2007年7月13日金曜日

お寺は修羅場

 ちょっと書いておく。

 これから1ヶ月、お寺にお参詣されることが多くなるので、野暮や無粋かも知れないが、老婆心とて書いておこうと思うことがある。

 私は、先代の御住職から「お寺は修羅場だぞ」と教えていただいたことがある。その教えは、簡単な会話の中で出てきたのではなく、厳命のように重く伝えていただいた。たぶん、私のお気楽な考えを心配してくださってのお言葉だと思う。

 私は、妙深寺の住職として、今のお寺にお参詣くださる方々を心から尊重し、尊敬し、感謝し、共に菩薩行をさせていただく同志と考えさせていただいている。そして、今の妙深寺には思いやりと慈しみを持った方々が集まってきてくださっていると思うし、そういう輪が広がっていると思う。

 しかし、先住は仰った。「お寺は修羅場だぞ」と。それは、やはりお互いは三毒強盛の凡夫であるということを忘れないこと、一癖も二癖もある凡夫が集っているという自覚。諦めではないが、お互いは凡夫であるということを弁えないと、期待ばかりが膨らんで、ご信者同士の感情のもつれや気持ちの行き違い、時には険悪な雰囲気や恐ろしい言葉に戸惑ってしまう。それでご信心が落ちるようでは仕方がないと教えてくださっているのだ。

 子どもの頃、私は一人でバスに乗っていた。妙深寺は神大寺か中丸で降りるのだが、反町あたりでご信者さんが乗ってこられた。いつもお寺で見かける優しい優しいおばさんだった。ところが、そのバスの中では、すっごく険しい顔で、その態度も子どもながらにとても不快に思うものだった。結局、バスの中で気づいてご挨拶したのだが、その時の顔の変化は今でも忘れられない。「なんで?お寺であんなに良い人なのに?」「裏と表がこんなに?」と思って、父に話をしたものだ。子どもだったから、その印象も強烈だったのだと思う。

 私たちは凡夫。三毒という「貪欲」「瞋恚」「愚癡」が、毒にも似て自分を苦しめる。私たちは三毒が強く盛んであり、なかなかこれを解毒できずにいる。だから、お寺の中は修羅場のように「言いたいことを言える場所だ」と思って乱暴な口ぶりをする人があるかもしれないし、「お寺なんでしょ!いいじゃない!」と言って甘えてわがままになる人もいるかもしれない。あるいは、お寺の中の役職や信歴を盾にして言葉や態度が不遜になってしまう人がいるかもしれない。それもこれも含めて、末法であり、末法のご奉公なのだ。

 そういうことも、先代の御住職の教えをいただいて、私は何とかバランスを取りたいと思っているし、凡夫丸出しの方にはしっかりとお折伏させていただきたいと思う。
 いくら、今の妙深寺が素晴らしいといっても、時にはトラブルやガッカリすることもある。その時にも、ご信心の腹で、ご法さまを見据えて、「本来はそうではない、凡夫のなせる業」という気持ちを持ってもらいたいと思う。

 開導聖人は数多くの御教歌で、こうしたご信者の生き方、所作振舞、信者間の問題についてお示しになられている。

「言の葉と身の不行儀をたしなめば それで世間の常の人なり」
「よの人のさがなしごとをまた人に つたへてわれに罪なつくりそ」
「十悪は殺盗婬に貪瞋痴 妄語と綺語と悪口両舌」
「こゝろせよ自屈上慢二乗心 これは信者の中のかすなり」
「信者をば十人よせてながむれば 八人までは不の字つくなり」
「まなほなるよき信者をば軽しめて 無智とあざけるものしらずかな」

 ちょっと、野暮かもしれないが、とても大切なことなので、夏期参詣の初日に当たって書いてみた。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ありがとうございます。

本山宥清寺青年会の遠藤恵です。

昨日は、清潤師と一緒に青少年の一座の御奉公をさせていただき

本当にありがたかったです。うれしかったです。

清潤師の御法門や、ブログに書かれているお言葉がむちゃくちゃ胸に響き

いつも涙が出そうになります。

本当にありがとうございます。

ありがたいです、本当に。

Seijun Nagamatsu さんのコメント...

恵さん、
ありがとうございます。
本当に、本当に、青少年の一座のご奉公、ありがとうございました。
プロでも出来ないほど、石井くんと恵さんの司会は上手でした。特に、こちらの都合で、ギリギリまでシナリオを変更したのに、その全てを完璧に対応してご奉公をしてくださった。ただただ、「ありがたーい」です。
ブログを見てくださっているなんて知らなかったよ。嬉しいよ。
ありがとう、本当にありがとう。
また、今後も一緒にご奉公させていただきたいと思います。
このご奉公の功徳は、絶対に離れず、火にも焼けず、水にも漂わず、誰も取れず、きっときっと御法さまのお見守りとお導きがたくさなる。たくさんの『サイン』が感じられると思う。
ありがとうございます。

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