2012年6月28日木曜日

三災七難

「三災七難(さんさいしちなん)」とは「天下の乱れは仏法の乱れによって起こる」という教えの具体的な現象と考えられる。

『倶舎論(くしゃろん)』では、火災・風災・水災の大の三災、穀貴・兵革・疫病の小の三災が説かれる。

「七難」とは、薬師経・仁王経・大集経・金光明経・法華経に説かれる。主に、�人衆疾疫難、�他国侵逼難、�自界叛逆難、�星宿変怪難、�日月薄蝕難、�非時風雨難、�過時不雨難が挙げられる。

元来「宗教」とは、「経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し,積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系」と、1881年『哲学字彙』はreligionの訳語を載せた。

日蓮という方は、まさに意を体現し、目の前に突きつけられた制御不能の災禍や事態に直面し、積極的に、正確に、これを理解しようと努め、命懸けで行動して、苦悩する人々に理解を促そうとした。

特に、正嘉元年(1257)8月23日に発生した「正嘉の大地震」の直後に執筆を思い立ったのが『立正安国論』である。『安国論御勘由来』には執筆の動機を自ら書かれている。

「私(日蓮)も災難の続出する世間の状況を観察し、これを一切経の文に照らし合わせて考えてみると、いろいろな祈祷に効験がなく、むしろ災難が増すばかりである理由を知り、その証拠を見出すことが出来ました。そこでこれは一大事であると考え、経文をもとに一通の勘文を書き上げて、文応元年7月16日午前8時、宿屋入道を通じて、今は亡き最明寺入道時頼殿に上申しました。これは日蓮の私情によるものではなく、ただひたすら国土の恩に報いるための心情にほかなりません」

長松清風(日扇聖人)は、この立正安国論の内容と海援隊の『閑愁録』の内容が同じであると絶賛されました。こうしたことを詳細に書き表したのが8月に刊行する『仏教徒 坂本龍馬』という本です。

私は、鎌倉時代の状況と幕末、同時にこの現代の世相が、不思議に合致しているのではないかと考えています。そして、正嘉の大地震、安政の大地震、東日本大震災という巨大な自然災害を目の当たりにして、私たち人間に気づくべきことがあると強く思っています。人類が新しい幸せの価値観に転換できるかが、試されているように思うのです。

すでに大震災だけではなく、風水害も多発し、原発事故もあり、ある意味で新型ウイルスよりも恐ろしい放射性物質が私たちを苦しめ始めています。日蝕も全国で観測されました。ほぼ、三災七難が短期間に凝縮して現れているように思えます。

社会不安を煽るつもりは毛頭ありません。ただひたすら、仏教的な視点で今の世相を見ていただきたいと思うのです。

�他国侵逼難は起こらないでしょうか。いや、これも現代の眼を開いて見なければなりません。現在の金融不安、あるいは為替の動向、さらにはエネルギー政策は、誰の、どこの、如何なる勢力によって掌握されているでしょうか。自国だけでコントロールできない状況は、他国からの支配を受けて進退に窮している国難ではないでしょうか。

エネルギーの安全保障とは、都合のいい言葉です。火を制する者が世界を制し、国を制し、民を制するのです。「エネルギー」という必要不可欠な資源は、すでに巨大な兵器以上に有効な兵器として、破壊力や抑止力によって国や民衆を支配しているように見えます。

そして、�自界叛逆難(内部分裂や同士討ち)という国難も、私たちの前にあります。今の政治状況を見ると、3年前の政権交代こそ自界叛逆難の始まりだったのではないかという疑義も浮かびます。

当時、人々は経済発展を続けてきた日本の統治機構や政治・行政システムが、右肩下がりの社会に適合しないと感じていました。組織そのものが腐敗し、巨額の税金を投じた施設が数千円で売り出されるなど公共施設のハコモノ行政が飽和状態にあり、国家としてのマネジメントが崩壊しているのではないかという感覚を国民は感じていました。

そこに登場した民主党は腐敗した政治・行政システムと戦い、変革させる勢力として認識され、その期待を集めて政権交代を果たしました。

しかし、この3年間を見ると対峙すべき勢力は清濁混交し、政治・行政システムの変革の前に、旧来の政党・政治勢力と合致して消費増税を進めるに至って、まさに「自界叛逆」したように思います。いま、問題は矮小化されて分かりにくくなっていますが、今後さらに自界叛逆の国難が激しさを増すように感じます。

官尊民卑の思想は、明治維新まで遡らなければ見えてきません。敗戦が日本のリセットであったと考えるのは早計です。明治維新にこそ国家的な誤謬がありました。ここに遡って、日本国の在り方を見つめ直し、日蓮という方が主張した国家観や宇宙観、人生観について考えていただきたいと思います。

物議をかもすことを前提にして、国家神道について書き、招魂社や靖国、憲法九条や政治についても触れました。触れざるを得ないのです。

その上で、人々の心の安穏が国や世界の安穏をもたらすという信念でした。

朝から面倒な文章ですいません。今の社会情勢が、厳しい「国難」であることを痛感し、その危機感が淡いものであることについて、さらに強い危機感を覚えたので記しました。

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