙立寺のご住職をされておられ、今から20年ほど前に妙深寺の御会式の奉修御導師をお勤めくださいました。
先住と山村御導師、大学生だったそうですから、乗泉寺の同室で一緒に寝起きしながら大好きなジャズを聴いたり、映画を観たり、貴重な学生時代を過ごされたそうです。

山村御導師が妙深寺の御会式を奉修してくださった時、光子さんとご主人のアラスターも来てくださいました。シンポジウムのようなことをしてみんなで交流いたしました。
あれから20年。何と光子さんはたった一人でオーストラリアのクイーンズランド州、8年後にはオリンピックの開催が予定されている新興都市ブリスベンで、一人ひとりをお教化なさり、徐々に、徐々に、丁寧に、丁寧にご奉公なさって、長谷川御導師や松本御導師のご教導をいただきながら、八王子清流寺クイーンズランド組を創設、今では学徒の方もおられ、十数人の方々がご信心しておられます。

佛立新聞でも度々ご披露されていますから、ご存知だと思います。
本当に、すごいことで、心の奥底からありがたいと思っています。
光子さんとはこれまでもずっと繋がって、オーストラリアから励ましていただいたり、遠くから応援させていただいたりしてきました。
光子さんのご信心は、それはそれは本物の、見事なものです。
ご宝前は生きておられる、お看経が第一、何はなくともご宝前に座り、御題目をお唱えさせていただけば、必ず答えは出てくる、現証が顕れる、というもの。
そう、佛立魂です。見習わせていただきたいと、いつも思います。

寂光で、山村御導師と先住が現在の娑婆世界をご覧になっておられて、そこにいる私たちのご奉公を見て、どんな話をしておられるだろう。
私は、山村御導師は間違いなく光子さんのご奉公を誇らしく、ありがたく、尊く思っておられて、胸を張って、先住にお話くださっているのではないか、と思っています。そのようにお話ししています。ありがたいことです。

そんな光子さんのお母さまはご信心をしていない家庭から山村御導師に嫁がれました。ですから、佛立第15世ご講有・大本寺 乗泉寺の日晨上人は特別なご配慮をもって光子さんのお母さまに接してくださっていたそうです。
そんな山村御導師の奥さまが、ある時、日晨上人に「ご信心とは何でしょうか?」とお聞きになったそうです。もしかしたら、奥さまも何か壁に当たっておられたか、悩んでおられたのかもしれません。
すると、日晨上人は、たった一言、次のようにおっしゃいました。
「戦いだよ」
すごい!と思いました。忘れてはならないと思いました。
本当に、光子さん、山村御導師、奥さま、もちろん日晨上人、すごいです。

そうなんですね、ご信心とは戦いなんですね。

末法でご奉公する、ご信心する、簡単なことなんて、何一つないんです。
三災七難盛んに起こり、三障四魔、粉然と競い起こる。
あり得ないほど、苦難や困難に直面する。
自分の身の上も無常。生老病死、末法の世間も世知辛く、厳しい。
無茶苦茶、グチャクチャ、油断していると、とんでもないことになるんです。
だからこそ、のんびりしていて、成就するご奉公はない、ご信心はないんです。
そういうことになります。

光子さんのご信心、ご奉公を見ていて、ご両親の凄さが分かる。本物であることが分かる。

もし、教務であっても、ご信者であっても、大事なところを忘れて、お看経もしない、お給仕もできない、ご弘通できない、お教化したこともない、そうであったらどうか。

ただの学者、研究家、オタク、あるいは政治家のようになって、ご弘通ご奉公を忘れていたら、「親の顔が見たい」ということになる。

「親は何を教えていたんだ!」

こんな情けないこと、恥ずかしいこと、申し訳ないことはありません。でも、ギリギリ、そういうことが多く見られます。

「ご信心は戦いだよ」

この言葉の意味を深く深くいただかなければなりません。
しかも、今日の御教歌をよく拝見してください。

「悪友はおのが心にあるものを ほかより来るとおもひける哉」

外側に敵がいるのも当たり前。でも、本当の敵は自分の中にいる。
悪友は外にいて当たり前。いや違う。自分の中にいる。
そいつに負けてはダメなんだ。
そいつにやられてはダメなんだ。
そいつに流されてはダメなんだ。
そいつにそそのかされてはダメなんだ。

