2024年12月25日水曜日

新しい『閑愁録』の発見










慶応4年正月、つまり数ヶ月後に明治元年と改元された年のはじめにまとめられた『護国新論』が冒頭の合本に海援隊の『閑愁録』が掲載されていることを発見しました。


海援隊『閑愁録』の刊行は慶応3年5月、隊長・坂本龍馬が生きていた時のことです。世上騒然とする中、海援隊の主張は注目を集め、『随喜閑愁録』と題して別途増版されていたことは確認していました。しかし、今回の古文書はさらに別の形で海援隊の出版物が世の中に広がっていたことを証明するもので全くの新発見となります。


残念ながら龍馬は慶応3年11月15日に暗殺されてしまいました。龍馬がいなくなった海援隊は求心力を失いました。京都では海援隊の2代目隊長に『閑愁録』の著者でもある龍馬の文官・長岡謙吉が就任。


慶応4年は正月3日から鳥羽伏見の戦いが始まっていました。砲弾が飛び交い、硝煙の上がる中で出版されたのが合本『護国新論』だったようです。同月、海援隊は出版事業第二弾『和英通韻以呂波便覧』を刊行しています。


とにかく、150年以上前の書物を読みながら感動します。なぜ私たちはこのような世界に生きているのか、歴史を正しく振り返らなければ理解することは出来ません。明治維新を正しく見なければ日本の歴史は分かりようもありません。


権謀術数の権力闘争、幕末の宗教思想対立、そして勝ち組と負け組。


いずれにしても坂本龍馬の「海援隊」の名が冠された公式出版物、第一級資料でありながらまだまだ研究されていません。本門佛立宗の開導、幕末維新の仏教改革者・長松清風日扇聖人が「宗祖の安国論の御説に合す」とまで絶賛した『閑愁録』について、是非お見知り置きいただきたいと思います。


坂本龍馬や海援隊を再評価する一つの大切な指標となり、さらにそれを発見、絶賛した稀代の宗教家、仏教改革者・長松清風を評価すべき史実であると信じます。虚飾、脚色、一切なしです。ノンフィクション。歴史的事実のみ。


「過去の歴史に盲目なものは現在においても盲目である」


来年は京都佛立ミュージアムで「真説・坂本龍馬展」を開催する予定です。よろしくお願いいたします。

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