理想のお寺。
そこに少しでも近づきたい。
生きたお寺。
佛立のお寺。
本堂に、御法さまがおられるからこそ、私たちは真っ正面から人と向き合い、何とか罪障を消滅する道、功徳を積む道へと、向かいたい。
今朝、また大きなお懺悔の言上をさせていただきました。
背中に、大きな入れ墨を背負い、極道を歩んで来た方、少年院、刑務所に、それぞれ3回入っていた方。
新年早々、2人きりで話をしました。
もう、20年も前に、やくざから身を引き、覚醒剤も断って、生きてきましたが、罪の意識に責められて、お母さんが亡くなった時に、「お前が母親を殺したんだ!」と言われたことが頭に残り、ずっとそのままでいたと。
涙ながらに、教えてくれました。
ご宝前に向かって、お懺悔させていただいて、罪障消滅の道を歩もう、誓おう、始めよう、と伝えました。
それでも、まだ前に進めず、挫折もあります。
昨日の朝の言上をと思っていたのですが、いろいろな事情で、それは出来なかった。
今朝、6時過ぎ、彼は来てくれて、決意を示してくれました。
お懺悔は、終わりではなく、ようやくの、はじまりだから。
そして、今朝、言上させていただきました。
彼は、本堂の一番前の席に座っていました。
満座のお参詣の中でのお懺悔。
「本日改めてしっかりとこれらのことをお懺悔をさせていただき、御住職並びにお受持の清康師のご教導に従いながら、反省を重ね、もう二度とやくざとはつきあいもしない、覚醒剤などにも決して手を出さない、犯罪行為には決して手を染めないなど、決して同じ過ちは繰り返さないようにすること、被害を受けた方々に心からのお詫びの気持ちを込めてお看経をさせていただくこと、また罪障消滅のためには、ご信心、ご奉公しかないと胸に刻んで、菩薩の誓いを立て、佛立信者としての生き方に励むことを、お誓い申し上げます。
平成二十七年一月十九日
上、」
御法門の前に、私から少しお話をさせていただきました。
お参詣のみなさまに。
いま、私が有難いと思うのは、ご信者のみなさまの温かい心、空気です。
お懺悔される方を変な目で見るような人はいない。
ご信心、ご奉公していると思っているのは、実は自分だけで、欲深く、斜に構え、いつもひがみ、ねたみ、功徳どころか罪障を積んでいる人もいます。
そうでなければ、あれほど多くの御指南は無いはずです。
みんながお折伏を心がけ、改良できるお寺。
心の洗濯所。
心の寄港地。
それが、目標とする、お寺です。
彼と心底話した日、
「どうしたら罪滅ぼしが出来るでしょうか?」
と聞かれました。
「お懺悔させてもらおう。お懺悔をして、そこをスタートに、罪障消滅の生き方、ご奉公をしよう」
と答えました。
「懺悔は人を教化するの功徳あり」
ドヤクザだった人も、佛立菩薩になれることを、証明して欲しいです。
みんな、ギリギリです。
菩薩にもなれば、鬼にもなる、凡夫。
お懺悔の心のない人の方が、罪深いかもしれないと教えていただいているのですから。
「懺悔は起信のスガタ也」
どんなに悪いことをしていても、お懺悔したらお手本です。
お懺悔が出来ない。
お懺悔がさせられない。
真剣のお折伏もなく、お懺悔もないなんて、佛立寺院ではなくなってしまいます。
理想のお寺を目指して、少しでもそこに近づくように、御題目口唱とお折伏へ。
「如説修行抄をハナツコトナカレ」扇全18巻392頁
「何のために」ということを、開導聖人が延々と書かれている御指南。
「この書は門外不出、貸すことは許さない。志ある者は来て写すがいい」
開導聖人がそう書かれていますから、コピペされても困るし書きにくいです。
「例えば寺あり、何の為に建てたるや」
「如説修行抄あり、何の為の御著述ぞや」
「何ぞ佛法のみに限らんや」
「佛立講、何の為に立てたるぞや」
「講中、何の為に妙法を護持するや」
「宥清寺、何の為ぞや」
「親会場、何の為ぞや」
この気概、この情熱、このご信心が、ありがたいです。
「諸宗の頂上、日本第一の本門佛立宗の佛立講也。その身を任せ奉ること大事也。大事也。」
開導聖人にお認めいただけるようなお寺でありたい。
理想のお寺を目指して、日々改良、精進。
弘通広宣を祈り、願います。
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