2015年1月31日土曜日

磯ラーメンの衝撃

情存妙法故 身心無懈倦。

変わりゆく陸前高田、雪降る東北から一気に横浜まで戻り、今朝。

青空だ。

清々しいー。

今日は妙深寺の住職をはじめ、僧侶(教務部)と僧侶の家族(清和会)がご供養当番をさせていただきましたー。

土曜日のご供養当番、御法門終了後は長蛇の列でしたー。

短い時間になってしまいましたが、住職の私もご供養当番に入らせていただきました。

いつも、いつも、ありがたい。

ありがとうございます。

慌ただしく厨房を出て、瀬川家からご挨拶をいただき、続いて門祖会の総打ち合わせ会議、続いて岩城家のご回向。

すべて、無事にご奉公させていただくことができましたー。

本当に、ありがたい。

昨日、柴田社長に連れていっていただいて、陸前高田名物の「磯ラーメン」をご馳走になりましたー。

本当に美味しくて、ビックリしました。

僕はあまりラーメンを食べませんが、どこにもないオンリーワンのラーメンって、磯ラーメンのことだと思います。

味が、磯の味。

それしか、言いようがない。

名物になるのも当然です。

「ラーメン店」という看板も出ていません。

海産物を扱っている通称「こん直(ちょく)」=「こんの直売センター」の隣りに併設された「御食事処」というだけ。

しかし、ここが全国の知る人ぞ知るラーメン店だというのです。

東日本大震災までは海岸沿いにあったそうですが、津波で流されて高台に移転しました。

お店が再開された時は、みんな大感激で、それこそ何時間も待つような長蛇の列だったそうです。

ほんとーに、美味しかったです。

何味かというと言えない。

「磯味」というのは「塩味」ではないし、言葉を探すと「海の味」としか言いようがない。

不思議な味で、しかも旨い。

陸前高田に行かれる時は、是非とも立ち寄ってみてくださいー。

「こん直」のラーメン。

きっと、忘れられなくなります。

これから局長室会議、夜もウェブ会議です。

明日の朝はもう2月、月始総講ですー。

早いなー。

2015年1月30日金曜日

(Just like) Starting Over

仙台駅は地下鉄から新幹線まで距離がありますねー。

調べたら時間がないのでリンリンと鈴を鳴らしながら走りました。

でも、新幹線も遅れていました。

自由席のない全席指定席で、グリーン車もグランクラスというバブリーなお席もいっぱい。

どうせなら原稿を書こうと思っていたけど、出入り口のところに立ったまま東京を目指すことにしたから、一番好きな曲を聴くことにしました。

愛に溢れてる曲。

世界中に憂いがあって、悲しい時、つらい時、さみしい時、こんな曲は救いだ。

(Just like) Starting Over

時間がたくさんあったから、歌詞を読み返しながらインチキ翻訳をしてみました。

気持ちが入り過ぎてるかな。

本当に、大好きな曲。

世界中、日本中、みんなで最初からやり直して、ピュアに、シンプルに、なったらいいな。

(Just like) Starting Over
by John Lennon

Our life together is so precious together
僕たちの、人生、それは掛けがえのない、二人のもの。
We have grown, we have grown
僕たち年をとったね。僕たちは年をとった。
Although our love is still special
それでもまだ僕たちの愛は特別だ。
Let's take a chance and fly away somewhere alone
さぁチャンスを見つけて、どこかに飛んでいこうよ、二人きりで。

It's been too long since we took the time
大変だった頃はずっと昔のこと。
No-one's to blame, I know time flies so quickly
誰かを責めるつもりはないよ。時間なんてあっという間に過ぎてゆくんだから。
But when I see you darling
でも君を見ているとね、ダーリン。
It's like we both are falling in love again
また恋が始まりそうなんだ
It'll be just like starting over, starting over
そう、最初からやり直すみたいに、もう一度最初からさ。

Everyday we used to make it love
毎日愛を確かめていたよね。
Why can't we be making love nice and easy
なぜ、気持ちよく、素直に愛し合えなくなるのかな。
It's time to spread our wings and fly
さぁ羽を広げて飛び立とう。
Don't let another day go by my love
僕たちの愛は一日も無駄に出来ない。
It'll be just like starting over, starting over
そう、最初からやり直そう、もう一度最初から。

