2007年7月10日火曜日

うつ病を乗り越えて

 昨日は教区御講(導師御講)。夜は事務局運営会議で、新事務局が発足して間もないため、新しいメンバーによる新しい視点の提案が出され、非常に内容の濃い会議となった。深夜までのご奉公、ありがとうございます。
 教区御講では、各教区の受持御講師と教区を代表するご信者さまがお寺までお迎えに来てくださって、奉修するお宅(お席)まで伺う。車の中ではお迎えの方と僅かな時間だがいろいろなお話ができる。
 昨日は小山さん(女性)がお迎えに来てくださっていた。車中、いろいろとお話を聞く。驚いたのは、私としたことが今まで気づかなかったのだが、彼女は『うつ病』を患っておられたという。3年前が一番苦しかったということだった。自分の中で、表現の仕様のない不安と恐怖が渦巻いて、電車にも乗れなくなってしまったというのだった。
 しかし、お話をしていてフッと気づいた。小山さんがご信心に前向きとなり、お参詣やご奉公をされるようになったのは、ちょうど4年前くらいだった。確か、宇田さんのお席にご夫妻でお参詣されるおり、私は今までお会いしたことのない方であったためにご挨拶をさせていただいた。その後、しばらくしてその奥さまである小山さんがお参詣をされるようになった。その教区はお年寄りが多かったために、3年ほど前から50代の小山さんに「部長」というお役を受けていただいたのであった。逆算してみると、一番苦しい時期に「部長」というご奉公をお受けになったということになる。
 小山さんは「電車に乗ること、車に乗ること、そういうことが全部怖くなってしまって、どんどん怖くなってしまった」と言われた。そう、うつ病の方は、いろいろなことが重なり、心が満タンになってしまって、違う考えが引っ張り合う。引っ張り合って、分かっていてもどんどん悪い方向に考えが行ってしまって、そしてそれが増幅してしまう。小山さんもそうであったと聞き、みるみる痩せてしまったというのだ。
 私は今まで、幸いなことにこうしたご奉公をずっとさせていただいてきた。それは「心の病」とも言って良いのだが、あまりにそうしたご奉公が多かった。「統合失調症(数年前まで分裂病と呼ばれていた)」、さまざまな「神経症」、特にうつ病。自殺未遂や登校拒否という症状、世間的には「憑依」といわれるような状態のご奉公もさせていただいてきた。自分なりにこうしたご奉公を通じて、御題目の尊さを実感させていただけたこともあるが、同時にそうした問題を抱えている人へのアンテナや対処を心懸けていたつもりだが、小山さんの場合は全く気づかなかった。
 いつも、こうした状況を聞く時には、ゆっくりと、そしてあっけらかんとお話しするようにしているのだが、「死にたいと思ったことはあったの?」と聞くと、「はい、何度もありました。何度もこのまま電車に飛び込んでしまおうと思っていたんです。だから怖かったんです」と答えられた。
 ほんの数日前も小田原駅で新幹線への飛び込み自殺があり、昨夜は母と幼い子が電車に飛び込んで二人とも死亡したと報道があったばかりだが、同じように心に悪循環を抱えて、いわば「心の病」で苦しみ、死を選択する、死の誘惑に負ける、という人がたくさんいる。数年前の小山さんも同じ状況だったということだが、私には全く気づけなかった。
 「ご奉公をさせていただいて、普通の人は6年も7年も苦しまれるというのに、私の場合はこんなに早く良くならせていただけて、本当に嬉しいです。太ってきてしまいましたー(笑)」と笑って話をしてくれる。「本当だね、有難いね。本当に有難い。ご信心のおかげ、御題目・ご奉公のおかげだね、間違いないよ、小山さんのお話をお聞きして、それが証明できた」と。
 本当だ。一番辛い時にこそ、何の迷いもなく「お寺に行く」「御法さまに助けてもらう」という純粋な気持ち、行動だけしっかりと持っておく。何も人を信じろと言っているわけじゃない。御法さまを信じる。そして、実際に「行動」する、「行動せざるを得ない」というご奉公を自分なりにしてみる。プレッシャーに感じるのではなく、そういう一切の思惑を捨てて「させていただく」という中に深い闇からの出口がある。本当にそれを証明してくださっている。
 うつ病の方から感じるのだが、一度うつ病になると、心の中から「信」という一点が抜け落ちてしまう。何も信じられない。誰も信じられない。自分も信じられない。過去も、今も、未来も信じられないという状態になってしまう、そうなっていると思える。そして、「信じる」という機能は完全に停止しているのだが、「考える」という機能は普通の人の何倍も動き続け、働き続けていると思う。頭の中には、ニュースの声、誰かの会話、ずっと以前に誰かから言われた言葉、自分が言った言葉などが、消えることなくグルグルグルグルと渦巻いて、どんどん膨らんでいく。そういう状態を消し去るには「信を取り戻すことだ」とアドバイスするのだが、「信じろ」と言って信じられる人などいない。だから、出口が見えない。
 小山さんは恥ずかしがりながら、「佐々木さんや、たくさんの方に支えてもらったからこそ、こうして良くなれたんです」と仰った。ありがたい。妙深寺の方々は菩薩だ。有難い。
 こうして、一人一人に、正しい「信」を取り戻して、うつ病という現代病とも言える苦しい病を乗り越えてもらいたい。妙深寺は「駆け込み寺」でも良い、そうした方々を一人でも多くお救いしたい。

0 件のコメント:

今年もいよいよ大詰めですー

いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...