午後、マータラという街で御講を奉修させていただいた。
この街は、コロンボから南岸沿いに延びる鉄道の終着駅。コロンボからは160キロほど南にある。涙型の島・スリランカの最南端・デウンダラ岬までわずか5キロ。最も南部にある都市といっていい。この街で、ガンガー女史という一人の女性が、本門佛立宗の教えを伝え、ご弘通に励んでくださっている。
コロンボからの距離を考えても、相当の田舎なのだが、サーフスポットも多くあり、南国を思わせる珊瑚礁の海が広がっている。リゾートはもっと北部に任せているらしいが、落ち着いた雰囲気のこの街を愛する人も多いらしい。
実は、私は海岸線に出ることなくマータラに入ってしまった。この街の名前は何度も聞いていて、街のことも知っていたのだが、ずっと田園風景を見て、内陸部を走っていたらこの町に着いてしまっていたというのが実状。いつも、こういう感じだ。
また、この街は、スマトラ沖地震・津波の被害を最も受けた地域で、このMatara(マータラ)には6メートル近くもの津波が押し寄せ、甚大な被害をもたらした。ビーチ沿いにあるホテルやゲストハウスはすべて瓦解して、約5000人の方が亡くなったという。現在は元通りに街の機能は戻っているように思うが、恐ろしい爪痕は街の随所にも、人の心にも刻まれている。
このエリアで活動しているガンガー女史をサポートしてくれているのは、実は一つの寺院である。ウィジャヤーラーマル・テンプルという上座部仏教の寺院を開放して、御本尊を奉安させていただき、その寺院の住職や僧侶等も参加した中で、法華経の教え、御題目口唱の意義、本門佛立宗の教えについて説かせていただいている。
この地域のリーダーであるガンガー女史と地域在住の信徒、住職と僧侶らも参加しての御講を奉修させていただいた。開放してくださったホールを借り、御本尊を奉安させていただいて一座のセッション。津波被害のこともあり、あの当時のこと、被害に遭われたご家族のことも思いつつ、御題目をお唱えさせていただいた。この遠隔の地域でも、無始已来から御題目、南無久遠まで綺麗に唱えられる方々がいるのが嬉しい。
短めにした私のスピーチでは、コロンボとゴールでの御講と同様に、仏教は難しい哲学ではない、もっっと皆さんのライフスタイルに密着したものであるということをお話しした。朝、あなたが起きた時、家を出る時、家に戻った時、寝る前、あなたの生活の随所に法華経への信仰を立てていくのである。それが出来れば信者、出来ていなければ未だ不信者ということになる。信仰は、パートタイムなものではないこと。非日常を体験するものではなく、日常の中にあること。First Buddhaの実践。御初穂の信心のお話。
御講終了後、その寺院のご住職とお話をさせていただいた。驚くべきことを仰っていた。彼はユニークなプロフィールの持ち主で、もともと若い頃はカトリックを信仰していたという。キリストの教えに傾倒し、その教えを学んだ。しかし、学んだ末に仏教とキリスト教を比して、やはり仏教の教えこそ人々を救う教えだと確信して僧侶となった(このプロセスはスリランカの国情を考えると特異なケースである)。その後、こうしておよそ70才ほどだと思うのだが、今に至るまでスリランカの上座部仏教の僧侶として生きてこられた。
その彼が、私に言ったのである。「今の仏教はダメなのです。このままではダメだと思っていたのです。仏教は、あなたの説くようなものでなければならない。活きた教えでなければ人々は救われないのです」と仰った。「私も同感です。どうか、今後ともご協力いただきたい」とお話しした。
遠い国で、しかも遠隔の地で、このような出会いの下で法華経本門の教えを語り合えることは嬉しい。上座部仏教に生涯を捧げた高僧が、今や法華経に説かれた御仏の真意、お祖師さまの教えを学びたい、人々にこの教えを説かせていただきたいと思っていること。このことは世界的な仏教の流れを変えるだけのインパクトがある。
ローマ市がダライ・ラマ氏に名誉市民の称号を授与したらしいが、仏教は決して政治的な活動の一部ではない。彼が、仏教の基礎を紹介する役目を担ってくれているとしても、真実の仏教がこれから世界に向かって教えを説いていかなければならない。その役目が私たちにはあるはずだ。もっと研鑽し、そういう土壌でご奉公できるようにならなければならないと思う。
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