Why don't we take off alone
なんで二人だけで飛び立てないの?
Take a trip somewhere far, far away
旅に出ようよ、どこか遠くに、すごく遠くに。
We'll be together all alone again
また、二人っきりになるんだ。
Like we used to in the early days
まるで最初の頃みたいにね。
Well, well, well darling
そう、そうなんだよ、ダーリン。

It's been too long since we took the time
大変だった頃はずっと昔のこと。
No-one's to blame, I know time flies so quickly
誰かを責めるつもりはないよ。時間なんてあっという間に過ぎてゆくんだから。
But when I see you darling
でも君を見ているとね、ダーリン。
It's like we both are falling in love again
また恋に落ちそうなんだ。
It'll be just like starting over, starting over
そう、まるでやり直し。最初からやり直すみたいに。

Our life together is so precious together
僕たちの、人生、それは掛けがえのない、二人のもの。
We have grown, we have grown
僕たち年をとったね。うん、僕たちは年をとったよ。
Although our love is still special
それでもまだ僕たちの愛は特別だ。
Let's take a chance and fly away somewhere
さぁチャンスを見つけて、どこかに飛んでいこうよ。

Starting over
最初からやり直そう。


一人で帰りまする

明日は岩城家の尽七日忌法要。

高速道路が通行止めとなり、一般道も全く動かない大渋滞のため、万が一のことを考えて、仙台駅近くの地下鉄の駅で車を降りました。

佛立作務衣にスキーウェア、リュックサックに長ぐつ。

地下鉄でクマ鈴がリンリン鳴って、申し訳ない。

地下鉄に熊は出ない。

何とか帰り着けるかな。

岩城のお父さん、ママ、岩城家の皆さまが、まごころを尽くして迎える大切な日。

頑張りまする。

通行止め

東北道、泉から仙台宮城、大雪による事故のため通行止め。

今日中に帰れるかな。

陸前高田の朝

陸前高田の朝。

昨夜はゆっくりとお話できて、本当によかったです。

2011年3月18日、東北道をひたすら走って、被災地までたどり着きました。

計画停電が続いていたこと。

お兄が、たくさんの暖かい着物を持ってきてくれたこと。

正太に、ガイガーカウンターを借りたこと。

ガソリンスタンドが長蛇の列だったこと。

そんな中、横浜港の斎藤組さまから軽油をたくさんいただいたこと。

それらを積んで、東北道をひた走り、仙台、気仙沼まで。

あの時の、穴だらけの、ガタガタの道。

それが、3月21日には復旧し始めていて、感動しました。

しかし、先日、この道路工事で談合があったとか。

あの東日本大震災、ライフラインの復旧にも、企業の利益を優先させてしまう。

人間の業は深く、欲は限りない。

今回は、ご命日ではありませんが、お参りしながらゆっくりと高田を走り、気仙の地を見渡して、横浜に戻りたいと思います。

なぜか、東日本大震災から数日のことを、思い出しました。

2015年1月29日木曜日

思いっ切り、生きろ!

横浜の夜明け。

今日の雲、とても綺麗でした。

広がり方、散らばり方、厚さ。

色、コントラスト、たたずまい。

毎年、寒参詣が後半になると窓から射し込む朝陽が、スーッと本堂の壁を駆け上がってゆきます。

7時過ぎに、お祖師さまのお顔がフッと照らされます。

そして、あっという間に光の筋は移動してゆきます。

ありがたいです。

地球の回転を感じられて。

一昨日は大和法深寺で支庁協議会、夜はインシーで田中律子さんからマグマヨガのインストラクションをしていただき、私から御題目口唱のインストラクション。

昨日は新しく御本尊をお受けいただいた方と一緒に本堂でお看経、御題目をお唱えさせていただきました。

今日から、はじまり。

桜色の、新しいお数珠、小さな妙講一座。

長松清潤の寒中教化、それぞれ3人の方におはからいがいただけますようご奉公させていただきたい。

夕方、横浜佛立寺さまにお参詣させていただいて、加藤現康ご住職の六七日忌法要に参列させていただきました。

鈴江御導師のご唱導。

ご生前のご奉公を振り返る、有難いお話をいただきました。

夜、入寺している見習い教務、悠時くんと、朝陽くんと、一緒にゆっくりお話しました。

なかなか、ゆっくりお話する時間がないから。

21才、20才、頑張ってます。

遊びたい盛りだろうに、確固たる信念、夢、目標を持って、頑張ってる。

たった一度の人生、思いっ切り、生きろ!

