2024年12月25日水曜日

【12月門祖総講】自分との戦いに打ち勝て【長松清潤ご住職】


御教歌
「悪友はおのが心にあるものを ほかより来るとおもひける哉」

敵は自分の中にいる。
勘違いしてはいけない。思い違いをしてはいけません。
疑い、迷い、誇り、怠り。
謗法、罪障、慢心、懈怠。
戦わなければならない相手はたくさんいますが、何より自分に負けてはならない。ただ一つの命、たった一度の人生、一日一日を大切に、御本意に叶うように、約束の道、ご信心、ご奉公、菩薩行に励むことが大切とお示しの御教歌。

オーストラリアの山村光子ベインさんは、先住松風院日爽上人の乗泉寺時代のご学友、12月31日が祥月ご命日の山村日光上人のお嬢さまです。日光上人は熱海 妙立寺のご住職をされておられ、今から20年ほど前に妙深寺の御会式の奉修御導師をお勤めくださいました。
先住と山村御導師、大学生だったそうですから、乗泉寺の同室で一緒に寝起きしながら大好きなジャズを聴いたり、映画を観たり、貴重な学生時代を過ごされたそうです。

山村御導師が妙深寺の御会式を奉修してくださった時、光子さんとご主人のアラスターも来てくださいました。シンポジウムのようなことをしてみんなで交流いたしました。
あれから20年。何と光子さんはたった一人でオーストラリアのクイーンズランド州、8年後にはオリンピックの開催が予定されている新興都市ブリスベンで、一人ひとりをお教化なさり、徐々に、徐々に、丁寧に、丁寧にご奉公なさって、長谷川御導師や松本御導師のご教導をいただきながら、八王子清流寺クイーンズランド組を創設、今では学徒の方もおられ、十数人の方々がご信心しておられます。

佛立新聞でも度々ご披露されていますから、ご存知だと思います。
本当に、すごいことで、心の奥底からありがたいと思っています。
光子さんとはこれまでもずっと繋がって、オーストラリアから励ましていただいたり、遠くから応援させていただいたりしてきました。
光子さんのご信心は、それはそれは本物の、見事なものです。
ご宝前は生きておられる、お看経が第一、何はなくともご宝前に座り、御題目をお唱えさせていただけば、必ず答えは出てくる、現証が顕れる、というもの。
そう、佛立魂です。見習わせていただきたいと、いつも思います。

寂光で、山村御導師と先住が現在の娑婆世界をご覧になっておられて、そこにいる私たちのご奉公を見て、どんな話をしておられるだろう。
私は、山村御導師は間違いなく光子さんのご奉公を誇らしく、ありがたく、尊く思っておられて、胸を張って、先住にお話くださっているのではないか、と思っています。そのようにお話ししています。ありがたいことです。

そんな光子さんのお母さまはご信心をしていない家庭から山村御導師に嫁がれました。ですから、佛立第15世ご講有・大本寺 乗泉寺の日晨上人は特別なご配慮をもって光子さんのお母さまに接してくださっていたそうです。
そんな山村御導師の奥さまが、ある時、日晨上人に「ご信心とは何でしょうか?」とお聞きになったそうです。もしかしたら、奥さまも何か壁に当たっておられたか、悩んでおられたのかもしれません。
すると、日晨上人は、たった一言、次のようにおっしゃいました。
「戦いだよ」
すごい!と思いました。忘れてはならないと思いました。
本当に、光子さん、山村御導師、奥さま、もちろん日晨上人、すごいです。

そうなんですね、ご信心とは戦いなんですね。

末法でご奉公する、ご信心する、簡単なことなんて、何一つないんです。
三災七難盛んに起こり、三障四魔、粉然と競い起こる。
あり得ないほど、苦難や困難に直面する。
自分の身の上も無常。生老病死、末法の世間も世知辛く、厳しい。
無茶苦茶、グチャクチャ、油断していると、とんでもないことになるんです。
だからこそ、のんびりしていて、成就するご奉公はない、ご信心はないんです。
そういうことになります。

光子さんのご信心、ご奉公を見ていて、ご両親の凄さが分かる。本物であることが分かる。

もし、教務であっても、ご信者であっても、大事なところを忘れて、お看経もしない、お給仕もできない、ご弘通できない、お教化したこともない、そうであったらどうか。

ただの学者、研究家、オタク、あるいは政治家のようになって、ご弘通ご奉公を忘れていたら、「親の顔が見たい」ということになる。

「親は何を教えていたんだ!」

こんな情けないこと、恥ずかしいこと、申し訳ないことはありません。でも、ギリギリ、そういうことが多く見られます。

「ご信心は戦いだよ」

この言葉の意味を深く深くいただかなければなりません。
しかも、今日の御教歌をよく拝見してください。

「悪友はおのが心にあるものを ほかより来るとおもひける哉」

外側に敵がいるのも当たり前。でも、本当の敵は自分の中にいる。
悪友は外にいて当たり前。いや違う。自分の中にいる。
そいつに負けてはダメなんだ。
そいつにやられてはダメなんだ。
そいつに流されてはダメなんだ。
そいつにそそのかされてはダメなんだ。

悪友、悪い友だちは、自分の心の中にいるんです。
外からウロウロ隙を窺って近づいてくるんじゃない。もう内側にいる。いつもいる。

とにかく、勝負していない人はダメ、ということになります。
勝負していない人はニセモノ。
戦い。
誰との戦い?
自分との戦い。
謗法との戦い
罪障との戦い。

「信行は山に車をおす如く 手をやすむれば谷におち入る」

状況が悪くなると「なんでだ」と考え込んでしまう。
「どうしてこんなことになってしまったんだ」と。そして、人生を振り返る。その時は見えていなかったことを、ゆっくり振り返ってみる。
すると、一番簡単な結論にたどり着く。

「あぁ、アイツが悪い」
「あの人のことを信用したからいけなかった」
「あの人に騙された」と。

違う。
自分に負けてるからだ、逃げてるからだ、戦っていないからだ、と。

開導聖人の御指南。
「すえのよのわれら如きの悪人は、御題目より持つ法なし、弘め弘めて弘め死にせよ、折伏をして万人ににくまるゝとも、教主釈尊おひとりにほめられたらばそれでたんのう」

自分と闘い、自分に勝つ。
謗法の心、懈怠の心、「これで我よし」と思う心です。
ダメです。それでは。
御本意に叶うようにご奉公しなければ果報を使い果たして終わる。
勝負して、勝って、胸を張って、寂光参拝の功徳をいただきなさい。

自己否定もダメ。でも自己肯定感だけでもダメです。菩薩行が大切なのだから。

負けないで、親の顔が見たい、ではなく、親に誇れる生き方、信行ご奉公に気張らせていただきましょう。

故に御教歌に「悪友はおのが心にあるものを ほかより来るとおもひける哉」

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御教歌 「悪友はおのが心にあるものを ほかより来るとおもひける哉」 敵は自分の中にいる。 勘違いしてはいけない。思い違いをしてはいけません。 疑い、迷い、誇り、怠り。 謗法、罪障、慢心、懈怠。 戦わなければならない相手はたくさんいますが、何より自分に負けてはならない。ただ一つの命...