2007年5月13日日曜日

絶望からの歩み、

この場所で歴史が確かに動いて、全世界が嘆き、悲しみ、挫折や絶望の中から明日への希望をつないだのだということを教えてくれる写真が飾ってあった。
実際には、この直後にブラック・パワーのカーマイケルが「白いアメリカはキング博士を殺した。我々に宣戦布告をしたのだ。銃を取れ」と言い、全米100都市以上で暴動が起きた。死者46人、負傷者3500人、逮捕者1万人を超えたという。また、公民権運動はキング牧師の暗殺の直前にほぼ達成の粋を迎えていたという意見もある。彼が黒人問題だけではなく人種を越えてアメリカ社会の底辺にいる人々を救うために「貧者の行進」を計画したことから人々が離れていったという説もある。たしかに、アメリカの人々は幻滅を味わっていたのかもしれない。精神も良心も疲れ切っていて、非暴力抵抗運動は理想的過ぎると敬遠されるようになり、冷めた空気や諦め、そしてより過激な活動家が頭角を現していた。以後、多くの時間を費やして、キングの夢の欠片は実現に近づいてきた。キングの死は、多くの人にとってアメリカ社会を検証する指標となった。

私は11才で最初に米国を訪れた。その後、何度となく米国を訪れ、旅をして、白人・黒人問わずに友人と交流してきた。その頃の私には、米国の公民権運動は教科書の1ページに過ぎなかった。仕事をしている時、マーケティング会議に米国から出席するお偉いさんは黒人の方で、心から尊敬していたし、実際に頭を下げていた。
しかし、そう。こうした社会が築かれ、根付いてきたのは、こうした運動が、ほんの数十年前まで続いてこそ実現したのだ、と。米国のカラードと呼ばれる人たちは、この日の「絶望」から、「絶望」を「希望」に変えて、歩み始めたのだから。
いや、実際には実現していない。いまはまだ見せかけの平等なのかもしれない。プロパガンダの一部を見て、遠くの私たちは「平等」と感じているだけかもしれない。中途半端な見識ではこうした活動家に叱責を受けそうだ。第一、キングの見ていた夢は、黒人のためだけの運動ではなかった。文字通り、あらゆる人間の「公民権」へと昇華していたのだから。
しかし、こうして学ばせていただいてよかった。御回向が出来て有難かった。二度と忘れない。この場所から感じたこと。
これを糧にして、人間社会の在るべき姿、ブッダの説かれた「人間」ということ、その尊さ、価値に思いをはせたい。本来、難しいことなどないのだ。カラードの一人として、そう思う。

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