2009年2月10日火曜日

母への花束贈呈

 今日は御講が無いのでブログを更新しまくっている。どうも、背中が痛くて仕方ない。久しぶりに、風邪でもないのに調子が悪いなぁ。珍しい。そろそろガタがきたかな?単なる寝不足か。
 結婚式について書いた。とても感動的な結婚式となり、みんなのお祝いの気持ちが爆発したような日になった。本当に嬉しい。この時間を共有できたこと。人生の中でも貴重な時間だったと思う。
 二人は、しばしの休暇。帰国したら怒濤のご奉公だから、せめて一週間程度は身体も心も休めて楽しんできて欲しいと思う。すぐに門祖会もあるし、綾子ちゃんにとっても慣れないお寺の中でのご奉公が始まる。その前に、精一杯のお休みを。妙深寺は「常在戦場」を掲げて頑張っているんだから。教務部の猛者たち、清和会(教務の奥さま方)の方々も、この日ばかりは心から祝福し、笑顔が絶えなかった。
 清康は、高校に入学すると同時に横浜の妙深寺の庫裡に住むことになった。当時、私は24才。京都の本山から帰ってきたばかりだった。中学生の頃、当時の清康は全く人見知りをして、無口で、気難しい子どもだった。弟の左右治や妹の実博は天真爛漫で明るくて人なつっこい性格だったのだが、この長男だけは気難しかった。
 そんなヤスを妙深寺で預かることになった。先住(先代のご住職・長松清凉師)と母は待ち望んでいたかのようにヤスを庫裡に住まわせた。本山から帰山したばかりの私は、本堂の四畳半の教務室に寝泊まりすることになっていたから別々ではあったが、こうして新しい生活が始まった。
 そして、彼は先住の事故・お怪我に遭遇したのである。本人も結婚式で言っていたが、それまでご信心に反発していたのだが、先住のお怪我で一気に御宝前へ向かわなければならなくなり、御題目を唱え、先住が奇跡の回復を遂げたことで、これが本当の仏教の御力か、現証の御利益か、ということを実感したという。
 その後、大学卒業まで、ほぼ8年間を横浜で過ごした。そして、その間に、私と社会勉強をし、先住の病気があり、先住のご遷化もあった。その間の心の変化、いつしか得度を決意し、先住ご遷化の数時間前に剃髪をいただき、「清康」となった。
 そうした経緯の中、結婚式の最後にサプライズが。私は何にも聞いていなかった。もう、余興も出し終えてクライマックス。そのままご両親への花束贈呈かと思いきや、突然清康がマイクで語り出した。
 「私は、高校入学と共に妙深寺の庫裡でお世話になりました。どうしても、ここで、感謝の心を込めて、花束を送らせていただきたい方がおります。それは、先住の奥さま、寿美江奥さまです。高校時代、サッカーで汚れたパンツから何から、ずっと何も言わずに洗ってくださり、お弁当をつくり、こんな私を育ててくれました。本当に、何と御礼を言っていいか分かりません。今日、私があるのは、奥さまのお陰です。私の第二の母です。(要旨)」
 そして、感動の花束贈呈。おいおい、聞かせておけよなー、と思った。姉ちゃんは知ってたのかなぁ。チノブ姉さんがヤスの結婚式の裏方として、いろいろと相談していたからなぁ。スクリーンには、先住と母の写真が映し出されていて、何ともいえない、忘れられない瞬間となった。
 うーん、考えさせられる。人生は深いな。とにかく、ありがたい。

1 件のコメント:

しんすい さんのコメント...

清康師・綾子女の披露宴を見て、もう一度結婚式をやりたい男 もとい もう一度人生をやり直した方がいい男 信翠でございます。
先日はすばらしい披露宴にお招きいただき、ありがとうございました。
あんな披露宴ははじめてです。
どの場面においても、出席者全員が心から二人をお祝いしている気持ちで会場全体が一体となったような感じでした。
特に印象的だったのは、やっぱり寿美江奥様への花束贈呈のシーンでした。
なぜか「やられた!」と思いました。また、奥様の声にならない嗚咽と顔を覆われるお姿に、本当に感動致しました。
本当に心に残る、すばらしい&ありがたい披露宴でした。
御住職もお疲れさまでした。
お忙しい中でも、二人に対する思いと、出席の方々へのホスピタリティは、さすがです。勉強になりました。
                信翠拝

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