ただ、人は、なぜ生まれ、どこから来て、どこに行くのかという、まさに命題を抱え、それを解こうと試みる。
愚かな者は解こうとすらせず、稚拙な教理を答えとし、あるいは命題のあることにすら関心を払わない。
敬虔な者は賢者が示した答えに縋り、従い、生と死に向き合う。ガンジスの川辺に群がる人々の真摯さは、同じく信仰を持つ者の胸を打つ。
ヒンドゥーという巨大な教えの体系。生と死を規定するヒンドゥーの中にブッダは生まれ、覚者となったブッダはヒンドゥーに向き合った。
古いレリーフの中に、ブッダが等身大の猿から供養を受けるものがある。この猿は、厳しいカースト制度からも外されたアウト・オブ・カースト、不可触民、アンタッチャブルといわれる。当時から彼らは人間ではなく犬や猫と同様に扱われていた。
しかし、ブッダは彼らの中に入り、法を説いた。話し合うことすら忌み嫌われていた時代に、それは決定的な意味を持っていた。
生と死、輪廻の宇宙。ヒンドゥーの文化。その宇宙の中に、ブッダは確実に人間が自由になるための法を説かれた。
今朝、荼毘にふされたばかりの白い煙を見ながら、生と死、今回の世界に届けていただいた御法、御題目の尊さを思った。
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