御教歌
「箸かたし持てはいなぬ娑婆のもの 身にそふものは功徳ばかりぞ」
ただ一つの命、たった一度の人生を、驕らず、迷わず、本当に大切に、悔いなく過ごすため、リアルに、具体的に、覚悟しなさい、生き方を定めなさい、と教えてくださいます。
あの世に持っていけるものと、持っていけないもの。
持っていけると思っているものは持っていけない。
自分のものだと思っているものは自分のものではない。必ず手放す時が来る。置いていかなければならない時が来る。
人間にしかできない、ご信心にお出値いした佛立仏教徒にしかできない生き方、まさに一日一日を大切に、功徳を積み重ねる大事をお示しいただく御教歌。
御教歌では「お箸一本も持っていけない」ということをお示しになられています。
お気に入りのお箸も、お茶碗も、お湯呑みも、お洋服も、大好きなテーブルも、イスも、一生懸命に集めた小物、気に入っているグッズも、何もかも、ただの一つも、持っていけない。
もっと言えば、愛する人も、家族も、奥さんも、ご主人も、一緒に行ってはくれない。
一生懸命はたらいて、なんとか節約して貯めたお金も、一円、一銭も、持っていけない。
ただ一人の旅です。
つまり、功徳しか無い。そう教えていただいています。
娑婆のものは持っていけない。あなたの身に寄り添うものは「功徳」しかない。
功徳、です。もちろん、実際には「罪障」も「謗法」あります。
今生、この一生で積み重ねた善悪の所業、カルマ、その行為、そのエネルギー、功徳と罪障、謗法のシナジーが、あなたの魂に寄り添うのです。
それだけです。
いかがでしょうか?
大丈夫ですか?
ハッキリさせなければ分からないことがあります。
曖昧なままでは決断できないことがある。
ハッキリさせるためには「死」について考えることです。
それを、もっとリアルに、しっかり、じっくり、見ることです。
そして、見ているだけではなくて、生きている間にできていること、死んだら出来なくなること、もっと言えば、あの世に持っていけるものと、持っていけないものを、しっかりと区別して、自分の周りのものを見てご覧、ということです。
「はい、全員荷物を置いてください。バックも置いてください。携帯も置いてください。お財布?ダメです。はい、洋服も脱いでください。パンツ?ダメです。抜いてください」
それで「たった一人で旅に出てください」と言われて、外に出されて、耐えられますか?
とてもとても恐ろしい。それじゃ刑務所です。留置場です。
丸裸にされて、検査されて、放り出される。
取調官の前に、裁判官の前に、放り出される。
ついてくるのは、功徳だけなんです。
何をしたの?どうしたの?できたの?できなかったの?やっちゃったの?やったの?
功徳か、罪障か、謗法か。
開導聖人の御指南。
「さて逗留中のはたごだに用意せば、家蔵所領諸道具迄裟婆の宿やの世界の物也。必々箸かたし。ぬすみもちかへることなかれ。故に御弘通御奉公を一大事として高名手柄に油断有べからず。これを大金もうけをしたりと申す。この大金もうけとはただ今仏果にかなふをいふ也。心得違ひすべからず」14-190
お箸一本、盗んで持ち帰らないようにしてください。持ち帰ることはできません。
そうお示しです。
また別の御指南に。
「故に御弘通御奉公を一大事として高名手柄に油断有べからず。これを大金もうけをしたりと申す。この大金もうけとはただ今仏果にかなふをいふ也。心得違ひすべからず。」
命のある限り、功徳を積ませていただきましょう。
御教歌
「己が身につみし功徳は火にもやけず 人もぬすまず持て行なり」
ただ一つの命、たった一度の人生を、驕らず、迷わず、本当に大切に、悔いなく過ごすため、リアルに、具体的に、覚悟しなさい、生き方を定めましょう。
人間にしかできない、ご信心にお出値いした佛立仏教徒にしかできない生き方、まさに一日一日を大切に、功徳を積み重ねる大事をお示しいただく御教歌でございます。
されば御教歌に。
「箸かたし持てはいなぬ娑婆のもの 身にそふものは功徳ばかりぞ」
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