私だけカトマンズに残り、最終日の朝を迎えました。万が一翌日もフライトが遅延すると大切なご奉公が出来なくなるため安全策を取りました。
別院まで戻り、朝を迎えました。たった一人で本堂に寝かせてもらいましたが、住職の私にとってはそれがよかったです。おはからいです。
夜、KAHOちゃんのご祈願のお看経もさせていただけたし、何よりも一人で本堂に寝ることが出来て、これまでにない安らぎと思索の時間を得ることが出来ました。ありがとうございます。
5ヵ国の参詣団一行はルンビニに移動しました。遅れたからこそ、これまでで一番のマーヤー・デーヴィー寺院への訪問になったのではないかと思います。写真を見て、そう感じました。
ネパールは仏教の創始者・ブッダの生まれた国です。この場所が発見されなかったら、ブッダは実在の人物ではなく架空の存在のようにされていたかもしれません。
下記はWikipediaにもある情報ですが、今一度、知っていただきたいので掲載します。
1992年からマーヤー・デーヴィー寺院の解体修復工事に合わせ、ルンビニー開発トラストの要請により全日本仏教会が発掘調査を行いました。
訪問すると実際に見ることもできますが、この発掘調査で寺院中心部から70センチ×40センチ、厚さ10センチのマーカーストーン(印石)が発見されました。これはアショーカ王による石柱の建立以前から釈迦の生誕地を示す標識として置かれていたとも考えられます。
寺院は建設当初から東西26メートル、南北21メートルの外壁に囲まれ、この2700年間で6期にわたり増改築がなされていたことが判明しました。遺物の中からは銀や銅の貨幣、装飾れんが、ガラスや水晶の玉類、石柱の破片などが見つかっています。
この仏教の4大聖地(ルンビニ、ブッダガヤ、サールナート、クシーナガラ)の中でも、特にマーヤー・デーヴィー寺院には、アショーカ王が巡礼したときに建立された石柱、釈迦が産湯をつかったという池などが残っており、1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
この場所でガウタマ・シッダールタ(釈迦族の王子・後のブッダ)は、生まれました。母である摩耶夫人(まやふじん/ぶにん マーヤー)が出産のために実家へ里帰りする途中、このルンビニ(藍毘尼) の花園でガウタマ・シッダールタを産んだのです。
「ルンビニ」の地名は多くの文献に記載され実在していたことは確認されていましたが具体的な位置は分かりませんでした。ですから、ブッタを伝説上の人物とする可能性も語られていたが、1896年にインド考古局のアーロイス・アントン・フィーラーの発掘調査により、ブッタ生誕の地を証明する遺跡が数多く発見されたのです。
まず、仏舎利塔から黄金の舎利容器から人骨が発見されました。さらに、マウリヤ朝第三代王、仏教の庇護者として知られたアショーカ王が「ブッタがこの地で生誕したのでルンビニ村の租税を軽減する。」と刻ませた石柱が発見されました。これらの証拠、エビデンスをもって、この地がルンビニであり、ガウタマ・シッダールタ(ブッダ)が史実の人物であったことが証明されたのでした。
いずれにしても、今回のツアーでルンビニを表敬し、御本尊さまを奉安して一座の法要を奉修できたことは、何よりもありがたいことでした。
「願わくばこの功徳をもってあまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん」
ありがとうございます。
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