2014年9月30日火曜日

「班長さんへの手紙」 妙深寺役中テキスト 10月号

ありがとうございます。

今月13日はお祖師さまの祥月ご命日。本年もこの尊い月に御会式を奉修させていただきます。みんなで心を合わせて、精一杯ご奉公させていただきましょう。

言うまでもなく、お祖師さまは私たちのご信心のルーツです。お祖師さまがいなければ、南無妙法蓮華経の御題目は無く、み仏の御本意は失われたままで、ご信心をして救われる人もいませんでした。

仏教を知っていても人を助けることで自分が助かるという一点を知らなければ何を知っていても意味がありません。仏教を知っていても法華経を知らなければ意味が無い。法華経を知っていても「第三の法門」を知らなければ意味が無い。「第三の法門」とは「御題目で人を救う」「御題目でしか救えない」と教えられたシンプルな究極の真理です。これを知らなければ、仏教を、佛立信心を、知らないのと同じです。そして、知っていても、実践できていなければ、ご信心をしていないのと一緒になってしまいます。

御題目の種を蒔き、その種によって誰もが幸せになってゆきます。深遠な教理から導かれ、その全てを含んだ種。このお薬には根本的な原因と本来的な結果があります。運命を変える力、未来を開く力があります。私たちは何度もその効能を目の当たりにして来たはずです。この教えの尊さ、正しさを、現実目の当たりに証明くださるから「現証」の「御利益」と言います。

お祖師さまは上行菩薩さま。上行菩薩さまは久遠本仏の一番弟子で、御題目を末法に届ける使命を背負った御方です。ですから、お祖師さまのことを「上行菩薩後身」とお呼びします。「後身」とは「お生まれ変わり」「後の世のお姿、存在」という意味です。

上行菩薩・お祖師さまは、ご法難に次ぐご法難に遭われながら、御題目を授けてくださいました。「上行所伝の御題目」とは「上行菩薩」が「伝えてくださった所」の「南無妙法蓮華経」ということ。どれだけ有難いご奉公だったでしょう。

孤独の中の孤独、苦難困難の連続。

「日本の王位を譲ってやろう」とおだてられても、「お前の両親の首を刎ねるぞ」と脅されても、お祖師さまは決して屈しなかったのです。

むしろ、こうした誘惑や脅迫を振り祓って「我、日本の柱とならん。我、日本の眼目とならん。我、日本の大船とならん。」と三つの大きな誓いを立てられ、「詮ずるところは天も捨て給え、諸難にもあえ、身命を期とせん。」と天に吠えるように宣言されました。「天も捨てたらいい、どんな苦難に遭ってもいい、命を懸けてやる」という宣言は、破れかぶれ、自暴自棄の発言ではありません。処刑場から流刑地に送られ、まさに死を覚悟したギリギリの状態の中で発せられた魂のお言葉でした。

お祖師さまが、どれだけの思いでご奉公くださったか。私たちには想像もつきません。しかし、思いを馳せることは出来るはずです。もしそれさえしなかったら謗法の人と変わりません。

「上行所伝の御題目」にはお祖師さまの命が重なっています。だからこそ、素直に、正直に、そのままいただきます。実践すれば必ず現証の御利益が顕われます。お祖師さまが証明してくださいました。実践してみてください。

みんなで朝参詣に励みましょう。声をかけ合って、部内班内の巡回助行、ご病気やおケガの方のお助行に励みましょう。朝夕、忙しさでキチンと出来ていなかったご宝前のお給仕やお看経をやりなおしましょう。噛み締めるように御題目をお唱えしてみてください。

そして、25日、26日の、お会式の参詣目標を達成するために、ひとつ思い切り頑張って将引ご奉公してみようではありませんか。誰かに任せたままではなく、自分から申し出る、本当のご奉公の姿やあり方でやってゆきましょう。

毎日毎日、精一杯させてもらうから、本当に生きていること、本当にご信心していることになります。こうして、罪障は消滅され、定業もよく転じて、明るい未来がやってきます。

