2010年8月22日日曜日

日聞上人

酷暑厳しい京都。佛立嗣法第二世講有日聞上人の百回御遠諱の法要が営まれました。

余りの暑さではありましたが、一陣の清風に心身を癒され、励まされ、ご奉公させていただくことができました。

開導聖人ご遷化後、あまりにも偉大な存在を失った佛立教講は、それぞれの信心の強さからか、油断をすればそれぞれに独立して、分裂しかねない情勢がありました。

信心の強さは、「師」を失えば時に独善的になり、客観性を失うものです。師匠に迷うことは、人生の中で最も不幸なことです。

幸いにして、開導聖人は、ご自身の遷化後は日聞上人を本門佛立宗嗣法の導師といただき、自身に仕える如くせよとご遺嘱をされていました。そして、二世日聞上人は、その師命を受け、大変な重責を果たされてゆかれます。

日聞上人がおられなければ本門佛立宗は存続していなかったとすら思います。それほど、偉大なご奉公によって本門佛立宗を守られたのでした。

本当に、そのご苦労は想像を絶しますし、極めて孤独であり、過酷だったはずです。開導聖人の滅後、ここぞとばかりに繰り広げられた誹謗中傷やいやがらせ、ゆさぶりを、その一身に受け止め、ただひたすら御法大事、本門佛立宗の永続繁栄のためにご奉公をくだされ、最終的にはその問題の悉くを解決されました。

本門佛立宗が単なる新興宗教の団体と異なるのは、まさに、こうした二世日聞上人の、耐えに耐えて、しかし、ひたすらに譲らず、媚びず、ブレずに、積み重ねたご奉公によりました。

すべて偉大な師・開導聖人のお徳を守り、真実の仏教を未来へと受け継ぐため、日聞上人は命を削ってご奉公され、明治37年に法華宗五大本山の一つ、鷲山寺の貫首となり、同年11月には法華宗の管長となられました。これは、開導聖人の始められたご奉公のお立場や状況からすれば、想像もつかない画期的なことでした。しかも、明治43年には、かつて佛立教講を最も圧迫した妙蓮寺の貫首にも迎えられました。

これをもって、本門佛立宗は、確かな法灯を、信心の面でも、日蓮門下の宗門史の上でも、正統な系譜を有し、社会学的にも街角の占い師が設立したような新興宗教団体とは完全に区別されるのでした。

今日、日聞上人にお喜びいただけるようなご奉公をいたします、とお誓いいたしました。

今回は、長男を京都に連れて帰ってきました。暑い京都で、汗をかきながら、99年前にタイムスリップさせて、日聞上人のことを伝えようと思い、お参詣をさせました。

本堂内は招待の方々ですから、回廊に座って日聞上人の百回御遠諱にお参詣されました。ありがたいことだと思います。

とにかく、日聞上人のご奉公ぶり、ご功績、そのスピリットを伝えてゆきたいです。

長男、今日はいい子でした。この後、博子ちゃんに映画へ連れていってもらう約束をしてたからかな(笑)。

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