大雨となった五山の送り火。
負けずに灯した火は、いつにも増して強い想いがこもっているように思います。
谷崎潤一郎は、生まれ育った東京を離れて京都に棲み家を移し、名作を残しました。
「もはや今の東京を自分の故郷とは思ってゐない」
しかし、夏の暑さと冬の底冷えに耐えかねて、再び京都を離れたそうです。
「それほど好きな京都を見捨てた主な理由、いや、唯一の理由は、あの溜まらない夏の暑さと冬の底冷えである。」
なるほど。
本当に、京都の夏は暑いし、冬は心底寒い。
そうではあるけれど、この夏の暑さと冬の寒さがあればこそ、香しいほど京都の秋の美しさや麗しさ、春の明るさや暖かさが感じられるというもの。
そのように、井上先生が書いている。
そうですね。
そう思わないと。
午後、一人で留守番をしていた麩屋町で、ちょっと表に出ようとしたら、大切な方とお会いしました。
偶然というには、あまりにもあり得ないタイミングで。
もう少し早く出ていたら、もし顔を出していなかったら、すれ違っていたはずです。
涙を流しながら、お話をすることが出来ました。
今日の、この時間にも感謝しています。
うだるような、午後の、暑い京都で。
もう、雨も止んだかな。
五山の送り火は、先に旅立った、大切な方を想う日。
常にお盆、常にご回向と教えていただく私たちのご信心とは異なるけれど、その想いは理解できます。
愛する人を、かの世界に送り出す、お見送りの火と。
南無妙法蓮華経、、、、、、。
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