アングリマーラは、当時のシュラーヴァスティーで殺人鬼として知られていました。彼はバラモンの言葉によって1000人を殺してその指を切り取り、それを首飾りにしていました。「アングリマーラ」とは「指の首飾り」という意味です。
アングリマーラは人々から恐れられました。ブッダはこのことを聞き、アングリマーラと街の人々を救うために出かけました。
人殺しを繰り返すアングリマーラ。ついに1000人目となる人間に出会った時、それは彼の母親でした。狂気に取り憑かれた彼は母親を殺そうとします。しかし、ちょうどそこにブッダが現れて彼を教化します。壮絶なやり取りがあったに違いありませんが、アングリマーラは正気を取り戻し、ブッダの弟子となりました。征伐を考えていた王も、これを聞いてブッダに全てを委ねます。
ブッダの弟子となったアングリマーラ。しかし、彼に家族を殺された者たちの心情は穏やかなはずもありません。街へ托鉢に出るたびに、罵られ、石を投げつけられ、時には暴行されてしまいます。しかし、それも仕方のないことです。
アングリマーラは、これらは全て自分がしたことの報いだと自覚し、これを静かに受け止めてゆくことこそ、深い罪を消滅することと思えるようになりました。ブッダの教えです。
そして、こうした日々の果てで、ついに彼は証果を得たと説かれています。
どうしようもない人間。救い難い人間。極悪非道の犯罪に手を染め、はかることが出来ないほど罪の重い人間。ブッダの教えを受け継ぐ者として、この故事を単なる古い物語とせず、宗教者としてこうした人々に対してどのように向き合うかを考えねばならないと思います。
俗な言い方ですが、私は、ブッダとアングリマーラのお教化のお話が大好きです。最後に、アングリマーラの故地を訪れることができてよかった。私を含めて、愚かで、罪深い人間が、変われる、救える、菩薩に生まれ変わるのが、真実の仏教であり、私たちのご信心です。
センスのある人がセンスを磨くだけの集団ではなく、大人しく穏やかで真面目な人だけを教化の対象にしているのでもありません。どうしようもない人間が救われないなら、真実の宗教とは言えない。
アングリマーラのような方々を教化できるような強いご信心、深い慈しみの心、幅の広いご奉公ができるように、前に進みたいです。
1 件のコメント:
ありがとうございます
インド団参中、お疲れ様です。
大変過酷な長距離移動のようですが
きっと1日1日が素晴らしいのだろうと
ブログから感じています。
このお話は以前淳慧師が御法門の中で
お話くださいました。
私も とても心に残っているお話でした。
コレイア御導師の「悪魔でさえも教化の対象です」と仰った言葉もとても強く心に残っています。
この御信心の有難さをあらためて
感じさせていただけます。
皆様の無事帰国帰山を祈っております。
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