理解するには忍耐がいる。
1951年9月6日、 サンフランシスコで開催された対日平和条約の締結と調印のための会議。
理解するには、忍耐がいります。
時間をかけなければならないし。
待たなければならないし。
簡単に、パッと、シュッと、というわけにはいかないから。
辛抱して、ちょっと我慢して、やっと手に入るもの。
真実というものも、大切なことも、そういうものだと思います。
京都佛立ミュージアムの「トランクの中の日本 戦争、平和、そして仏教」の展示に、新しい展示資料が加わりました。
1951年9月6日、 サンフランシスコで開催された対日平和条約の締結と調印のための会議。
戦勝国が、今後の日本の処遇を話し合った会議で、セイロン(スリランカ)のジャワルデネ(ジャヤワルダナと表記することもあります)代表の演説。
この時の、スピーチの原稿(精密複製)と、会議場でのスピーチの音声データ、そのスピーチの翻訳全文が、特設したiPadとヘッドフォンによって、ご視聴いただくことができます。
「理解するには忍耐がいる」というのは、これほどまでに大切な、貴重な資料であるのに、なかなか語り継がれていないし、取り上げられずにいることと、こうした資料を用意し、機会を設けても、なかなかじっくりご覧いただけないと思うからです。
忙しくて、慌ただしくて、楽しいことがいっぱいある、便利な世の中だからでしょうか、深いところにある実相を見るための忍耐が、弱ってしまうのかもしれません。
理解するためには忍耐がいります。
何とか、じっくり読んでいただきたいと思う文章、スピーチです。
先の戦争と、戦後の歩み、戦勝国の思惑、超大国の相克、その狭間にあった国々の思い、願い、平和への約束。
京都佛立ミュージアムを訪れたら、長文ではありますが、時間も必要になりますが、戦争と平和、そして仏教を理解するために、少しだけ我慢して、読んでいただきたいです。
どうか、京都佛立ミュージアムが全文を翻訳したスピーチを、お読みください。
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私たちに示された平和条約案について、51カ国に対して今、セイロン政府の意見を述べる機会を与えてくれたことを大変な名誉と考えております。私の声明はこの条約を承認する理由を示すもので、かつ、公平な批評を述べるものです。本来なら我が政府のみを代表して話すべきことですが、日本の将来に対する一般的態度について、アジアの国民感情を代表できる内容と考えております。
この平和条約が最終草案に仕上がるまでの経緯について論じる必要はありません。それはアメリカ代表のダレス氏とイギリス代表のケンネス・ヤンガー氏が、1945年8月の日本の降伏にまで遡って、充分かつ公正な説明をしてくださったからです。しかしながら、この草案の採用手続きに関して、四大強国の間に深刻な意見の相違があったことについては触れておかなければならないと思います。
ソ連は、四大強国、つまりアメリカ、イギリス、中国、ソ連の外相会議のみが草案作成に着手するべきであり、そしてもしそれ以外の国が加わる場合は四大強国に拒否権が保障されるべきであると主張しました。
イギリスは、英国自治領にも意見を求めるべきであると主張し、アメリカはそれに同意しました。この両国はまた、対日戦争に参加したすべての国にも相談すべきだという立場を支持しました。これらの諸国の間にでも、条約の実際的な条件については意見の相違があったからです。ある国は、新たに軍国主義的な日本が台頭することを恐れ、またある国は日本の侵略による被害と恐怖がいまだに忘れられずにいるのです。
そんな中で、日本の完全独立ということが初めて立案され、考慮されたのは、1950年1月に開催された英連邦外相によるコロンボ会議の席上であったことを私は敢えて申し上げたいのです。コロンボ会議で示した日本の事例は、決して日本だけの問題というわけではなく、世界の富と人口において大きな割合を持ちながら、自由を求め、今なお苦しんでいる南アジア・東南アジアの問題の一部なのです。この会議で示したのは2点。1つは日本独立のことであり、もう1つは南アジア・東南アジアの人々の経済・社会発展の必要性です。これらを確実にするために、現在コロンボ・プランとして知られる計画が始まったのです。
イギリス代表のケンネス・ヤンガー氏は、コロンボ会議のあとに英連邦高級実行委員会が草案作成に入った経緯、そしてアメリカ代表のダレス氏ともそれについて協議したことを説明してくれました。いま私たちの眼前にある条約は、これらの協議と折衝の結果であります。その中に我が国の見解のいくつかは反映されていますが、そうでないものもあります。それでも私は、これが現時点で日本との平和を議論したい国々が到達し得る最大の平均的同意を反映していると主張したいのです。
セイロン、インド、パキスタンといったアジアの国々の主な考えは、日本は自由になるべきだ、ということです。そしてこの条約はこの考えを全体として具現化しています。
もちろん、日本の自由が対外的にどこまで及ぶかについて、諸々の問題はあります。
・自由は本州、北海道、九州、および四国にとどまるべきなのか?
