2016年7月4日月曜日

石崎さんを偲ぶ会、ありがとうございました。

昨夜、長野から戻り、石崎さんを偲ぶ会を開かせていただきました。

海で仕事をしている方々が多く、最も忙しいはずの日曜日なのに、茅ヶ崎、鵠沼、江ノ島、材木座、逗子、葉山、東京や、千葉からも、40名以上の方々が遠く三ツ沢まで来てくださり、本当に申し訳なく、ありがたく、感謝、感激でした。

突然の訃報を聞き、お通夜に駆けつけた夜。

こんな風に、妙深寺で、ご回向させていただけることになるとは思ってもいませんでした。

勇気を出して、奥さまとお話してよかった(涙)。

ご家族みんなで、石崎さんのご遺骨、ご遺影をお供くださり、祭壇に安置して、しっかりと回向法要の一座を勤めさせていただきました。

告別式などのご回向の際、妙深寺ではいつも「歎読」という言上文をお作りします。

故人の一生を振り返り、その行軌をご宝前に言上させていただきます。

石崎さんの一生を、奥さまやお姉さまお聞きして、作らせていただきました。

この16年間、全く連絡できずに過ごしてしまいました。

最近のことが分からなくて、伊部さんや周囲の方にお聞きしたり、インターネットで調べたりしていました。

亡くなった後、石崎さんの追悼文を載せてくださった雑誌があり、その写真を送っていただきました。

この10年間、石崎さんは「PWCフィッシング」という分野を開拓していて、第一人者として雑誌に連載のコラムを持ち、沖縄などへロケに行ったり、大会を主催したりしていたとのことでした。

インターネットでも「石崎師匠」などと紹介されていて、追悼文には「日本PWCフィッシングの父」と書かれていました。

初めて知りました、そうだったのですねー。

とにかく、ここで、しっかりと納められるように、ご宝前に向かって言上させていただき、御題目をお唱えいたしました。

45人もの方々、アホのナガマツがこんなお坊さんになっていてビックリされた方が多かったと思いますが、石崎さんのためにお集まりくださり、一緒にお参りしてくださり、本当に感謝です。

昨夜、本当にしみじみ、いろいろなことを考えていました。

お会いできた、お一人お一人、来てくださることは簡単ではなくて、本当に貴重で。

レジェンドのような大先輩、仲間や友人、後輩まで、疎遠になっていたのを、哀しいけれど、石崎さんが呼び、会わせてくれたようにも思います。

もっとしっかりしなきゃ。

坊主にも少しは出来ることがあると、当たり前のことかもしれませんが、そう思えました。

別世界に行っていたように思っていた自分は、やはり間違いでした。

僕が修行してきたこと、修行していることは、もっと皆さまにもお返ししなければならないと思えました。

生きている間に、石崎さんとも話をたくさんしたかった。

これがいいねとか、これはおかしいとか、人生のいろいろなこと。

でも、パパならすぐ冗談を言って、まともな会話にならなかったかなー(笑)。

仕方ないなー。

とにかく、昨日、みんなで話をしていましたが、本当に同じ時間を過ごした若い頃の思い出、実際に共有した時間、為したこと、作った時代、その仲間や友人は、どれだけお金を出しても買えないんですよね。

過去は買えない。

本当に宝物だと思いました。

先輩方は、本当に先輩。

18歳の僕たちだったから、28歳、30歳といったら、もうすごく上の上の方々でした。

体育会系ですから、今でもその座組は変わりません(汗)。

「おい!学連ー!」と呼ばれていたのが懐かしかった。

それでも僕はむちゃくちゃに生意気で、すぐ誰とでも喧嘩していたそうです、昨日小暮くんにそう言われました(笑)。

本当に、たくさんの方々に来ていただきました。

せっかく三ツ沢のお寺まで来てくださった皆さまに、妙深寺のお教務さんや清和会さんが協力してくれて、盛大なご供養を準備してくれていました。

差し入れもたくさんいただきました。

本当に、ありがたいです。

石崎さんがくれた機会。

これから、この今生のご縁を大切にして、もっと、もっと、果たせること、為せること、成すべきことを、バカだった自分なりにさせていただきたいと思います。

まず、お見舞いに行きたい!

とにかく、本当に、本当に、ありがとうございました。

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