悪友、悪い友だちは、自分の心の中にいるんです。
外からウロウロ隙を窺って近づいてくるんじゃない。もう内側にいる。いつもいる。

とにかく、勝負していない人はダメ、ということになります。
勝負していない人はニセモノ。
戦い。
誰との戦い?
自分との戦い。
謗法との戦い
罪障との戦い。

「信行は山に車をおす如く 手をやすむれば谷におち入る」

状況が悪くなると「なんでだ」と考え込んでしまう。
「どうしてこんなことになってしまったんだ」と。そして、人生を振り返る。その時は見えていなかったことを、ゆっくり振り返ってみる。
すると、一番簡単な結論にたどり着く。

「あぁ、アイツが悪い」
「あの人のことを信用したからいけなかった」
「あの人に騙された」と。

違う。
自分に負けてるからだ、逃げてるからだ、戦っていないからだ、と。

開導聖人の御指南。
「すえのよのわれら如きの悪人は、御題目より持つ法なし、弘め弘めて弘め死にせよ、折伏をして万人ににくまるゝとも、教主釈尊おひとりにほめられたらばそれでたんのう」

自分と闘い、自分に勝つ。
謗法の心、懈怠の心、「これで我よし」と思う心です。
ダメです。それでは。
御本意に叶うようにご奉公しなければ果報を使い果たして終わる。
勝負して、勝って、胸を張って、寂光参拝の功徳をいただきなさい。

自己否定もダメ。でも自己肯定感だけでもダメです。菩薩行が大切なのだから。

負けないで、親の顔が見たい、ではなく、親に誇れる生き方、信行ご奉公に気張らせていただきましょう。

故に御教歌に「悪友はおのが心にあるものを ほかより来るとおもひける哉」

【12月教区お講】感謝感動を身体中で表そう【長松清潤ご住職】

御教歌
「いか計うれしき事のあるやらむ みるにゑまるゝみるにゑまるゝ」

ご信心は感謝と感動です。
苦しかった時、だからこそ、助けていただいた時、御利益をいただいた時、その歓喜、感激、感謝、感動を忘れず、忘れていたら思い出し、奮い起こし、信行ご奉公に気張らせていただきましょう。
本門佛立宗の本物のご信者さん、お教務さん。誰が見ても、全身から喜びが溢れているような人、「歓喜踊躍のご信心」、その大切さを感得させていただく御教歌。

どれだけ嬉しいことがあったんだろう。見ていてこっちまで笑顔になる、見ていて思わずこちらまで微笑んでしまう。

そんなこと、ありますよね?
「うわー、あの人、幸せそうだなー」「なんかいいことあったのかなー」「いいね!」と。
もし、そういう人を見て、
「なんだヘラヘラしやがって」
「幸せそうでムカつく」
「イライラする」
となっていたら、もう鬼、ガキの心、修羅の心が出ていますね。これはヤバい、マズいです。お看経してください(笑)。

幸せな人を見ていたら、こちらまで幸せな気持ちになる、思わず笑顔になる。
「笑う門には福来る」
いつも笑顔で、笑っている人には、幸せが訪れる、という意。

「和気財を成す」という言葉もあります。「和気」とは楽しくて仲が良さそうな雰囲気のこと。
「楽しくて仲が良さそうな雰囲気の所には自然と運気がやってくる。だから「財を成す」「お金が入ってくる」「お金が貯まる」という意味の諺。うまく行っていない時でも、雰囲気を良くするように心掛けると、徐々に運気が回復してくる。うまくいっていないから暗くなる、元気がなくなる、イライラする、塞ぎ込んでいるようでは、そこからずーっと抜け出ることができないでしょう。もったいないです。

さて、いかがでしょうか?
どんな顔、どんな心、どんな気持ちで、毎日を過ごしているでしょうか?ご信心させていただいているでしょうか?