・それともその自由は近接する小さな島々にも及ぶべきなのか?
・もしそうでないならその島々をどのように取り扱うべきなのか?
・台湾は1943年のカイロ宣言に基づき中国に返還されるべきなのか?
・そうであれば中国のどちらの政府に返還すべきなのか?
・中国を講和会議に招くべきなのか?
・そうであればどちらの政府を招くべきなのか?
・賠償金を日本から取り立てるべきなのか?
・そうであればその金額は?
・日本が防衛力を造りあげるまで、日本はいかにして自国を守るのか?
日本の自由という中心問題について、私たちは究極的には同意することができましたし、この条約にはそれがよく表現されています。一方で様々な意見の相違はありましたが、しかしこの条約には大多数の見解が具現化されています。我が政府は、それら様々な相違については別の場所で解決されることを望んでいます。ですから諸問題について同意できないという一点でもって、この日本の自由と独立という中心概念を含むこの条約にサインを控えるという理由にすることはできないと思います。
私たちは、先ほど申し上げた諸問題について、日本が自由であれば解決できるし、日本が自由でなければ解決不能だと感じています。自由な日本であれば、国連を通じて、世界の他の自由な国々と諸問題について議論を交わし、早期に満足できる結論に達することができるでしょう。この条約を締結することで、日本はそれが可能になるし、日本が望むならば中国とも友好条約を結びうるし、また私にとって嬉しいことですが、インドとも友好条約を結びうるでしょう。しかしもし私たちが条約を締結しなければ、それらの可能性が失われてしまうのです。
アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのでしょうか?
それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、アジア諸国の中で強大かつ自由であり、私たちが守護者・友人として仰ぎ見た日本に対して抱く深い尊敬のためです。
私は、先の戦争中に起こったことを覚えています。民衆に示されたアジア共栄のスローガン。それを見て、ビルマ、インド、インドネシアの指導者が最愛の祖国が解放されることを望んで日本に協力したのです。
我がセイロンは幸いにも侵略されませんでした。しかし、空襲や東南アジア方面の大規模な軍隊駐留、そして我々の主要産物であるゴムの残虐な搾取によってダメージを受けました。セイロンは連合軍にとって唯一の天然ゴムの供給源だったのです。私たちには、その損害を回復するように求める権利があります。
しかし、私たちはそうしようとは思いません。なぜなら、私たちはアジアの数百万の人々を救済した偉大な仏陀の言葉、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ慈悲によってのみ止む」を信じているからです。この言葉が、南アジアを通じてビルマ、ラオス、カンボジア、タイ、インドネシア、セイロンに人道主義を広げ、北の方へはヒマラヤを通じてチベット、中国、そして最後に日本へと広がりました。この思想は何百年ものあいだ共通の文化・財産として、私たちを結び付けてくれました。そしてこの文化は今も生きています。
私は先週、この会議に参加する途中に日本を訪問しました。日本の指導者や大臣、一般市民、そして僧侶に会い、私は彼らがいまだに仏陀の平和思想の影響を受けているという印象をもちました。
私たちは彼らにチャンスを与えなければなりません。それこそが、私が、日本の自由を制限すべきであるとするソ連代表の提案に同意できない理由です。
ソ連が課したい制限――たとえば自由な国家が与えられるべき自衛力の維持に対する制限などさまざまなもの――は、この条約の締結を難しいものにします。それはここにいる大多数の国の代表にとってのみならず、この会議に参加していない国にとってもです。特にこの条約以上のものを望んでいるインドにとってはそうでしょう。そもそも、もし再びソ連が、カイロ宣言やポツダム宣言に反して琉球や小笠原諸島の日本返還を求めるのなら、なぜ彼らは南樺太や千島列島を日本に返還しないのでしょうか?
ただし、ソ連による修正案には興味深い点もあります。それは日本人に基本的な表現の自由、報道の自由、宗教・政治的出版の自由、集会の自由を保障しようという点です。それらの自由はソ連の国民こそが切に望んでいるものではありませんか。
だからこそ、私たちはソ連による修正案に同意できないのです。
この条約は日本に対して主権と対等と威厳の回復を約束するものであり、そこに制限をつけてしまえばそれが不可能になるからです。この条約の目的は次のようなものです。
・日本を自由にすること。
・日本の復興に何の制限も課さないこと。
・日本が外部からの侵略や内政の破壊に対する自衛力を組織することを認めること。
・上記が達成されるまで日本が友好国に援助を求めやすくすること。
・そして日本の経済に損害を与えるような賠償金を課さないこと。
この条約は、敗北した敵国に対して寛大です。
私たちは、日本に友情の手を差し伸べます。そして信じます。人類の歴史におけるこの戦争という一章が、本日記される最終ページによって終わり、日本国民と私たちが、平和と繁栄の中で人類の偉大さを味わうため共に歩む、最初の1ページが始まることを。
(日本語訳:京都佛立ミュージアム)
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