2015年8月6日木曜日

「戦後」であるために

どうして、こうした機会をいただけたのか、今でも分かりません。

しかし、7月中旬、読売テレビの山川さまからご連絡をいただき、終戦70年の私たちの取り組みについて3日間にわたって取材していただきました。

京都佛立ミュージアムでの展示、「トランクの中の日本 戦争、平和、そして仏教」という企画展に至るまでの模索、運営委員会の会議、長松寺の夜のお総講、そして今日。

昨年の今日、激しい雨の中、スリランカの青年たちを連れて、広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和祈念式典)に参列させていただきました。

彼らとの広島、京都、陸前高田への訪問は、永遠に忘れられない思い出です。

あの日、終戦70年となる翌年の参列を胸に誓いました。

あれから1年。

「ヒロシマ・アピールズ・ポスターズ展」の開催から、終戦70年特別展示「トランクの中の日本 戦争、平和そして仏教」を開催させていただくことができました。

本当に、こうしてさせていただきながら、何かに背中を押していただいているように思い、有難くて仕方がありません。

今回の展示でも、広島平和祈念資料館(原爆資料館)やスリランカのジャヤワルダナ・センターのご協力をいただいており、本日資料館の学芸員室を訪問して、御礼をお伝えすることが出来ました。

ありがとうございます。

大原先生と出会い、熊巳武彦氏の著書『ピカッ、ドーン!(原爆) 九死に一生を得た一銀行員の記録』(大原哲夫編集室刊)とも出会い、広島との接点は深まり、重なるばかりでした。

JAGDA広島の川上さま、JAGDA長崎の皆さままで、ご縁をいただいて、お力添えをいただいて、ご奉公させていただくことができました。

ちょうど10年前、スミソニアンでエノラ・ゲイの前に立った瞬間、バシッという巨きな音とともに館内中が停電したこと。

個人的なことですが、あの日から、何か今日までのことがつながって、終戦60年から70年へ、挑戦してきた色々なことが、ひとつのゴールを迎えたようにも思い、そして、さらに強い決意を胸に、新しい挑戦へ向けてスタートを切れたように思います。

ただ、模索しているだけの僧侶に映っているかもしれませんが、山川さんが丁寧に、真剣に取材してくださり、読売テレビの「かんさい情報ネット ten!」という番組で放送していただけるとのことです。

終戦記念日の前日、8月14日の放送となりそうです。

また、詳しい日時が分かりましたら掲載させていただきます。

松井広島市長の「平和宣言」の中にあった「原爆の実相」「被爆の実相」という言葉が心に残りました。

「実相」

法華経の最も重要な教理の一つに関係する言葉です。

本当の姿。

真実の姿。

見えているようで、見えていない真理、真実のこと。

語り継ぎ、体験的に、「実相」を知らなければならないのだと思います。

今日、8時15分、平和の鐘の音が、広島の空に響いていました。

ふと、ブラジルのことを思い、美しい、そして悲しく切ない鐘の音を聞きながら、黙祷を捧げていました。

今日、熊巳武彦さまの甥にあたられる、熊野さまとともに参列させていただくことが出来ました。

すべて、ありがたいです。

「戦後」であるために。

人間の恐ろしさ、愚かさの象徴。

人間の見た、愚行、蛮行、狂気の殺戮、正気で行われる大量虐殺。

ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマ。

そこに共通する、人間の愚かさ、業や性について、知らなければ、繰り返す。

まだまだ、できることがあると思いました。

まだまだ、足りないと思いました。

ヒロシマで。

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