本当に申し訳ないことですが、少し時差ボケです、眠い、回転数が低い(汗)。
2月のNHK青山教室はスリランカから帰国した翌日でしたが、今月はネパールから帰国した当日の3月28日の講義です。
気合い入れないと。しかも、フライトが順調でありますようにー。
今回は「仏教心理学」でしたが次回は「仏教人間学」をテーマにいたします。
仏教が、どれだけ人間の心の自由を説くものか、生きる指針となるか、徹頭徹尾「人間学」であることを、お伝えできればと思います。
Suchmosの「STAY TUNE」ではないけれど、もう世の中は「頭だけいいやつ もうGood night」「広くて浅いやつ もうGood night」なのだと思います。
「名言ばっか聞き飽きたよ うんざりだもう」
そうですよね。
どんないい話を聞いても「なるほど、で、お前は?」という視点をみんな持ってる。
「道理、文証、現証、というと、現証ってのは、あんたのことだよな」
そら、そう思うでしょう。
「釈尊出世の本懐は人の振舞にて候ひけるぞ」日蓮聖人
このお言葉は、本当に尊く、重いと思います。
うんざりなのだと思います、言葉だけあって、行動のないのは。
「言葉のみありてまことのなきならば~」佛立開導日扇聖人
夕方は、尊敬する先生の新宿のお宅で、ゆっくりお話をしていました。
このタイミングで、二人きりで、お話することが出来て、本当によかったです。
この一生は、二度とない、戻らない、今日も戻らない、昨日は変えられない、今日はまだ変えられる、明日は確実に変えられる、人は変えられない、自分は変えられる、自分が変われば人が変わる、世界が変わる。
生き様にしかフォーカスしないこと。
昨日、僕は48才になりました。
もう、ずいぶんな年です。
信長が好んだという『敦盛』の詞章。
「思へばこの世は常の住み家にあらず、草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる。
南楼の月を弄ぶ輩も、月に先立つて有為の雲にかくれり。
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」
あくまで伝記の中の記述ですが、今川の大軍と戦う直前、彼はこの『敦盛』の一節を歌い、立ったまま湯漬を食べて出陣したといいます。伝記とはいえすごい気合いですよね(汗)。
「此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて御出陣なさる。」『信長公記』
伝記とはいえ、すごい迫力に圧倒されます。
たったまま食事してるところがすごい(笑)。
でも、この時の信長は27才だったそうですー(汗)。
数え年で計算するとお腹の中にいる一年を加算するので、満年齢に約1才をプラスすることになります。
で、また真夜中、一人で考えていました。
となると、僕は49才になったんだなー、と。
すると、あと一年で「人間五十年」という『敦盛』が謳い上げる年齢になります。
「あと一年」
まだまだ若造ですが、そんな風に思いながら、一生けんめいに生きているかチェックして、この1年を大切に過ごしたいと思います。
開導聖人は「長生きをしなければご弘通ご奉公とて出来ないだろう」と戒められています。
そのとおりです。
しかし、「あほの長生き、娑婆ふさげ」とも戒められてあり、同時に時機というものがあると思います。
平時の生き方と、乱世や危機の時の生き方は違う。
ずいぶん前に、大変な危機を迎えていると自分なりに思ったので、こういう生き方を選びました。
この一年間、生きている甲斐があると、自分自身も、天地にも、思っていただけるように、精進します。
納得の一年にしたいと思いますー。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」
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