2015年8月29日土曜日

「呪殺」という言葉

「呪殺」という言葉を、久しぶりに目にした。

オウム真理教の事件後、宗教団体が引き起こした一連のテロ事件を理解するために密教を学んで以来だ。

オウム神仙の会というヨガのグループが暴走を始めた時、ヒンドゥー教というよりもチベット仏教などの奉ずる密教に傾斜していった。

「密教(みっきょう)」とは、仏教のいわゆる「顕教(けんきょう)」に対する言葉だ。

日本では空海の創始した真言を指していたが、現在はインドやチベットに継承されている後期大乗仏教を総じて呼称する。

その名のとおり「秘密の教え」という意味を持っている。

これに対して「顕教」は、秘密にすることなく、明らかに説かれた教えである。

こうした区分は密教の優位性を説くために空海が設定したものだが、私は仏教の本質を壊しかねない乱暴な解釈だと思う。

すでに、空海については拙著『仏教徒 坂本龍馬』で矛盾を指摘した。

その指摘は空海の自伝小説を書いた司馬遼太郎の言葉を引用したものだが、私自身は全くそのように空海や密教を理解している。

「空海はさらぬ抜け出し、密教という非釈迦的な世界を確立した。密教は釈迦の思想を包摂してはいるが、しかし他の仏教のように釈迦を教祖とすることはしなかった。」

ほぼ、司馬の『空海の風景』の冒頭に出てくる文章だが、まさに彼らの「仏教」というものの本質を言い得ていると思う。

報道では、8月27日の午後、僧侶の集団、自称「呪殺祈祷僧団四十七士(JKS47)」が経済産業省前に集まり、「呪殺」という幟を立てて「呪殺」のための祈祷したという。

チベット仏教の創始者の一人、ドルジェタクは呪殺の名人であったという。

ダライ・ラマはドルジェダクという呪術師を信奉している。彼の自伝には、チベット脱出の直前、苦悩する中でドルジェダクを憑依させる専門の霊媒師を訪ね、ドルジェタクの霊を呼んで、彼に進退を問いかけていた。

今なお、チベット仏教徒が信奉しているこのドルジェダクという人は、敵を呪い殺すのに長けていたとされる人物だった。彼については、オウム真理教によるテロ事件が起こり、宗教者、仏教者が何ら事件の総括を行えずにいる中で、正木晃氏が『性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光』(講談社選書メテエ / http://www.amazon.co.jp/dp/4062582570)という名著を出版して一石を投じてくれた。

密教、いや宗教の中の「奥義」なるものに潜む深い闇。

なぜ、オウム真理教が誕生し、彼らは無条件に殺人を受容し、教祖に対して性を開放していたのか。

本当に、闇は深い。

ドルジェダクが提唱していた奥義は、「無上ヨーガ・タントラ」というものだった。

その儀式は、西欧の秘儀などよりもおぞましい。

まず、師となる者が処女の女性と性交し、射精する。

その精液と血を、2つに分けて取り出し、弟子となる者が飲み干す。

その後、弟子がその女性と交わるが、射精はしてはいけない、というもので、この儀式を行ったものだけが出家することを許されたという。

実は、現在でもチベット仏教の出家式では、ヤクのミルクと赤い染料の水を弟子が飲み干すことになっている。

それは、このドルジェダクの儀式のなごりである。

果たして、これを「仏教」と呼べるか。

先日来、妙深寺から支援活動に入っていたカトマンドゥは「魔都」と呼ばれていた。

仏陀の仏教が、時間の中で発酵してゆく時、様々な化学反応が起こったのは事実である。

しかし、密教化は、仏陀の説いた仏教のエッセンスを飛び越え、発酵というにはあまりにも乱暴な方法で、時代に同化し、人びとに同化し、「宗教」という魔物に同化した。

仏陀は、人間の創始した「宗教」というものから離れたとすら思えたのに、密教は人間の求める「宗教」というものに、いかんなく「仏教」を放り込んだように、私には思える。

いずれにしても、「呪殺」という言葉を久しぶりに聞いた。

しかも、仏教徒から、僧侶から。

「ダイバーシティ」という掛け声のもとに、何でもアリの時代なのだろうが、仏さまの教えも、お坊さんも、何でもいい、誰でもいいというなら、何も無いのと一緒だ。

何でもいいなら、何も無い。

安易な自己解釈が、とんでもない禍根を残すことになる。

敢えて言うなら、どんな宗教団体でも、宗教者でも、常に権威的になる誘惑があり、教条主義に陥る甘い罠があり、ある意味で密教化する要素を多分に持っている。

私たちも、私も、持っている。

そう自戒すべきことは、仏教史が証明している。

ドルジェタクに代表される「呪殺」という密教的な儀礼や祈祷は、顕教の「祈願」と本質的に異なるものであることを明確に示さなければならない。

密教的なこと。

人生を空虚にし、誤らせる密教的な危うさは、東欧キリスト教に出現した鞭身派、ラスプーチンやオカルティズムの行方とあわせて検証してゆかなければならないことなのだが。

とにかく、本当に、こうした集団が「仏教」や「僧」の名の下にいることが嘆かわしい。

これを起点として、正しい仏教の解釈、生きた仏教への注目が集まることを期待したい。

これでは、仏教が世の中の希望であると、言うことも出来なくなる。

はたして、本当にそれは仏教か、仏教のエッセンスを継承しているか。

産地偽造や、遺伝子組み換え仏教なんて、とても食べられないし、健康に害があることを知って欲しい。

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・スッタニパータ第1章8「慈しみ」145〜147句 (清潤校閲)
他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも強剛なものでも、
悉く、長いものでも、大きいものでも、
中ぐらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

・慈悲の瞑想
~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

 この世界には仏教という希望がある。

「願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(法華経化城喩品第七)

佛立開導日扇聖人 御教歌
「となへよや 上行所伝の題目に 秘事も口伝も入った物かは」

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