仏像ではないけれど、普通の人は仏教の悟りの世界は、静かで笑いもしない、無表情ななんとも言えない凡人には分かり得ない世界だと思っているのではないでしょうか?
確かに、スリランカの上座部仏教、テーラワーダのお坊さんは笑わないです。
説明すると難しいのですが、笑うことは戒律で禁じられている。

ところが、お経の王様、法華経に示されたことは違うんです。悟りの世界、その心持ちというのは、歓喜、感動、躍動する喜びの世界だというのです。
法華経の様々な場面でこのことが説かれています。

法華経の方便品には
「諸の疑惑なく心に大歓喜を生じて自ら当に作仏すべしと知れ」法華経 方便品 第二

譬喩品には
「心大に歓喜し踊躍すること無量なり」 譬喩品 第三
「我等今日仏の音教を聞いて歓喜踊躍して未曾有なることを得たり」譬喩品 第三

とあります。本門八品を締めくくる嘱累品第二十二も最後の言葉は「歓喜」です。
「仏の所説を聞きたてまつりて、皆大いに歓喜す」嘱累品第二十二

凡夫ですから、笑いを難しく考えても仕方ないです。
嬉しかったら、表情に現れる。全身から「ああ、あの人、いいことがあったんだね」と分かるくらいの喜び、感謝、感動、それは踊り出すほどなんです。
「踊躍」っていうのは「喜んで、おどり上がること。とびはねること。」です。

難しく考えず、法華経の教えでは、末法の凡夫、ありのままに、みんなで、どこにいても、誰が見ても、「ああ、あの人を見ていると、こちらまで幸せになる、元気になる、思わず笑顔になる」というようなご信心が出来たらいい。
なかなか、出来ない。しかし、そこが、ここが、目標、修行です。

本門佛立宗のご信心では「宗論問答無益」という教え、ルールがあります。宗論、つまり教義を戦わせて、議論しても、意味がない、メリットなし、だから禁止、やめておきな、ということです。

では何を戦わせるか、何で勝負するか?どうやってお教化するか、法灯相続するか、ということになります。

本門佛立宗の場合、それは現証くらべ、御利益で勝負する、随喜比べ、御法さまへの、御利益をいただいたことへの、感謝、感動、歓喜、感激を比べる、ということになります。
そのくらい法華経に示されている信者の姿、弟子の姿「歓喜踊躍」は大切なのです。

信心とは随喜です。
信心とは本心です。
本心が随喜です。生きているから随喜です。喜べないのは罪障です。感謝や感動を失うのは本心ではなく、謗法や罪障にやられているからです、負けているからです。

「古法華利益なし」
このように考えると、古法華とは謗法と罪障に逆戻りした人のことです。
そうなってはいけません。
頭でっかちになり、慣れて、揺れて、慢心していると、罪障にやられてしまいます。

生きていれば、つらいこと、苦しいこと、寂しいこと、イライラすることばかりです。
ご信心でも、末法では簡単じゃない、難しい、行き違うこと、すれ違うこと、いっぱいあるし、「なんでこんなことしなきゃいけないの」「なんでそんな言われ方しなきゃいけないの」「なんで」「どうして」と思うこともたくさんあります。

でも、それでも、法華経のご信心の、お祖師さまの教え、本門佛立宗の本物の教えとはなんなのか、しっかりといただいて、しっかりと貫いていかなければなりません。そうでなければもったいないです。