さて、朝参詣が終わり、これから陸前高田に向かいます。

明日には戻る予定ですが、みんなにお会いしたい。

東北道を北上しますー。

2015年1月28日水曜日

京都佛立ミュージアム、次はこちらです!

いよいよ、あと数日で「ブラジルと仏教展」が終了します。

日水上人の彫像をはじめ、遠くブラジルからたくさんの貴重品、ご遺品をお借りしておりました。

延べ来館者数は5000名を超えて、本当に大好評のうちに終了することが出来ます。

確かに、新しい時代の息吹を感じることが出来ました。

この世界には、仏教という希望がある。

その希望を、多くの方々にお伝え出来たのではないかと思います。

そして、ついに次の企画展がヴェールを脱ぎます。

まさか、このような企画展が出来るとは思っておりませんでした。

ヒロシマ平和創造基金さま、広島国際文化財団さま、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)さまのご協力を得て、京都佛立ミュージアムの終戦70年 特別企画展を、始めさせていただきます。

浅葉先生に、つくづく感謝ー。

こうして、亀倉先生の名前をいただいているだけで、あり得ないことと感謝しております。

しっかりと、しなければ。

目下、世界中で戦争や紛争が頻発し、激化している状況です。

今こそ、戦争と平和を考えなければ。

とにもかくにも、後藤健二さんの、ご無事を祈っています。

いろいろな情報は錯綜していて、真実が見極められません。

それが中東、古来からの宗教、部族、戦争と言われればそれまでですが、後藤さんの解放を願うばかりです。

生きて、帰ってきてもらいたい。

とにもかくにも。

京都佛立ミュージアムの次。

どうか、よろしくお願いいたします。

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終戦70年特別展示 序
HIROSHIMA APPEALS POSTERS展
2015年2月24日(火)— 6月14日(日)

終戦から70年。戦争と平和を考える。
「京都佛立ミュージアム 終戦70年特別展示 序 HIROSHIMA APPEALS POSTERS展」
それぞれが自分の目と心で戦争と平和を、広島の祈りを、感じ、考えていただきたいと思います。

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亀倉雄策 Yusaku KAMEKURA
粟津潔 Kiyoshi AWAZU
福田繁雄 Shigeo FUKUDA
早川良雄 Yoshio HAYAKAWA
永井一正 Kazumasa NAGAI
田中一光 Ikko TANAKA
勝井三雄 Mitsuo KATSUI
仲條正義 Masayoshi NAKAJO
佐藤晃一 Koichi SATO
松永真 Shin MATSUNAGA
青葉益輝 Masuteru AOBA
浅葉克己 Katsumi ASABA
長友啓典 Keisuke NAGATOMO
遠藤享 Susumu ENDO
奥村靫正 Yukimasa OKUMURA
葛西薫 Kaoru KASAI
井上嗣也 Tsuguya INOUE
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「これからも、人類の理想に向かって。」

2015年。
終戦から70年目の年を迎えました。
私たちは「生きた仏教のミュージアム」として戦争と平和を考える企画展を開催しようと検討を重ねていました。
誰もが希求する平和。
しかし、戦争は何度も繰り返されてきました。
残念ながら、平和は戦争からしか学べません。
中立性を保ち、一人でも多くの方に戦争と平和を考えていただきたい。
そのような思索の中、日本を代表するグラフィックデザイナー・浅葉克己先生を通じて一冊の本に出会いました。
”HIROSHIMA APPEALS POSTERS 1983 - 2014”
まさに、答えはここに示されていました。
同じく亀倉雄策先生は、その本の冒頭で次のように述べられています。
「戦争というものは、いつの時代でも、どんな形の戦争にしろ、盲目的で身勝手で、独善的な正義がぶつかり合っているわけです。こうした独善的な正義の戦争が終わって40年の月日がたったいまになっても、戦争が好きだという人がいるのでしょうか。
私は、もうそんな馬鹿げた考えの人が存在しているとは信じられません。」(国際グラフィックデザイン団体協議会 第11回ニース大会での講演、1985年9月5日)
独善的な正義と正義の争いー。
あらゆる宗教が平和への理想と共に自戒すべき真実です。
亀倉雄策氏は日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の姿勢を言明されています。
「HIROSHIMA APPEALSポスターは、あらゆる政治、思想、宗教を超えて純粋に中立の立場を守ってのみつくられるものである。」
京都佛立ミュージアムは、こうしたJAGDAの姿勢に深い感銘を受け、クリエイティビティの頂点にある方々が平和と反戦の祈りをこめて制作されたポスターを展示させていただきたいと願い出ました。この京都・北野の地で、それぞれが自分の目と心で戦争と平和を、広島の祈りを、感じ、考えていただきたいと思います。
「これからも、人類の理想に向かって。」
ここに「終戦70年特別展示 序 HIROSHIMA APPEALS POSTERS展」を開催させていただきます。

