2017年3月29日水曜日

バンコクにて徒然なるままに

バンコクで書いていたものの、Wi-Fiが切れてアップできませんでした。


やはり入管で止められてしまいましたが、近くで待っていたので係員の方と話をして、責任者の連絡先を書いてギャヌも無事に入国できました。


いま、妙深寺に向かっています。


下記、バンコクの、長い長い待ち時間に書いたもの。


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やっと5時間を過ごして、あと3時間ここで待たないといけませぬ。


お行儀が悪いですが、空港のベンチにゴロンとなって、何とか時間を過ごしてきました。


慣れてはいるものの、今回は本当にキツイです。


0時半のフライトで上海、そこでラゲージを取り出してもう一度チェックインし直して、東京へ。


何とか帰国できそうなので、それだけで嬉しいですー。


あっという間に3月も終わります。


振り返ると、誕生日から始まって、香ちゃんの結婚式があり、京都でのご奉公があり、連日の教区御講があり、陸前高田でのご回向があり、宗会があり、長野本晨寺、横浜妙深寺の春季総回向があり、その夜からのネパールでした。


ランタン・リルンに登るとは夢にも思いませんでした。


そもそも、その名前も知らなかった。


今さら調べてみると、季節や標高ごとに移り変わる美しい渓谷は「世界で最も美しい谷のひとつ」と呼ばれているそうで、主峰のランタン・リルンは7225メートル。


しかし、現在のランタンは、渓谷の途中でたくさんの地崩れの跡が生々しく残っていて、美しさと痛ましさを感じました。


ネパール大地震では、行方不明者403名、内131名が外国人。地崩れの谷に、イスラエルの国旗と青年の写真が飾られていましたが、若い彼も犠牲者だったのですね。


サントス君の働く山小屋も被害を受けて移築したと言っていましたが、ランタン谷の55のゲストハウスと民家が氷河と岩の下敷きになったそうです。


トレッキングとは無縁の僕でしたが、ご奉公させていただくことが出来て、本当によかったと思います。


野生の鹿にも会えました。


本当に、苦しかったけれど。


一歩一歩、渓谷を踏みしめながら、旭が、どれだけ自分にとって大切か、彼が教えてくれたことは何か、これから自分に出来ることは何か、考えていました。


彼が命をかけて僕を叱咤してくれていると感じました。


彼のノートに書いてあったことは、絶対に忘れてはならないから。


いま、生きていること、この奇跡に感謝して、輪郭が浮き立つほど明確な夢を抱き、その夢に向かってまっしぐらに歩んでゆくこと。


これほどの幸せはないです。


京都佛立ミュージアムから「長松清風展」の図録も出版することが出来て、今はみんな総出で映像制作に取り組んでくれています。


ナレーターの方が、最後のナレーションで感極まって泣きそうになってくださったと聞き、感慨無量です。


走り続け、書き続け、語り続けてきたことは、生きた仏教、佛立魂、死んだようになっていた仏教を蘇らせた、長松清風・佛立開導日扇聖人の教え、そのものだから。


きっと、ここ数日間徹夜で編集を頑張ってくれている亀村くんに感謝です。


いつもなら、半裸になって見守っているんだけど(笑)。


夢があることは、幸せです。


目的、目標、意志と方法。


あー、まだまだ時間あるー(涙)。


「ヒッピーみたいですね(笑)」って空港でゴロンとなっている僕を見て清行が笑っていますが、本当にそうだね。


ヒッピー住職(笑)。


「でも、ブッダもそうだったんじゃないですか?」


こいつはたまにいいことを言う(笑)。


どちらにしても、どちらも出来なければダメだし、偏ってはダメだ。


4月1日は開導聖人のご生誕から200年目の日。


数年間、この日を目標にご奉公を進めてきたから、最高のクライマックスだ。


一度、海外でお話ししている内容を文章にまとめようと思います。


最前線では、私たちのいただいているご信心の尊さが際立つから。


その醍醐味、ダイナミズム、なぜ海外でこれほど通用するのか、普遍性の淵源は何なのか、お伝えしたいです。


ヒンドゥーと、あるいはユダヤ教やキリスト教やイスラム教、ネパールにあるアニミズム、古来からのゾロアスターなどの教えと、仏教は何が違うのか。


仏教の中でも、テーラワーダ、あるいはチベット仏教、ラマ教、あるいは密教と、何が違うのか。


私たちが「プリモーディアル(根源的、あるいは本化)・8チャプター(章)」と英訳して言っている「本門八品」の教えとは、いったい何なのか。


ここを、しっかりと見据えれば、日蓮聖人の教えは最初から最後までプリモーディアルであり、矮小化や儀典化した中にないことが分かります。


御本尊さまが、チベットや密教にあるような絵による曼荼羅ではなく、文字で著されていること、文字をお使いいただくほかなかったことを、つくづく有難く思います。


そういうオブジェクトのような、人間をベースにした象徴ではなく、文字、つまり声、音、バイブレーション、波動、つまり法であることの、尊さ。


身体が滅びても残る「名」に、永遠の生命が宿っていること。


一つひとつ、しっかり消化しなければ、本化仏教(プリモーディアル・ブディズム)は分かりません。


2人きりで渓谷を歩きながら、ギャヌとこうしたことを話していました。


私たちは、せっかく地球に生まれても、絶対に出会えないような、尊い教えに出会えています。


闇の中に光る灯火。


ありがたい。


まだまだ、与えていただいている命が残されているならば、やらなければならないことが山のようにあります。


ひとまず、「長松清風展」の図録や歴史ドキュメンタリー映像「長松清風伝」をご覧いただき、新たな気づきが生まれたり、ご信心が増進したりしていただければ、何よりありがたいです。


みんなで全てを出し切りまくりましたので。


早く飛び立ちたいー(涙)。

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