謗法に負けてはダメ、罪障にやられてはダメ。

日蓮聖人のお言葉(御講聞書)。
「所詮、信と随喜とは心同じきなり。随喜するは信心なり。信心するは随喜なり。」

開導聖人の御指南
「うれしさ身にも心にもあまりてをき慮なし。歓喜踊躍これなり。捨身決定して励むべき也」扇全五巻四〇〇頁

「佛立講の初心の題目の行者。此義趣を心腑に染付て、歓喜踊躍して今生人界の思出と口唱すべき也」扇全十四巻三九四頁

「他人の信心にも随喜すべしそねむは謗法なり」御書抄(全)扇全十五巻三三〇頁

どうか、ご信心は感謝と感動です。感謝、感動のないご信心はございません。
なければ、反省、改良するしかありません。

苦しかった時、だからこそ、助けていただいた時、御利益をいただいた時、その歓喜、感激、感謝、感動を思い出し、奮い起こして、信行ご奉公に気張らせていただきましょう。

本門佛立宗の本物のご信者さん、お教務さん。誰が見ても、全身から喜びが溢れているような人、「歓喜踊躍のご信心」に励むことが大事とお教えいただく御教歌です。

故に御教歌に。「いか計うれしき事のあるやらむ みるにゑまるゝみるにゑまるゝ」

【12月高祖総講併大御本尊会式】死後持っていけるのは功徳だけ【長松清潤ご住職】


御教歌
「箸かたし持てはいなぬ娑婆のもの 身にそふものは功徳ばかりぞ」

ただ一つの命、たった一度の人生を、驕らず、迷わず、本当に大切に、悔いなく過ごすため、リアルに、具体的に、覚悟しなさい、生き方を定めなさい、と教えてくださいます。

あの世に持っていけるものと、持っていけないもの。
持っていけると思っているものは持っていけない。
自分のものだと思っているものは自分のものではない。必ず手放す時が来る。置いていかなければならない時が来る。
人間にしかできない、ご信心にお出値いした佛立仏教徒にしかできない生き方、まさに一日一日を大切に、功徳を積み重ねる大事をお示しいただく御教歌。

御教歌では「お箸一本も持っていけない」ということをお示しになられています。
お気に入りのお箸も、お茶碗も、お湯呑みも、お洋服も、大好きなテーブルも、イスも、一生懸命に集めた小物、気に入っているグッズも、何もかも、ただの一つも、持っていけない。
もっと言えば、愛する人も、家族も、奥さんも、ご主人も、一緒に行ってはくれない。
一生懸命はたらいて、なんとか節約して貯めたお金も、一円、一銭も、持っていけない。
ただ一人の旅です。

つまり、功徳しか無い。そう教えていただいています。
娑婆のものは持っていけない。あなたの身に寄り添うものは「功徳」しかない。
功徳、です。もちろん、実際には「罪障」も「謗法」あります。
今生、この一生で積み重ねた善悪の所業、カルマ、その行為、そのエネルギー、功徳と罪障、謗法のシナジーが、あなたの魂に寄り添うのです。
それだけです。

いかがでしょうか?
大丈夫ですか?

ハッキリさせなければ分からないことがあります。
曖昧なままでは決断できないことがある。

ハッキリさせるためには「死」について考えることです。
それを、もっとリアルに、しっかり、じっくり、見ることです。
そして、見ているだけではなくて、生きている間にできていること、死んだら出来なくなること、もっと言えば、あの世に持っていけるものと、持っていけないものを、しっかりと区別して、自分の周りのものを見てご覧、ということです。

「はい、全員荷物を置いてください。バックも置いてください。携帯も置いてください。お財布?ダメです。はい、洋服も脱いでください。パンツ?ダメです。抜いてください」
それで「たった一人で旅に出てください」と言われて、外に出されて、耐えられますか?

とてもとても恐ろしい。それじゃ刑務所です。留置場です。
丸裸にされて、検査されて、放り出される。
取調官の前に、裁判官の前に、放り出される。

ついてくるのは、功徳だけなんです。
何をしたの?どうしたの?できたの?できなかったの?やっちゃったの?やったの?