一年に一度の、お祖師さまのお会式。この機会を、ご信心改良、ご奉公改良のタイミングとしていただき、小山ご講尊をお迎えして、精一杯のご奉公をさせていただきましょう。


2014年9月29日月曜日

2014年9月27日土曜日

また君に出会えてよかった

明け方まで図録の原稿を書いていて、頭がボーッとしてギブアップしましたー。

ギブアップなんてー、くやしかったなー。

でも、昨夜22時過ぎ、ブラジルから清康師と清顕師と恒潤師が、無事に帰山して、妙深寺は夜なのに活気に包まれました。

本当に、無事に帰ってきた。顔がキラキラと輝いていて、ブラジルで素晴らしいご奉公を体験できたことを確信しました。

よかったー。

コレイア御導師をはじめ、ブラジルの御導師、御講師方、ご信者みなさまに、感謝、感謝ですー。

失速せず、気にせず、その感動をそのままに、妙深寺でやってみちゃいなさい、と彼らには伝えました。

今日はオープンデー。

昨夜帰国したばかりの清康師が御法門当番。

さすが、妙深寺。

えらい。

ブラジルの感動をそのままに、苦労を乗り越えてこそ仏道修行、ご奉公だということを説いていただきました。

そして、10時からは子育て学講座。

ちょっとの合間を抜け出して、次男坊の運動会に駆けつけました。

金木犀の香り。

かぐわしい。

いとしい。

この甘い香り、この季節のごちそうだー。

思わず辺りを見渡して、彼女を探してしまう。

金木犀ー。

いたー。

小学校の門の近くに。

秋が来るたびに、また君に出会えてよかったと思える。

すぐにお寺に戻り、今回のオープンデーの特別企画、弁護士の千葉先生をお迎えして、ドイツのシューナウのドキュメント映像を観て、ご講演をお聞きしました。

ダメだ。

まだまだ、全然できていない。

天地が怒りに包まれるわけだ。

目の前に問題があって、動けば動く体を持っていながら、全く動けていないのだから。

僕たちは、僕たち自身で選べるし、世界を変えられる。

無力感に陥ってる場合じゃない。

ロジック、レトリックに、迷わされている場合じゃない。

そのことを学ばせていただきました。

デスクに戻って図録の原稿。

もっともっと整えたいところはあるけれど、図録の完成はコレイア師の講演まで。

もう時間がない。

ギリギリ、ギリギリまで妥協せず、編集を進めてゆくのです。

そして、ふとニュースを見ると、御嶽山の噴火の映像。

亡くなられた方々もおられると聞きました。ひとえにご冥福をお祈りいたします。

こんなに気持ちのいいお天気の、土曜日のお昼に。

平日であればよかったのに、この時間帯ではなくたとえば夜であったなら被害は少なかっただろうに、と考えてしまいます。

本当に、地震にも気をつけなければなりませぬ。

まさかは、ない。

17時からは法華経(仏教)講座、夜の住職御講。

オープンデーと一緒の日になってからお参詣の人数が少ない。

また失敗だなー。

失敗から学んで、早く改めないと。

悪ければ、早く改め繕わず、が佛立のポリシーだから。

今夜は清従師から講義をいただきました。

夜はボーズバー。

私は図録の原稿を書くためにデスクへ。

やっと書き終わってボーズバーに戻ると、ほとんど皆さん帰られていました。

そう、嬉しかったこと。

旭くんが、介護職員初任者研修を修了したこと。

修了証書、見せてもらって、うれしかったー。

旭くん、すごい。

えらい。

今日は、ご祈願させていただいている方々と、たくさんお話が出来て、それが何よりも嬉しかったです。

そして、日夜「ブラジルと仏教展」を考えている中、京都佛立ミュージアムで展示するために、ブラジルから水野龍さんが大切にされていた過去帳が届きました。

極めて重要な第一級の史料です。

早速図録に掲載するために写真撮影をさせていただきました。

ボロボロ。

ポロポロ。

歴史を感じます。

何度もサンパウロのお墓に行かせていただいた、水野龍さんの過去帳。

不思議な気持ちです。

何より有難い気持ち。

ここで、ビックリ、ドッキリ。

撮影のために、冒頭数ページをめくらせていただきましたが、そこにあった数名の名前に驚きました。

幕末・維新の仏教改革者、長松清風とご縁の深い人物の名前。

『仏教徒 坂本龍馬』に詳しく書きましたが、長松清風と明治天皇を結びつけた人物。

高崎正風。

明治維新当時、薩摩藩で周旋方をしていた重要人物です。

そして、後藤象二郎。

水野龍氏とは同郷の名士であり、彼の推薦を受けて様々な知己を得たことが分かっています。

