2016年7月27日水曜日

サイコパスと仏教

宗教者として、深く思索しなければならないと思い、様々な角度から自問自答を繰り返し、ご宝前に問い続けています。

「サイコバス」という言葉を、報道番組の中で、何度も耳にしました。

「サイコパス」とは簡単に言うと、「良心」や「善意」というものを「持っていない人間」と定義しているそうです。

「感じない」のではなく「持っていない」という表現に恐ろしさを感じますが、この「サイコパス」という言葉や定義をもって今回の相模原で起こった連続殺人事件の容疑者を評しているようです。

専門家が「サイコパス」が引き起こした顕著な実例という今回の事件。

良心を持っていないという「サイコパス」という人間の存在を、宗教者である私はどう考えるのか。

高祖日蓮大菩薩が最高能判の書と言われる『観心本尊抄』にあるお言葉。

「無顧の悪人猶妻子を慈愛す、菩薩界の一分也。」

「無顧の悪人」とは「何もかも顧みない悪人ですら自分の妻子にだけは愛情を抱く。人の心に菩薩界があることを示している。」

極悪非道の者ですら、一分の菩薩心がある。

十界互具、一念三千。

報道を聞いていて、僕たち仏教徒は挑戦されているのだと思いました。

本当に、一分の良心もない、そう思える凶悪な、残忍な、犯罪。

しかし、そうであるのに、仏教では、そこに一分の仏性があると説く。

「説く」ではなく「ある」。

なのに、「反社会性人格障害」の「サイコパス」という定義では、ないと言う。

極悪、残忍、凶悪な犯罪を目の当たりにすれば、そうも思います。

事件後、インターネットやツィートを見ると、胸が悪くなるような、容疑者を称讃し、賛同するかのような言葉に出会い、さらに世の闇を痛感しました。

広がり続けている-。

しかし、、、、。

だからこそ、僕たちは、挑戦されていると思うのです。

人間とはなにか。

悪魔は、外にいるのではなく、内側にいます。

神も、外側にいるのではなく、内側にいます。

だから、人間は、悪魔にもなれば、ホトケにもなる。

残忍さ、凶悪性は、自分の中にもある。

なにが、それを押しとどめ、なにが、それを増幅するのか。

ほとんどの人は特別に意識しなくてもバランスが取れる。

しかし、「無顧の悪人」をはじめ、多くの人がバランスを失い、99%まで悪魔に心を乗っ取られてしまうようになる。

いろいろなことを突きつけられていると、つくづく思いました。

この世のこと、人のこと。

日曜日、後輩の病院を訪れました。

本当に、意識不明に近い状態の後輩、苦しんでいます。

しかし、その病院は、100床以上あるベッドのほとんどが、意識のない、人工呼吸器をつけられている方々ばかりが入院なさっているところです。

ドアの中を見ると、そのほとんどの方が、意識不明のまま、経管栄養を入れて寝ておられる病院でした。

後輩の転院を含めて、何とか意識の完全回復、復帰を願い、出来る限りのことをしてゆきます。

しかし、あの病院から少し先に走ると、今回事件が起きた病院があります。

僕たちの住む街から遠く離れた、地の果てにある大変な施設のように感じます。

多くの方々が、ご家族が苦しんでおられる。

重度の障害を抱えた方々の病院や施設の実際は、私たちには想像を絶する大変さを抱え、その現実が毎日続くということ。

僕の父も意識不明で49日間、退院するまで約半年間入院していました。

その時のことを、思い返します。

この社会は、人間の本性をあまり見ず、もしかすると都合の悪いことは僕たちの住むところから遠く離して、特別に隔離して、何とか保っているだけかもしれないから。

どれだけ訓練をしていても、恐るべき現実を見れば、たじろぎます。

この社会の壊れている部分、隠している部分が、突きつけられているのではないでしょうか。

挑戦されているのは、みんななのかもしれません。

昨日の夜から、宗教家として、考え続けています。

今日は京都で、いろいろな会議に出て、いろいろなことを聞いたり、話したりしていましたが、心はこんなことでした。

宗教家として、今回の事件を考えています。

「サイコパス」と「仏教」について、考えています。

それでも、人間の可能性、仏性を信じたい。

負けていられません。

南無妙法蓮華経。

「サイコパス」とは何か?
http://www.psy-nd.info/

「サイコパスとは?

サイコパスとは精神病質、あるいは反社会性人格障害などと呼ばれる極めて特殊な人格を持つ人々のことを指す言葉です。

極めて特殊というと、滅多にであう機会の無い特別な存在という感じがするかも知れませんが、実はそれほど存在する数が少ないというわけではありませ ん。

サイコパスにどれくらいの割合で出会うかについては、住んでいる国や地域、環境によっても差があるとされています。

しかし、少なくとも確率論で言えば、一度もサイコパス(あるいはそれに極めて近い人物)と関わらないで人生を終える人の方が少ないと言って良いで しょう。

そして、サイコパスの特徴を一言で表すなら、
良心や善意を持っていない
ということです。

私たちがコウモリのように音波で周りの状況を把握したり、猫のように暗闇で物を見ることができないのと同様に、サイコパスは良心や善意というような 感覚を持つことができません。

さて、良心や善意を持たないというのは一体どういうことなのでしょうか?

私たちは普通、どんな悪人にも少しくらいは心の底に良心を持っているだろうと無意識的に信じていると思います。

だから、サイコパスでない”普通”の人間からは、サイコパスの存在自体がイメージしにくいかもしれません。

サイコパスの思考回路に関して、マーサ・スタウト氏はその著書「良心を持たない人たち」の中で「支配ゲーム」と表現しました。

この表現を借りて言えば、サイコパスは他人の存在をテレビゲームの中に登場するキャラクターと同じくらいにしか見ていない…と考えると分かりやすい でしょう。

サイコパスは自分に関係の無い世界に存在する我々に同情も共感もしないので”退屈しのぎ”くらいの動機で人を騙したり、傷つけることをためらいません。

私たちは何よりも先に、サイコパスという人々が現実に存在し、自分もその被害に遭うかも知れない、ということを認識しておくべきなのです。」

「サイコパス・テスト」というものもあるそうです。
http://www.psy-nd.info/diagnosis.html

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