カラカラカラカラ、クルクルクルクルー。
かわいいマウスかラットか分かりませんが、ケージの中でおもちゃの車を回して走る。
彼らは楽しそうに回すけれど、少しかわいそうに見えます。いい運動にはなりますが、どこにもたどり着かない。それが分かるから少し寂しく見える。
御教歌「くるくるとくるしかりけり人間は 車をまはすかひ鼠より」
もし、それが人間ならば、もっと苦しいはず。虚しいはずです。どこにもたどり着かないのに、必死に走ってる、やみくもにクルクル、カラカラ、バタバタと回ってる。
それが分かったら、それが分かるから、苦しい、虚しい。
いったい、自分は何をしてるんだろう、なんなんだろう、なんで生きてるんだろう、そうなります。
人間として生まれ、気づいた人から、生き返る、生きて甲斐ある命の使い方をしよう。それが仏陀の教えです。
ありがたくも人間に生まれて、はからずも仏陀の教えに出会った。ということは、最幸の生き方、命の使い方をしよう、ということです。
もちろん、それでも相変わらずバカなこともたくさんするんです。凡夫だから。バカなこと、悔やまれることを繰り返す。
人生を振り返れば、後悔することも、情けない日も、きっとたくさんある。あった。
何が正しいか分からなくて、人を傷つけたこともあると思います。あやまちか、間違いか、よく分からないままに、罠にハマって、落とし穴にも落ちて、落とされて、恐ろしい目に遭った、とんでもないことをされた、思い出したくもないトラウマ、悪夢、地獄、そんな経験のある人もいます。
愚かな自分を振り返り、まともに過去を思い返せば、罪深く、罪障深く、煩悩強く、イヤになるような、泣きたくなるようなこともあるかもしれません。
凡夫、ですから。謗法と、罪障の深い、凡夫、だから。仕方ない。末法の凡夫である以上、お互い様です。まず、その自覚が、大切なんです。
恥を知らなければ、恥ずかしいことは分かりません。恥ずかしいことを知らなければ、大切なことも分かりません。
愚かさ、バカさ、アホらしさ、虚しさ、悲しさを、知る。無力感というか、情けなさというか、そういう自覚も、仏道修行の最初にあります。
その上で、御法さまにお出値いしたということ。
ですから、つくづく、無始已来、です。
謗法と罪障を消滅し、、、、、です。
あぁ、ありがたや、まれに、、、、、です。
願わくは、です。
仏陀の教えに出会っても、末法悪世に生まれてきた凡夫。凡夫の姿、凡夫の人生、凡夫の運命、凡夫の謗法と罪障、煩悩を持って生まれてきた。背負っている。
疲れるし、嫌にもなるし、ヘソも曲がるし、愚痴もでる。御法さまにお出値いしたにもかかわらず、欲に溺れそうになったり、怒りに我を忘れあり、怖い人にフラフラと付いていったり、嫉妬したり、意地悪したくなったり、そんな時もある。心が散り散りになる。浮き沈む。すぐ離れようとする。
そうした人を、そうしたことを、何度も、何度も、見てきました。
でも、自分に対しても、他の誰かに対しても、諦めてはいけない。
だからこそ、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、です。
凡夫だけれど、凡夫だけれど、凡夫だけれど、ということです。
思い返して、励もうよ。
正気を取り戻して、やり直そうよ。
やる気を出して、頑張ろうよ。
そういうことを、教えていただいているのだと思います。
常夏のハワイでのご弘通も悩む必要はないと思います。日本人のイメージが常夏の避暑地、世界的な観光地、憧れのハワイであるだけで、そうであるならばスリランカも同じ常夏の観光地です。
世界中のどこであろうと、そこにいる人たちは生きることに努め、心の安穏を求めているはずです。四苦八苦、無常から逃れられる人はいません。
もちろん、暖かければ毛布はいらないし、豊かな自然があれば植物も育ちやすい、飢える確率は低くなります。ただ、それだけで観光地や避暑地であっても生きてゆくことの大変さを挙げたら切りもありません。
お水が4ドル、5ドルするなんて、大変です。貧富の差、物価高、厳しい側面はたくさんあります。
「くるくるとくるしかりけり人間は 車をまはすかひ鼠より」
本当の、心の豊かさや、穏やかさ、涼しく、しかも力強い、どこにも偏らず、縛られない自由な心を、仏陀の教えと修行にあることを、明確に示し、実証として説き明かすことが大切だと思います。
ホノルルは朝になりました。
南無妙法蓮華経
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