ビンビサーラ王は強大な国力をもって東インド有数の国家を作りました。マガダ国とコーサラ国は競合関係にあり、ブッダの活動は微妙な政治問題になっていたかもしれません。しかし、ビンビサーラ王は最後まで一族をあげて真摯な帰依を貫きました。
竹林精舎を寄進したのもビンビサーラ王であり、ブッダが長い晩年を過ごされた霊鷲山(グリドラクータ・耆闍崛山)への石段を造営したのもビンビサーラ王です。この緩やかな坂は、数千年を経た今も「ビンビサーラ道」という名前で呼ばれているほどです。
そのビンビサーラ王は息子アジャセ(阿闍世・アジャータシャトル)に怨まれてしまいました。「アジャセ・コンプレックス」という精神分析用語もあります。しかし、これは少々事実と違います。
「観無量寿経」には「王舎城の悲劇」として伝えられていますが、父王ビンビサーラは息子アジャセに怨まれ、ブッダ入滅の7年前に幽閉され獄中で餓死したといいます。
ビンビサーラ王が幽閉されている間、ヴァイデーヒー(韋提希)夫人は身を清めて自分の身体に食べ物を塗り、王を見舞います。このことを門番から聞いたアジャセは激怒し、母親をも幽閉してしまいます。
失意の二人、特にヴァイデーヒー妃はブッダに救いを求めます。ブッダはこうした苦しみに至る過去からの因縁を説き明かし、人間の自己中心的なエゴというものの恐ろしさを示されました。苦しんでいた二人はブッダに救われ、自分自身の本当に姿に目覚めます。
ここには、現代まで延々と続いている家族の悲劇の典型があります。親が子を憎み、子が親を憎む。親のエゴは周囲に災禍を及ぼし、その災禍は自分に回ってくる。親を憎むことしか出来ない子も悲劇です。この悪循環から解き放たれるヒントが、この場所にはあるのです。
その答えは、ブッダの教えと信仰の中にあると信じます。
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