2023年10月26日木曜日

鬼になる前に


「人道」という言葉など硝煙に消え果てています。人類最大の火薬庫が爆発しています。


歴史学者 ユヴァル・ノア・ハラリ氏のインタビューを観ました。残念ながら半ば失望しました。


あれほど俯瞰的に人類の営みを捉えたハラリ氏をもってしても結局は歴史や宗教の呪縛から逃れられない。家族が攻撃を受け、無惨に殺傷されたら、誰もがそうなるでしょう。


大切なことは、まだ当事者でない人びとが、この紛争の根底にある原因、憎悪の連鎖を生み出す核心について目を向けることだと思います。


2003年11月、今から20年前、一人で中東パレスチナ、イスラエルに行ったのは、たった一つのバイブル、『旧約聖書』に端を発する3つの宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の原点に触れ、その対立の核心を知るためでした。


女性や子どもも巻き込む無慈悲な攻撃、多くの市民が犠牲になることを知りながら行われる爆撃。


これまでも無差別爆撃、原爆投下など、人間の凶悪性を象徴する戦争の惨禍はありました。それらの検証や反省は今後もなされていくべきです。


しかし、この中東の地の紛争においては、やはり「宗教」を外して理解することは出来得ません。よくよく、『旧約聖書』にある神と人間が交わしたとされる文言を知るべきです。


旧約聖書冒頭の「ヨシュア記」で、神はモーゼの次にイスラエルの王となったヨシュアに対して、約束の地を奪還するための戦争を開始するように命じます。


「主はヨシュアに言われた。『恐れてはならない。おののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も町も周辺の土地もあなたの手に渡す。(後略)』(中略)

その日の敵の死者は男女合わせて一万二千人、アイの全住民であった。ヨシュアはアイの住民をことごとく滅ぼし尽くすまで投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。」(ヨシュア記 第八章第一、二十五、二十六節)


『旧約聖書』の中で展開される物語。それは3大宗教を信奉する方々にとっては大切な史実。ヨシュアは神に戦争の方法を手引きされながらラッパを吹き鳴らして戦争を開始します。


「七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。『鬨(とき)の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。(中略)金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物倉に納めよ。』角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音(ね)を聞いて、一斉に鬨の声をあげると城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした」(ヨシュア記 第六章第十六、十七、十九~二十一節)


「これらの町町の分捕り品と家畜はことごとく、イスラエルの人々が自分たちのために奪い取った。彼らはしかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった。主がその僕(しもべ)モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおりにした。主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった」(ヨシュア記 第十一章第十四、十五節)


ヨルダン川を渡りつつ、村々を焼き払い、女性や子供までをも殺戮しながら、ヨシュアは約束の土地を奪還することに成功するのです。ヨシュアがこのことを神に報告をすると、神は彼を褒め称えます。


こうした『旧約聖書』の内容を、どれだけの人が知っているでしょう。


「主はヨシュアに言われた。『彼らを恐れてはならない。わたしは明日の今ごろ、彼らすべてをイスラエルに渡して殺させる。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、戦車を焼き払え』(ヨシュア記 第十一章第六節)


偉大なる存在に気づくことは大切です。それは人生にとって価値あることに違いありません。


ですから、神の存在を知り、神の前にひざまずき、神の前で謙虚になること、神のために慈悲深く生きること。それだけであれば尊いと言えます。


しかし、その根本に、バイブルに、このような神と人間のやりとり、「史実」があったならば、どうでしょうか。それは、危険な遺伝子にはならないでしょうか。そう思いながら、20年前、私はパレスチナの地を歩いたのです。


『旧約聖書』にある神から与えられた土地=「約束の地」は、およそ2000年ぶりに建国された現在のイスラエルの国歌にも反映されています。


イエスの時代を記述したといわれる有名なヨセフスの『ユダヤ戦記』にはユダヤ人たちがローマとの戦争に突入する様子を見て、冷静なアグリッパス二世がエルサレムで行った長い演説が載せられています。


「戦いに乗り出す者はみな、神の助けか人間の助けにより頼むものだ。しかし、その助けがどちらからも来なければ、戦いをする者たちは必ず滅びを選び取る。いったい何が、お前たちが自分自身の手で子や妻たちを殺め、このもっとも美しい祖国を焦土にしてしまうのを止めることができるのだ。お前たちがこのように狂気に突っ走れば、その得るものは敗北の不名誉だけだ。」


王はこう語ると妹と共に涕泣しました。しかし、ユダヤの民衆はこの王を追放して戦争へ突き進みました。そして、無惨にも敗北し、祖国を失い、流浪の民として2000年間を過ごしたのでした。アグリッパス二世とは新約聖書の「ヘロデ王」の子に当たります。


残念ながら『マタイによる福音書』には、愛を説くイエスの言葉としては驚くような言葉があります。


「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣(つるぎ)をもたらすために来たのだ。私は敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。」マタイによる福音書 第十章第三十四~四十節)


神学的な解釈は様々に成立します。しかし、『旧約聖書』からこれらの言葉を読めば、ここにも危険な遺伝子が垣間見えるのです。


愛する人を傷つけられて正気でいることは極めて困難です。人間は仏にも菩薩にもなれば、修羅にも鬼にもなる。


憎悪の連鎖と増幅が、この瞬間にも起こっていること。エルサレムの壁の上で、もう、どうにもならない無力感に陥った20年前。人類を束縛するあまりにも巨大な重石を目の当たりにした感想でしたが、今こそ呪縛から解放される努力をしなければならないと思います。


鬼になる前に。

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