京都佛立ミュージアム 館長 長松清潤

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亀倉雄策 Yusaku KAMEKURA
1915年新潟県生まれ。1938年日本工房に入社。戦後、日本のグラフィックデザインの第一人者として国内外で活躍。1960年日本デザインセンター設立に参画した後、1962年亀倉デザイン研究所設立。1978年日本グラフィックデザイナー協会の初代会長に就任。朝日賞、毎日芸術賞をはじめ国内外の受賞多数。1993年ニューヨークADC殿堂入り、1994年ワルシャワ美術アカデミー初の名誉博士号。1980年紫綬褒章受章、1991年文化功労者。代表作に、東京オリンピック公式ポスター、NTTやグッドデザインのシンボルマークなど。1997年5月11日逝去(82歳)。

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「ヒロシマ・アピールズ」とは

1983年、広島国際文化財団と日本グラフィックデザイナー協会は、人類最初の原爆の惨禍を体験した広島の祈りと願いを、世界および国内の市民に広く伝えるため、言葉を超えて「ヒロシマの心」を訴えるポスターを共同制作し、国内外に広く頒布することで平和を呼びかけるキャンペーン「ヒロシマ・アピールズ(広島は訴える)」の構想を発表しました。
同年、記念すべき第1回目の「ヒロシマ・アピールズ」作品として、当時JAGDA会長だった亀倉雄策氏の「燃え落ちる蝶」が発表されると、美しさと品格を備えながら平和・反戦の祈りが強く込められたポスターとして大きな反響を呼びました。
その後、1989年の第7回まで、日本を代表するグラフィックデザイナーであるJAGDA会員1名が、あらゆる思想、政治、宗教にとらわれない、純粋に中立な立場で、毎年1点ずつ新しい「ヒロシマ・アピールズ」ポスターを無償で制作し、原爆記念日にあわせて歴代の広島市長に贈呈してきました。
アピールズ・ポスターはB1サイズ(1,030mm×728mm)で制作され、自治体や教育機関、医師会などに頒布されるとともに、一般にも販売されました。また、核兵器廃絶に向けて世界各国の都市が連帯する「平和市長会議」の参加都市に贈られ、1985年にスイス・ジュネーブでの米ソ首脳会談前に開かれた原爆資料展や1997年の欧州ヒロシマ展でも紹介されました。
この「ヒロシマ・アピールズ」の活動に賛同した多くのJAGDA会員も自主的に平和ポスターを制作し、アピールズ・ポスターとともに「平和ポスター展」として全国各地で巡回展示され、さらに海外のデザイナーも参加した「日米平和ポスター展」「平和ポスター国際展」は、世界各国で展示されるなど、大きな広がりをみせました。
2005年、戦後60周年を機に、一時中断していた「ヒロシマ・アピールズ」ポスターの制作を再開し、毎年1点ずつ、2014年までに新たに10作品(通算17作品)が制作されてきました。再開後のポスターも毎年広島市長に贈呈されるとともに、広く販売、頒布され、世界に向けて「ヒロシマの心」をアピールし続けています。なお、2013年より、ヒロシマ平和創造基金も「ヒロシマ・アピールズ」の主催団体としてプロジェクトに参加しています。

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終戦70年特別展示 序
HIROSHIMA APPEALS POSTERS展
2015年2月24日(火)— 6月14日(日)

開館時間 平日 10時〜16時 土日祝 10時〜17時
入場料 無料 どなたでもご自由にご観覧ください。
休館日 月曜日 ※但し、月曜日が祝祭日及び25日のときは開館。翌日を代休日とします。
会場 京都佛立ミュージアム 京都市上京区御前通一条上ル東竪町110 
TEL 075-288-3344 info@hbsmuseum.jp

主催 京都佛立ミュージアム
後援 本門佛立宗
協力 ヒロシマ平和創造基金 / 広島国際文化財団 / 日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)

マグマボウズ

今夜は律子さんに、本当に、本当に、お世話になりましたー。

すごい体験でした。

マグマボウズ。

研究開発トレーニングですが、律子先生のレッスンで、すでにチャンネルが開いて、すごかったです。

マグマと、律子先生のレッスン、止めどなく流れる汗、穏やかに響く声。

何もかも、ありがたい。

もったいないことに、交代させていただいて、無始已来、御題目口唱、引題目。

スタジオの中に、声が響くー。

すごいんですよねー。

まだまだ、これからです。

とにかく、本当に勉強になりました。

これから、楽しみだなー。

正ちゃん、律子先生、ありがとうございましたー!

