2017年3月8日水曜日

最愛の人が重い病に襲われたら

新幹線で横浜に戻っていますー。


今日は総局会議もありましたが、吏絵ちゃんの撮影をさせていただきました。


その前に、みんなで第1回 青少年の一座のビデオを観て、ポロポロと泣きましたー。


あの当時、ミュージアムも出来る前で、どうしたら生きた仏教を次の世代に伝えてゆけるか、考えに考えていました。


横浜で「グランデ・ファミリア」というご奉公を終えて、この青少年の一座に取り組みました。


本当に、手探りの中、手作りで進めた第1回。


この青少年の一座の中心に、吏絵ちゃんがいました。


平成17年7月21日、吏絵ちゃんは急性リンパ性白血病と診断されました。


お父さんはその知らせを受けて、あまりに動転し、どんな風に職場から帰ったのか覚えていないと言っておられました。


病院の先生から「治療しなければ100%死にます」と言われて、「なんてむごいことを言うんや」と思い、治療承諾のサインをする途中、涙が出て止まらなくなり、奥さまに手を支えてもらいながらようやく書けたと。


10日ほど泣き暮らし、その後で「自分にできることがある。祈ることや」と決意・決定して、宥清寺にお参りするようになり、皆さんのお助行をいただきながら、泣いて泣いて泣いてお看経なさった。


そのお助行は大きな渦となり、ご講有をはじめ、本山の学僧である学生師、日本全国のご信者さん、当時ご奉公させていただいていた世界各国にまで広がりました。


私の知る限り、世界中の本門佛立宗の教講が、一人の人をこれほどまでにご祈願したことはなかったと思います。


ブラジル、イタリア、オーストラリア、アメリカ、スリランカ、ロンドン、フランス、韓国などなど、世界中のご信者さんがご祈願をしてくださっていました。


小学生の吏絵ちゃん、テニスをしていた吏絵ちゃん、みんなにとって大切な吏絵ちゃんが、眉毛まで抜けてしまうほどの厳しい治療を乗り越えて、奇跡的に助けていただいた時、本当に世界中で喜び合ったものでした。


これが、生きた仏教だと。


そのことを、私たちのご信心の象徴的な出来事として、描きたいと思います。


吏絵ちゃんは、もう23歳。


本当に綺麗になって、保育士さんになる夢に向かって頑張っていて、趣味のスノーボードやヨガもしていて、清潤師も心配でならないくらい元気だ。


今日は撮影を受けてくれてありがとうー(涙)。


青少年の一座の時は中学校2年生。


多感な年頃で、2日前に突然泣き出して、みんなの前でお話することが出来なくなったのでした。


お手紙を書いてくれて、お父さんが読み上げてくれました。


真実の歴史、何もかもドキュメンタリーですね(涙)。


お父さんのお話を聞いて、また泣いてしまいました。


本当に、共感すること、誰かの気持ちに寄り添うことって難しくて、みんな身勝手な自己陶酔ばかりしてる。


あのお話の最初に、お父さんは「みなさんにも、大好きな人、愛している人がいますよね?私にとって最愛の人、好きな人は、吏絵だった。その最愛の人が重い病気になりました。皆さん、まずそんな気持ちを少し考えてもらいながら、今日の私の話を聞いてください。」と言われました。


最愛の人が、そうなったら。


「きはまりて かなしき時にあらざれば まことの信はおこらざりけり」


本当に、分からないんですよね、ギリギリまで。


そして、お父さんは、だからこそ「ありがとう」という気持ちを忘れないでください、とお話くださいました。


本当に、ありがとうー。


吏絵ちゃん、今日は本当に元気にたくさんお話をしてくれました。


一緒に花見小路を歩いて、今日も「ありがとうございます」を噛みしめました。


時間がなくなっていて、何もかも大変だけど、精一杯がんばりますー。


さ、今夜はコレイア御導師が来てくださり、妙深寺のみんなで一緒に時間を過ごして、明日の朝は6時半からモライス教竜師、フェレイラ伯是師、オリベイラ教正師の、百ヶ日忌法要を奉修させていただきます。


ありがとうございます。

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