本当に、これはすごい史料でした。

そして、今夜はケネカちゃん手作りのカレーをいただきました。

ギュッと詰まった一日でしたが、ありがたかったです。

長々失礼しましたー。

ありがとうございます。

2014年9月26日金曜日

今日もすてきな一日を

朝が来るたびに、秋の深まりを感じます。

今朝も涼しい。

アラスカのアンカレッジ付近で大きな地震があったとか。

妙深寺の教務3名も、すでにブラジルを発ち、ドバイまでたどり着いたようです。

あと少しかー。

ブラジルからたくさんのお土産を持ってきてくれるだろう。

佛立青年教務会から声をかけていただいて、彼らには、一生に一度あるか無いかの貴重なご奉公経験をしてもらうことができました。

どうせブラジルまで行かせていただくならば、目一杯ブラジルご奉公を勉強できるように、妙深寺の教講全員で送り出そう。

長い留守中、受持教区の皆さまにはご迷惑をお掛けしましたが、目には見えないたくさんのお土産を持って帰ってきてくれるはずです。

みんなで楽しみに待ちましょう。もう、空の上だと思います。あとちょっとですねー

こちらも、毎日が、あっという間に過ぎていってしまいます。

それこそ「ブラジルと仏教展」の図録を、来月の本山の高祖会、コレイア師が来るまでに完成させなければなりません。

デスクに座らないと。

でも、なかなか座れない(涙)。

本成寺さまの青壮年会総講の写真を送っていただいていました。

ありがたいです。

それぞれ、素晴らしい体験談をお聞きしました。

幼い頃から両親に連れられてお寺にお参りしていたし、薫化会や青年会にも出ていた時期もあったけれど、いつからかお寺から離れてしまって、お正月やお会式の時にだけお寺に行くという信者になっていた。

しかし、東日本大震災が起きた翌年のお正月、お寺にお参りすると受付に入られていた副ご住職から声を掛けていただいた。

今度、一緒に被災地に行きませんか?」

平成24年3月11日、久しぶりのお寺の行事に、一人で参加したとのこと。

大阪からバスに乗り、遠く被災地を目指して走り、一周忌の法要にお参詣させていただいたということでした。

そこから、何かが変わって行ったのだと言っておられました。

特別に、何かがあって、どうしたということもなく、ただ、心の中に、何かが生まれて、何かさせていただこう、と思えるようになったと。

年に数回しかお寺にお参りしなかった方が、きちんと朝参詣されるようになったこと。

お寺の様々な行事を、自ら進んでお手伝いしようとご奉公されるようになったこと。

そして、今回、みなさんの前で、お話するまでになっておられる。

今回の、私のポスターも作ってくださったとのこと(汗)。

この数年、この2年の間に、こんな素敵なドラマがあったことを知り、感動しました。

お聞きしながら、被災地で奮闘されている方々が、遥か遠くにいる方々の人生をより良く変えてくださったのだと思えて、なお有難かったです。

朝陽が昇る前、空を覆っていた分厚い雲が、どこかに消えていったようで、いま横浜は、透きとおった青空になりました。

今日もすてきな一日を。

ありがとうございます。

2014年9月25日木曜日

眼にて云ふ

25日、朝6時半から門祖日隆大聖人のご命日の御総講。

 

昨夜は、朝方にかけて、激しい雨と風でした。

 

朝になると、有難いことに、少し穏やかになっているようでした。

 

よかったー。

 

しかし、名古屋では地下鉄が浸水したと聞き、本当に恐ろしさを感じます。

 

今年は、自分の手で稲刈りが出来ませんでした。

 

お師匠さまが言っていました。

 

今年の天気。

 

雨は一気に降って、大地に染み入ることもなく、大地を削るようにダダーッと流れて消えてゆく。

 

雨の後は曇ったままで、日照時間が少なかった-。

 

「吹く風枝をならさず、雨壌を砕かず、代は羲農の世と成て」

 

こうした「現世安穏」の世界とは全く逆の様相です。

 

謗法があるからでしょう。

 

知らない人は知らないし、知っている人も教えようとしない。

 

これは謗法です。

 

凶悪な殺人犯も、テロリストも、正当な理由を主張します。

 

妄想や幻想、迷信やジンクス、あらゆる理不尽な人間の迷妄から離れる。

 

フラットに、自由に、豊かになること。

 

これが仏陀の創始した教え、仏教でした。

 

来年の1月までに巨大地震が起こるという報道。

 

来年の1月までにエボラ出血熱の罹患者が150万人に達するという報道。

 

