2013年12月4日水曜日

インドの本門佛立宗

インドの本門佛立宗。

新たに生まれたご弘通の輪。

手さぐりではあるけれど、リーダーのシェーカーくんが、一生懸命、地道に、活動を進めてくれています。

スリランカとは、近くても遠い、似て非なる国、インド。大きな文化圏としては一つでも、宗教も、思想も、民族性も違います。この点を理解しなければ、インドでのご奉公は出来ません。

スリランカに物乞いの子供たちはいませんが、インドではいたるところで見かけます。

根深いヴァルナ、カーストの楔。

先日、何故インドでは街の至るところにゴミが放置されたままになっていのか聞かれました。行政サービスが整備されていないという面もありますが、もっと端的に言えばゴミに触れられるカースト、ヴァルナが限定されているためだと考えられます。インドでは、街角でゴミを拾うことは、善意の徳行だと受け止められるよりも、自らゴミに触れられる低いヴァルナに属していることを表明するようなものなのです。

同じ国の中で、同じ民族の中にある差別。女性蔑視も含めて、インドにはカーストに起因する様々な問題があります。

国際化が進む現代では、こんなことを気にせず、オープンに生きようとしているインドの人たちも増えています。しかし、やはり、どれだけ、この宗教に根ざした差別が、人びとの幸せや、可能性や、社会の健全性や、発展を阻害しているか分かりません。

人間が、健全に、本当の意味で自由に生きてゆくために、仏陀は教えを説かれました。

「生まれによって賤しい人になるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」

「生まれを問うことなかれ。火は実にあらゆる薪から生じる。賤しい家に生まれた人でも、聖者として道心堅固であり、恥を知って慎むならば、高貴の人となる。」

2500年前、仏陀は明らかにカーストを批判し、ヴァルナからの解放を説きました。これが仏教です。その後、インドの仏教は衰退してしまいました。そして、現代になってもカーストはインドの人々を規定してしまっています。

自由に生きることは、簡単なことではありません。

実際、人間は、つまらない迷信やジンクスに囚われていたりするものです。自分自身の欲望や怒りや嫉妬も、自分を縛りつけ、自由を奪います。そのことに気づくのはとても難しいことです。その中にいると、自分がどれだけ愚かな考え方に縛られているか、分からなくなってしまいます。

仏陀が言ったとおりです。

「行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」

「行為」なんです。「行動」なんです。何を行ったか、なんです。

だから、お祖師さまは仰せです。

「釈尊出世の本懐は人の振舞にて候ひけるぞ」

あなたの振る舞い、つまり行動は、大丈夫ですか?何かに囚われて、縛られて、おかしなことになってはいないでしょうか。

仏教徒は仏教徒らしく生きなければなりません。インドに仏教を帰す、壮大なプロジェクトに挑戦している中で、仏教徒の原点をも確認しています。

「信とは行なり」

行為です。行動です。行です。アクションなのです。

インドで進む貧富の差。それは恐ろしいもので、寒村では毎年冬になると多くのお年寄りが寒さで命を落とします。それに対して、インド本門佛立宗、HBS Society of Indiaは、ブランケットをプレゼントするチャリティー活動を行いました。

シェーカーが、どうしてもお年寄りにブランケットをプレゼントしたいということを聞いていたのですが、先日、その活動の模様を撮った写真を送ってきてくれました。

大勢のお年寄り。そして、一人ひとりにブランケットをかけてあげるシェーカー。背後に、HBS Society of Indiaのバナーが見えます。すごいです。HBS、つまりインドで本門佛立宗のご信者さんが、手さぐりながらも、苦しんでいる方々のために、頑張って奮闘しています。

嬉しくなりました。本当に、問題はたくさんあるのだけれど、何としても前に進めたいのです。

行為。行動。アクション。

透き通った目、澄んだ目で見れば、見えるはずです。

耳をすませば、聞こえてくるはずです。

真実。

世界は、少しずつ変わっています。そう確信しています。

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