功徳か、罪障か、謗法か。

開導聖人の御指南。

「さて逗留中のはたごだに用意せば、家蔵所領諸道具迄裟婆の宿やの世界の物也。必々箸かたし。ぬすみもちかへることなかれ。故に御弘通御奉公を一大事として高名手柄に油断有べからず。これを大金もうけをしたりと申す。この大金もうけとはただ今仏果にかなふをいふ也。心得違ひすべからず」14-190

お箸一本、盗んで持ち帰らないようにしてください。持ち帰ることはできません。
そうお示しです。

また別の御指南に。
「故に御弘通御奉公を一大事として高名手柄に油断有べからず。これを大金もうけをしたりと申す。この大金もうけとはただ今仏果にかなふをいふ也。心得違ひすべからず。」

命のある限り、功徳を積ませていただきましょう。

御教歌

「己が身につみし功徳は火にもやけず 人もぬすまず持て行なり」

ただ一つの命、たった一度の人生を、驕らず、迷わず、本当に大切に、悔いなく過ごすため、リアルに、具体的に、覚悟しなさい、生き方を定めましょう。
人間にしかできない、ご信心にお出値いした佛立仏教徒にしかできない生き方、まさに一日一日を大切に、功徳を積み重ねる大事をお示しいただく御教歌でございます。

されば御教歌に。
「箸かたし持てはいなぬ娑婆のもの 身にそふものは功徳ばかりぞ」

新しい『閑愁録』の発見










慶応4年正月、つまり数ヶ月後に明治元年と改元された年のはじめにまとめられた『護国新論』が冒頭の合本に海援隊の『閑愁録』が掲載されていることを発見しました。


海援隊『閑愁録』の刊行は慶応3年5月、隊長・坂本龍馬が生きていた時のことです。世上騒然とする中、海援隊の主張は注目を集め、『随喜閑愁録』と題して別途増版されていたことは確認していました。しかし、今回の古文書はさらに別の形で海援隊の出版物が世の中に広がっていたことを証明するもので全くの新発見となります。


残念ながら龍馬は慶応3年11月15日に暗殺されてしまいました。龍馬がいなくなった海援隊は求心力を失いました。京都では海援隊の2代目隊長に『閑愁録』の著者でもある龍馬の文官・長岡謙吉が就任。


慶応4年は正月3日から鳥羽伏見の戦いが始まっていました。砲弾が飛び交い、硝煙の上がる中で出版されたのが合本『護国新論』だったようです。同月、海援隊は出版事業第二弾『和英通韻以呂波便覧』を刊行しています。


とにかく、150年以上前の書物を読みながら感動します。なぜ私たちはこのような世界に生きているのか、歴史を正しく振り返らなければ理解することは出来ません。明治維新を正しく見なければ日本の歴史は分かりようもありません。


権謀術数の権力闘争、幕末の宗教思想対立、そして勝ち組と負け組。


いずれにしても坂本龍馬の「海援隊」の名が冠された公式出版物、第一級資料でありながらまだまだ研究されていません。本門佛立宗の開導、幕末維新の仏教改革者・長松清風日扇聖人が「宗祖の安国論の御説に合す」とまで絶賛した『閑愁録』について、是非お見知り置きいただきたいと思います。


坂本龍馬や海援隊を再評価する一つの大切な指標となり、さらにそれを発見、絶賛した稀代の宗教家、仏教改革者・長松清風を評価すべき史実であると信じます。虚飾、脚色、一切なしです。ノンフィクション。歴史的事実のみ。


「過去の歴史に盲目なものは現在においても盲目である」


来年は京都佛立ミュージアムで「真説・坂本龍馬展」を開催する予定です。よろしくお願いいたします。

1月7日早朝、KBS京都に蓑田秀策代表が出演されます

京都にお住まいの皆さま。 新年早々、1月7日朝7時15分過ぎに、100万人のクラシックライブの蓑田秀策代表がKBS京都「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」に出演されます。 番組ホームページに掲載されていますが、「ほっかほか今朝の聞くサプリ」のコーナーに電話でのインタビュー形式でご出演...