5月1日となりました。
昨日は、無事に壮年会の皆さまを中心に、24時間口唱会が行われ、フィナーレは本堂いっぱいの方々が熱のこもった御題目をお唱えし続けてくださいました。
ご挨拶いただいた黒崎さん、壮年会会長の鈴木さんは24時間の口唱会を完走し、お二人から感激と激励のお言葉をいただきました。
遠くからではありますが、24時間、熊本地震の早期復興を願い、被災者の皆さまの無事息災を願い、ご祈願を続けさせていただきました。
どうか、重ねて、私たちに出来る支援、心をこめた支援金の勧募をさせていただきましょう。
下記、5月号の『妙深寺報』にも掲載させていただきましたが、先月熊本に行かせていただいた堤清信師、有馬清朋師、清水法光師の3人を代表して、清朋師が書いてくれたレポートです。
少しでも身近に感じて、ご奉公させていただければと思います。
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本年4月14日並びに16日に、九州の熊本地方を震源として、最大震度7の大地震が相次いで発生しました。
妙深寺では本門佛立宗宗務本庁に置かれた熊本地震災害対策室と連絡を取りながら募金を開始。急遽、20日に教務3名が熊本に向けて出発し、21日午前に熊本長薫寺に入り、24日朝まで熊本県下で復興支援活動をさせていただきました。
21日の時点では、熊本市内の電気や水道などのライフラインはほぼ復旧し、食料など物資の流通も回復して、それなりの落ち着きを取り戻しておられるようでしたが、2度の最大震度7の地震をはじめ、その後10数回にわたる最大震度5~6クラスの地震により、多くの建物が全壊・半壊し、多くの屋根にブルーシートがかけられ、またがれきの山が街のあちこちにできていました。
また、短くも「ゴゴゴッ」という音とともに突き上げるような余震を、私たちも頻繁に経験し、それは大きくても震度3くらいのものでしたが、今回の震災の大きさの一端を感じさせるものでした。被災された方々は、とにかく恐怖心で、夜、小さな揺れでもパッと目が覚めてしまうというほどで、昼間は自宅にいても、夜は避難所に移ったり、車の中で寝るという方が大勢いらっしゃいます。
長薫寺では、本堂の建物で回廊の石造りの天井の一部が崩落するなどの被害がありましたが、私たちが到着したころには、地震でグチャグチャになった室内の片付けなどはあらかた終わっており、私たちは横浜からお持ちした500㎖ペットボトルの飲料水1000本や缶詰などの支援物資をお渡しした後、宗門災害対策室の指示で、お講師方が安否や健康状態、被害状況の確認、支援物資のお届け、がれき撤去など復旧のお手伝いを兼ねてご信者さん宅にお助行に回られるのに同行させていただきました。
回らせていただいた先々では、お灰まみれになった御戒壇やお道具のお掃除と、お看経をさせていただき、じかに被災のお話を伺い、近隣を含めて建物や道路への被害の状況を目の当たりにしました。ご信者さん方は皆、ご信心の篤い方ばかりで、御本尊や御尊像が無事だったことを喜ばれるお姿、揺れた方向がたまたまよくて、タンスなどが倒れず命が助かったというお話などに感激をいたしました。
益城町や南阿蘇村など、特に被害の大きかったところでは、大きな地割れがいくつもでき、家が土台から傾き、建物が全壊するなど、恐ろしく辛い光景が広がっていました。また地震に加えて強い雨もあり、あちこちで崖崩れが起き、道路が寸断され、復旧活動を阻害していました。
全国から集結し、交通整理や物資の搬送、インフラの復旧に当たっていた自衛隊の災害派遣部隊や警察、消防の車両、他地域の電力会社やガス会社の車両も何度も目撃しました。
また建物に大きな支障はないと判定がされたところでも、瓦が落ち、屋根に穴が空いて雨漏りがしたり、壁が崩れ落ちて部屋の中がほこりまみれ、という状況のところもあり、がれきや割れた瓦の撤去、室内の清掃、屋根にビニールシートをかける作業などをさせていただきました。
被災地において本格的な復旧、元通りの生活が送れるようになるまでには、まだまだ長い道のりです。社会でも宗門でも本格的なボランティア募集が始まり、また募金も行われています。大分県等にも被害が広がっているこの震災に、どうか、私たち一人一人が、九州から遠く離れた地であっても、そこでできる支援の形を模索し、実行させていただければと願ってやみません。 (清朋記)
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