2015年1月26日月曜日

いい負を取る(汗)

朝一番、あまりにも時間がないのでご染筆のご奉公をさせていただき、朝のお看経終了後、ご供養をいただいて本堂から告別式に向かわせていただきました。

寺尾さんの告別式ー

妙深寺の誰もが知っている大先輩の告別式です。

いろいろな思いが浮かびます

僕たちは、93才で亡くなられた、寺尾さんのような、素晴らしい、菩薩のような方々を、生み出し、育むようなご奉公をしているであろうか、と。

見渡してみると、昭和初期、あるいは中期の、ご奉公の功徳を使い果たしているだけのように思えます

寺尾さん同様、コツコツとご奉公くださってきた方々のお見送りは、住職として導師を勤めさせていただいているものの、ただただご信心改良を誓うのでした

葬儀中、現在ご奉公させていただいているご家族から、トラブルが発生したと何度もメール、メッセージ、LINEが届いていました。

葬儀中ですので対応できず、申し訳なく思っていると、続けて別のメールが入ってきました。

先日来、会社や個人で抱えている借金が莫大な金額になっていることを相談された方からでした。

数年前から、厳しくお折伏をさせていただいてきましたが、なかなか踏ん切りがつきません。

先日は、僕の高校時代の友人を紹介して、彼からの協力もいただき、次に進めるかと思っていましたが、それでも厳しい状態に変わりはありません。

本人の曖昧さ、なかなかお懺悔できない心、決定できず、開門参詣も続かない中のこと。

今日は、ギリギリの状態の中、もうダメだ、「苦しい」という文章が目に飛び込んできました。

葬儀場から電話をしました。

「今どこか?」


戸塚の原宿です、とのことでした。

葬儀場から近くです。

分かった、行く。近くで会おう。原宿のマクドナルドの隣りにあるファミリーレストランで待っていてくれ、今から行く」

葬儀の格好のままで、車に乗りました。

随行が来ていましたが、昨年事故を起こしたばかりで、緊急事態でもあり、自分が運転すると言って、ハンドルを握りました。

原宿。

目と鼻の先に、ロイヤルホストが。

そこで、パトカーに止められました。

その少し手前の一時停止で、しっかりと停まっていなかったということでした。

確かに、しっかりと停まっていなかったです。

お葬式であったこともあり、免許書も不携帯でした。

いちおう事情を説明しましたが、僕がルールに従っていないのは明らかです。

目と鼻の先で、待ってくださっている方。

淡々と進む、いろいろ。

いい負を取りました。

その後、ロイヤルホストではなしをしました。

本当に、厳しい。

しかし、乗り越えなければならない。

決定しなければならない。

今日中にしなければならない、会社も何もかも飛んでしまうようなこともあり、そちらに行ってもらいました。

夜、連絡があり、今日の案件は無事に終わり、ギリギリセーフとなりました、という連絡がありました。

本当に、ありがたいです。

しかし、これは、執行猶予であり、ここで大改良、しっかりと筋を通して、言った通りにしなければならないと約束しました。

夕方、末期の癌で患われている方がお嬢さまと共にお参詣くださいました。

20年来、お世話になっている大先輩(ご信者さまではありません)が、お連れくださいました。

ご病気の痛み、不安を感じながら、精一杯、お話をさせていただきました。

御本尊をいただかれることとなり、本当にありがたいです。

明日の朝、言上させていただきます。

みんなで、本堂に上がり、御題目をお唱えさせていただきました。

寒中教化、3名の方にご奉公させていただき、有難いこと極まりないです。

きっと、いい負を取ったからではないかな、と思います。

まだまだ、足りませんが、とにかく、精一杯ご奉公させていただきます。

スリランカから戻り、目も回るようなご奉公の中で、お巡りさんに捕まってしまって、ガクッと来ていましたが、自分も悪いですし、やはりいい負を取らせていただいたのだと思います。

プラスの次はマイナス。

マイナスの次はプラス。

いい負を取る。

罪障消滅。

ご奉公精進。

ありがたい。

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...