2007年7月30日月曜日

親からの宗旨を変えて

 昨夜は参議院選挙だった。テレビ各局は選挙結果についての報道に終始していた。

 私はといえば、相模原・妙現寺の開導会にお参詣させていただき、夕方帰山をして選挙に行った。妻や子どもたちが同伴してくれた。少しの時間、家族と久しぶりの散歩。投票所まで。

 深夜、神奈川では水戸まさしさんに当確が出た。嬉しかった。

 私が出掛けている間に、ローマからゆりさんがお参詣くださったという。残念ながらお会いすることは出来なかった。夏期休暇で日本に戻っておられたのだ。麻樹ちゃんが帰ってこられたことは知っていたのだが、ゆりさんもローマから帰国されていたのだ。ゆりさんはイタリアの方と結婚され、20年近くイタリアに住んでおられる。ゆりさんご自身も素敵な方だが、3人の元気で素敵なお子さん方に恵まれ、麻樹ちゃんのお勧めでご信心をされるようになった。

 私もローマに行った際には、お助行をさせていただいた。最近は麻樹ちゃんのお宅で週に一回口唱会が行われており、そこにゆりさんも、時にはお子さんもお参詣されていると聞いた。ゆりさんの家は、まるで美術館のようだった。なぜなら、ゆりさんは家具を作るという豊かな趣味を持っておられて、素晴らしいデザインの椅子やテーブルが随所に置かれていた。家そのものがゆりさんの作品。

 日本に帰国される度に、横浜・妙深寺にもお参詣くださり、昨日も20分くらい本堂で一人でお看経されていたという。お会いできなかったのは残念だが、昨日は私の母と育児のことなどを話して盛り上がっていたのだそうだ。お参詣をいただき、楽しく、豊かな時間を過ごしてくださった。ありがたい。

 妙現寺での開導会。鈴江御導師の御法門は、心に染みるものだった。

御教歌「親からの宗旨をすてゝ孝行の とむらひとなる妙な法哉」

 世間の人は、親の言いつけを守る、受け継ぐことが親孝行だと思う。それは当然で、尊いことだ。しかし、ご信心の面では違う。親からの宗旨を変えることや親不孝だと思う人が多いかも知れないが、法華経本門の教え、上行所伝の御題目は、その逆であり、親の宗旨を捨てて本当のご回向ができる、孝行が出来るということを知らなければならない、と。

 お祖師さまの御妙判にある「烏龍」と「遺龍」のお話を引かれて、分かりやすくお説きいただいた。親である烏龍は大変な書家であったが、同時に儒教をこの上なく敬い、決して仏教仏典を書いてはならぬと息子の遺龍に遺言した。

 遺龍は父の言葉を固く守って、決して仏典を書くことはしなかった。しかし、ある時宮廷に呼ばれて、仏教を書くことを強要される。重ねて断るが、父も私の家来であり、その家来の言葉を聞いて皇帝の申しつけを聞けぬというのは本末転倒である、書け、書かぬと首を刎ねる、と言われて、泣く泣く仏典の中身ではなく、法華経の最初にある語、即ち題目のみ書いたという。

 家に戻って父の霊前に懺悔し、泣き伏せていると、彼の前に雲の上から天人の降りてくる気配。どのような奇瑞、どなたであろうかと思っていると、何とその尊い天人は父である烏龍であった。その烏龍の言葉を聞くと、自分の書いた書の功徳によって、大変な果報をいただいた、私が間違っていたという。重ねて、お前が私の誤った申しつけを守るのではなく、法華経の題目ばかりを書いてくれたお陰なのだ、と。

 こうした御法門を聴聞させていただき、私たち凡夫の情愛の中だけでは見えてこない御仏の教え、因果の通り、三世を超えた功徳の回し向かせる方法を知る。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ありがとうございます。文書のことですが、遺龍と烏龍は、烏龍が親で遺龍が子供だったように記憶しております。by汀州

Seijun Nagamatsu さんのコメント...

ごめんなさい。間違いでした。訂正しました。清潤拝、

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