きちんと考えたい、宗教と政治のこと。
残念ながらこれからも日本政治に変化は起こりそうもない。野党はバラバラで与党は大きい。財界も米国も自民党でなければならない理由があるし、全体主義や専制国家が攻撃的になっている今は民主主義が後退しても強力なリーダーシップを求めるのも理解できる。
とはいえ、日本政治のブラックボックスに光が当てられた。そこに蠢く人びと、繰り返される権力闘争。
旧・統一教会が、日本で最も影響力を持つ政治家・安倍元首相をはじめ、政権与党の数多くの議員、さらには第2次岸田改造内閣の副大臣・政務官計54人の中の約半数が旧・統一教会と接点や関係があったこと。
宗教団体が政治家に近づき、政治家が宗教団体に近づく理由。少し前に書いたけれど、そこには世界政治にも直結する課題や問題があります。結局、宗教が分からないと、世界が分からない。
こうした問題が起こると「信教の自由」を取り出して「戦前のようになってはいけない」というコメントをする人がいます。憲法第20条の「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」という文言のことを言っています。
しかし、彼らは憲法20条のその後を恣意的に読んでいません。その部分を読まなければコメントできないはずです。
憲法第20条
「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」
宗教団体が政治に接近する理由が「特権を受けること」や「政治上の権力を行使」つまり「政治上のパワーを利用する」であってはならないと制限、戒めているのです。
平和や家庭をテーマに掲げて、トランプ元大統領や安倍元首相がビデオメッセージを送る新興宗教団体、関連団体、教祖夫妻。それだけで世界有数の政治上のパワーを享受していることにならないでしょうか。
政治家と宗教団体の、抜き差しならない関係。その上での、駆け引き、やりとり、盟約。
霊感商法など多くの問題が取り沙汰された新興宗教団体との関係は、憲法違反に匹敵しないでしょうか。信教の自由とは別次元ですから、しっかり検証していただきたい。
京都佛立ミュージアムもアル・ゴア元米国副大統領からビデオメッセージをいただいたことがあります。しかし、これはむしろゴア氏に本当に申し訳ない。なんの見返りもない、ただ一介の坊主の私がお手紙を書いて、無償で応えてくださった実例です。感謝しかありません。
怖い人に借りを作ると後で大変なことになる。
拉致問題の解決のために旧・統一教会の教祖の力を借りたとか、トランプ氏も金正恩との会談実現に彼らの力を借りたとか、そういう話もあります。確かに旧・統一教会には北朝鮮と太いチャンネルがある。
とんでもないことです。
拉致問題は絶対に解決しなければならない問題ですが、かといって国内で反社会勢力に問題の解決を依頼したらどうなるか。問題になるだけではなく、その後の見返りはどうするんだ?どうしたんだ?という話になります。政治家として、ギリギリ、反社ではなく、宗教でもなく、別の方法を選ぶべきは当然です。
憲法第20条。今の日本政治に、宗教との正しい距離や関係が保てるかどうか。宗教者も、人間が最後に拠りどころとする宗教を守るために、政治に向き合えるかどうか。
政治とは権謀術数の世界だとしても、あまりにも残念な出来事が続きます。
名・体・宗・用・教。五重玄義の冒頭に挙げられる「名」とは宗教では最も大切なものと学びます。ですから「宗名」を変えることは極めて重要なことです。
なぜ、「世界基督教統一神霊協会(統一教会)」は宗名を「世界平和統一家庭連合」に変えたのか。2015年、安倍政権下のことです。なぜか。
この理由が知りたい。宗名とは宗教団体にとって最も重要な、宗義的にも、社会的にも、最も大切なことです。
宗派の名前から「キリスト教」も消え去り、「神霊」も消えました。そして「平和」と「家庭」が掲げられた。
それでは何の宗教かも分かりません。その名前ならば問題のある宗教団体であったことも全く分かりません。一般の誰もが普通に希求する「世界と家庭の平和」を推進する団体のように思えます。しかし実態はそうではない。実際、文部科学省も「実態が変わっていないのに、名前だけ変えることはできない。こういう考え方で認証はできない」と指摘していました。
しかし、名称は変更され、今日を迎えました。稀代の政治家は凶弾に倒れ、政治と宗教の闇に脚光が当てられています。
近年、マーケティングではなく実際にネット上の情報を操作し、特定の情報を埋めたり、隠したり、上げたりできるようになりました。本当に便利で、怖い時代に突入しています。
権実雑乱。玉石混淆。リアルガチに、誰かと会って、目を見つめて、人物を見て、一からコミュニケーションを見直し、やり直して、信じたり、判断したりしなければならない時代です。
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