ありがとうございます。
日々の夏期参詣、早朝からの参詣受付やお給仕係、ご供養当番など、尊いご奉公をいただき、本当にありがとうございます。
この数週間、関東地方でも大きな地震が頻発しています。いつ巨大地震が起こっても不思議ではないとも報道されています。「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉を何度でも思い返して備えておきたいものです。
七月末、大奥さまがおケガをされてしまいました。思ってもいなかったことでした。朝から晩まで、病気の方やおケガされた方のために毎日お寺の中を走り廻ってくれていました。疲れてフラフラしているので、少しは休むように言っても無理を重ねていたように思います。
長松寺、妙深寺と奉修させていただいてきて、先住の御年回の最後を飾る法深寺の開導会です。その前日にケガをしてしまうとは、本人も心から口惜しかったようです。「私がバカだった」「反省している」と、何度も言っていました。確かに疲れすぎていましたし、忙しすぎたので、手術をした後はリハビリに専念し、これからは無理をしないで欲しいと思います。
しかし、私たちにとって、先住の最後の御年回の前日に大奥さまがおケガされるということはどういう意味があるのかと、考えてみました。
私にとって見れば、母がいてくれたからこそ、先住のご遷化以来十六年間、私のような者が住職としてご奉公を続けてくることが出来ました。先住が御遷化になられてから数年間、庫裡の中は毎日がお通夜のようでした。妙深寺のことも、男子が一人になってしまった長松家のことも、どうしていいか将来が全く見えなくなりました。会話もなく、寂しい日々だったように思います。しかし、母は私以上にいろいろなことを思っていたと思います。
ですから、いろいろな日がありましたが、こうしてご奉公が出来ているのは、自分の気持ちを抑えてでも、ご信心を第一にして、妙深寺を守るため、長松寺を守るために、首尾一貫して私を支えてくれてきた母のご奉公のお陰と痛感しています。
妙深寺の全体が、どれだけ大奥さまの存在やご奉公に支えられてきたか分かりません。教務部もそうですし、清和会も、婦人会も、教区のことでも、大奥さまに聞いていただいて、相談したり、励まされたりしながら、御利益をいただかれたという方がたくさんいて、その全てが現在の妙深寺の力になっていると思います。
このことを、先住の御年回の締めくくりに気づかせていただいて、まず母をもっと大切にするようにと、先住から教えていただいているように感じます。
そして、十六年も経っているのに、ずっと大奥さまのご奉公に頼り、寄りかかっているのではなく、もっとしっかりしなさい、いつまでそうして甘えているのだと教えていただいているように思いました。
初代日博上人も偉大ですし、先住松風院日爽上人も大変なご奉公をしてくださいましたが、今日の妙深寺にとって大奥さまのご奉公を忘れて語ることは出来ません。本当に、申し訳なく、有難く思います。
いずれにしても、災害は忘れた頃にやってくる。何事も、当たり前だと思って油断をしていると大切なものを失います。失ってから後悔するのではなく、やはり事前に思い返して備えておくことが大事です。
大奥さまは大丈夫です。大津の御導師が教えてくださった「なにくそのご信心」を持っておられます。不屈のご信心、佛立魂です。僕たちも見習いましょう。
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