2007年7月26日木曜日

スリランカへの招待状

 スリランカへの招待状を作成している。今年の10月、本山宥清寺での高祖日蓮大菩薩御正当会式に併せて海外特別委員会と全世界地域代表者会議を開催する。そこにスリランカを代表してAbey氏とGamage氏を招待することになっているからだ。

 この写真は、私が清顕と二人でスリランカのご奉公に行かせていただいた時の、最終日に撮影したもの。私の隣におられるのがAbey氏で黄色いシャツを着られているのがGamage氏。お二人とも本当に頭の下がる情熱的なご奉公をされており、この日などは5時間くらい運転した後の笑顔の写真である。

 スリランカの南部。カタラガマから国立公園を横切って帰ってきたところ。カタラガマはスリランカの人々が信奉する聖地。そこには、ありとあらゆる願い事を叶えてくれるというヒンドゥーの神が住んでいると信じられている。通常、ヒンドゥーを信じているのはタミル人。仏教徒はシンハラ人考えられている。外国から見ていると、そのタミル人とシンハラ人の抗争がスリランカの悩みの種であるテロを誘発していると単純化して理解してしまう。

 しかし、本当はそうではないし、テロを起こしているグループはタミル人の中のほんの一部の狂信的なリーダーに率いられた人たちであり、タミル人の方々はコロンボにもたくさんいる。そして、おおらかな人たちが多いのだから、対立することもなく共に暮らしているのである。このカタラガマもヒンドゥーの聖地といわれるが、実際には仏教の聖地としても有名な場所であり、混在しながら一大宗教都市として民族の枠を超えて信仰されている。スリランカ全土から熱心に巡礼者を集めるカタラガマ。コロンボからの道は無いと言われていたが、最近は道が良くなり、コロンボから5時間ちょっとで行けると言われた。

 しかし、その道は最後の最後にはジャングルの中に突入し、驚くことになったのだが。いずれにしても、こうした僻地や聖地にまで御弘通が進展していることがすごい。

 一人で数千軒のお教化をされているお二人。貧しい人から病気の方、あらゆる分野の方々にご信心の大切さを説いておられる。お二人は、法華経への信仰、日蓮聖人の御書についての理解が大変に深い。そして、上行所伝の御題目の確かな御力、息吹を感じておられる。また、当然ながら小乗仏教の説く教えに対しても理解が深く、その小乗仏教の僧侶の方にまで法華経の精神、お祖師さまの教えを伝えようとされている。
 私は、このカタラガマで最も大きく、スリランカ全土から尊敬を集めているといわれる寺院に連れて行かれた(言い方が悪い?)。その場所を借りてセレモニーを行ったのだ。この時も、お二人からの説明はそこそこで、「では、ここでセレモニーを行うので、よろしくお願いします」と。Gamage氏が英語からシンハラ語に通訳してくれたので、現地の方々(何でも願いが叶うという聖地に巡礼したり、住んでいる方々)に対してスピーチをさせていただいた。彼らのプロフィールを考えても、大変に難しい御法門、ご奉公だった。

 ただ、リーダーであるお二人のご信心が、本当に強く、素晴らしいので、私のご信心も燃える。高まる。ブッダが法華経で何を説かれたか、ブッダの教えの根本は何か、その尊い御力について、それを手にすると何か変わるのか。お二人は、本門佛立宗のご信心を弘めることによって、人々の暮らしが良くなり、生き方がネガティブからポジティブになり、国も良くなると確信しているのだ。本来、その天についての揺るぎない思いが、お祖師さまの教えを本当に理解したということなのだから。
 私は、スリランカの国教とも言える小乗仏教の僧侶とお会いする時、敬意を払いながら対話するようにしている。そのように福岡御導師にご指導いただいているし、実際に「謗法の僧だ」と決めつけて(実際はそうに違いないが)、文化や伝統を頭ごなしに否定するようなことが「折伏」だとは思わない。単純に、お教化する気持ちでご奉公するだけだ。開導聖人は「獅子武者は嫌い」と仰せであるし、「アレルギー性謗法症」のようでは御弘通など出来っこない。ただただ、上行所伝の御題目をお伝えする、流布するというご奉公。

 このカタラガマの御住職はすごかったー(笑)。怖かったぁー(笑)。ホント。セレモニーの前、ご挨拶に行ったのだが、応接間には大統領の写真が大きく飾ってあった。お二人から「この場所には大統領が必ず参拝することになっています。それほどの聖地であり、ここの御住職はスリランカ仏教界の中でも大変な力を持っているのです」と聞いた。

「あぁ、どんな人かなぁ」と思って待っていると、マーロン・ブランドのような、もの凄くコワイ顔の御住職が入ってこられた。しかもすごく不機嫌そう。「あー、どーしよ」と思っていたのだが、お二人もそそくさと部屋を出て行ってしまう。会場の準備があるとか言って。セレモニーの前に、私とその方、二人だけになってしまった。なんで?あれ?

 しかし、しょーがないので、スイッチを入れて次から次へと話をさせていただいた。私がお会いした他のスリランカの僧侶の方の名刺を出したら、「これは私の勉強の師だ」と言い、少し心を開いてくださった。「うわっ、よかったぁ」と思いつつ、ちょっと心の鍵を見つけたように思えた。

 立て続けに私がセレモニーの中でお話をしようと思っていた写真を次々に出した。もちろん、父の怪我の時の写真など。その写真には、コワイ御住職のスイッチも完全に入ってくださった。ありがたーい。「なるほど、うわー、これはキミのお父さんかね」「はい」「このような事故は私も知っている。そこから回復したのかね」などなど。

 続いて、本門佛立宗のお話。日本の宗派の中でも決して大きくないということ(私はこれを誇りに思っている)、決して巨額の資金を投資して発展途上国に入り込もうなどという日本の新興宗教ではないし、同時に政治活動などをする団体ではないということをお話しした。すると、そうした日本の宗派をよく知っているらしく、いろいろな意見交換をさせていただけた。

 ご機嫌が良くなった御住職は、当初は「お客さまが来るので、私は参加できない」と言っておられたが、なんと会場にも来られて、ふんぞり返りつつもイスに腰を下ろして 私の話を聞いておられた。私は、その前でスピーチすることになったのだから、とても緊張したが、そこは持ち前の図々しさで、「まっ、しょーがない」と覚悟してご奉公させていただいた。緊張しても仕方ない。そういう時は、御法さまとお参詣されているご信者さん、縁者の方々のことだけを考えて、見て、自分にできる精一杯のご奉公をさせていただくしかないのだから。背伸びをしても意味はないし、卑下しても、緊張しても仕方ない。

 ご信者方は大変に随喜してくださった。同時に、若い僧侶の方は「私も御題目口唱の修行をさせていただきたい」と言われた。彼はとても綺麗な眼をしていて、この前のアヌラダープラの法要でも再会することが出来た。不思議なご縁である。

 御住職はといえば、お客さまが来られたと言うことで途中で退座された。私は「機嫌を損ねたかな?」と心配したのだが、控え室に戻ると顔を出してくださって、開口一番「ナムミョウホウレンゲキョー」と何度も何度も私の顔を見て唱えてくださった。「君の話は素晴らしかった」と言ってくださって、大安心。ありがたかったぁ。

 こうした綱渡りのようなご奉公をさせていただいて、失敗を繰り返しながら少しづつ成長させてもらっているというのが実状。

 とにかく、こうしたご奉公の中心的お二人が10月に日本に来られる。素晴らしい交流を期待している。

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