2011年5月13日金曜日

「王舎城の悲劇」の舞台・ビンビサーラ・ジャイル

ブッダより5歳年下のマガダ国王ビンビサーラは、ブッダの有力な帰依者として今日まで知られている。15才でマガダ国王となり、16才にはブッダに帰依したと伝えられるが年齢が合わず判然としない。

ビンビサーラ王は強大な国力をもって東インド有数の国家を作りました。マガダ国とコーサラ国は競合関係にあり、ブッダの活動は微妙な政治問題になっていたかもしれません。しかし、ビンビサーラ王は最後まで一族をあげて真摯な帰依を貫きました。

竹林精舎を寄進したのもビンビサーラ王であり、ブッダが長い晩年を過ごされた霊鷲山(グリドラクータ・耆闍崛山)への石段を造営したのもビンビサーラ王です。この緩やかな坂は、数千年を経た今も「ビンビサーラ道」という名前で呼ばれているほどです。

そのビンビサーラ王は息子アジャセ(阿闍世・アジャータシャトル)に怨まれてしまいました。「アジャセ・コンプレックス」という精神分析用語もあります。しかし、これは少々事実と違います。

「観無量寿経」には「王舎城の悲劇」として伝えられていますが、父王ビンビサーラは息子アジャセに怨まれ、ブッダ入滅の7年前に幽閉され獄中で餓死したといいます。

ビンビサーラ王が幽閉されている間、ヴァイデーヒー(韋提希)夫人は身を清めて自分の身体に食べ物を塗り、王を見舞います。このことを門番から聞いたアジャセは激怒し、母親をも幽閉してしまいます。

失意の二人、特にヴァイデーヒー妃はブッダに救いを求めます。ブッダはこうした苦しみに至る過去からの因縁を説き明かし、人間の自己中心的なエゴというものの恐ろしさを示されました。苦しんでいた二人はブッダに救われ、自分自身の本当に姿に目覚めます。
ここには、現代まで延々と続いている家族の悲劇の典型があります。親が子を憎み、子が親を憎む。親のエゴは周囲に災禍を及ぼし、その災禍は自分に回ってくる。親を憎むことしか出来ない子も悲劇です。この悪循環から解き放たれるヒントが、この場所にはあるのです。

その答えは、ブッダの教えと信仰の中にあると信じます。

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