中東に出現した新興国家のような宗教勢力が、欧米の人びとを無差別に殺すよう促している報道。

 

その彼らを殲滅しようと、敵国のない、国や民族という概念を超えた、本当の意味での新たな戦争に乗り出した世界。

 

二極化が進む世界。

 

二極化する世界の中で、蠢き、拡大を続ける、原理主義宗教勢力。

 

この世界の、眼となり、耳となり、柱となり、船となることは、大変なことです。

 

しかし、このままでは、エボラ出血熱と同じように、傍観していると、あっという間に、大変なことになります。

 

サバイバルは大切だけど、何のために生きて、死ぬのか、その尊い意味に気づいておかないと、かなわないです。

 

かなわないです。

 

そう、今朝、御法門でいただきました。

 

「臨終の 時にあらはす寂光は 信者のつねの行にあるなり」

 

NHK「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」

 

久しぶりに、レイモンド・ムーディ氏も出演していました。

 

『宇宙からの帰還』から立花さんには敬服していますが、さすが立花さんらしい切り口でした。

 

しかし、入り口で、終わってしまう。

 

そう、様々な人びと、国も、宗教も、年齢も、経験も関係なく臨死体験に共通する神秘的な体験は、脳の辺縁系が見せているというもの。

 

番組の、ここまででも、とてもおもしろかった。

 

でも、ここまでが限界だと思います。

 

私たちが見てきた、あの光については、検証できないのだから。

 

死にゆく本人だけではなく、それを見守る、そこに居合わせた人びとまでが共有する、「死体験」があるということ。

 

教えはもちろん、私の体験したことから断言できるのは、これが、佛立信心であり、真実の仏教でした。

 

「臨終の時にあらはす寂光」

 

臨死体験は、脳科学ではなく、むしろ集合無意識、シンクロニシティ等という視点から見てゆかないと、次の扉にたどり着かず、一人ひとりの人生を導くものになり得ないと思います。

 

そして、9月21日に祥月命日を迎えた、宮沢賢治さんの、「眼にて云ふ」を朗読させていただきました。

 

眼にて云ふ

 

 

だめでせう

とまりませんな

がぶがぶ湧いてゐるですからな

ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから

そこらは青くしんしんとして

どうも間もなく死にさうです

けれどもなんといゝ風でせう

もう清明が近いので

あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに

きれいな風が来るですな

もみぢの嫩芽と毛のやうな花に

秋草のやうな波をたて

焼痕のある藺草のむしろも青いです

あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが

黒いフロックコートを召して

こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば

これで死んでもまづは文句もありません

血がでてゐるにかゝはらず

こんなにのんきで苦しくないのは

魂魄なかばからだをはなれたのですかな

たゞどうも血のために

それを云へないがひどいです

あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが

わたくしから見えるのは

やっぱりきれいな青ぞらと

すきとほった風ばかりです。

 

 

こうして、見えていたら、いいですね。

 

それでも、辺縁系が見せる幻影ではなく、今生の果報が顕れるに違いない。

 

「臨終の時にあらはす寂光は 信者のつねの行にあるなり」

 

常の行が、映ります。

2014年9月23日火曜日

ただの休日ではなく

ただの、休日じゃない

今日は、お日さまと、お月さまと、僕たちの地球の節目。

この日、自分が今ここにあるルーツ、父や母、祖父や祖母、先祖や縁ある人を想って過ごす。

こんなステキなことはありませんよ。

壊れてゆく、崩れてゆく、縁や絆の中で、大切なことだと思います。

今日も御法門でお話しましたが、ここ最近、献体が増えているそうです。

医学や歯学の発展のために、自分の死後の身体を提供して社会に貢献する献体。

人類の発展に欠かせない、尊い行為と教えられてきました。

しかし、最近はその理由が変わってきたと言います。

自分の死後、葬儀で家族を煩わせたくない、面倒をかけたくない、迷惑をかけたくない。

そんな理由で、献体に申し込む人が増えていると言うのです。

「ゼロ死」という考え方や言葉もあります

この先生の言うことを聞いていたら、絶対に不幸になるという典型です。

しかし、みんな、この先生の話を聞いて、迷ってく、崩れてく。

葬式もしない、骨も殘さない、墓も持たない。

ゼロ葬。

ゼロ死。

自分も不幸で、家族も不幸な死に方、去り方であることを、誰も語らない。

立花隆さんの番組。

久しぶりにレイモンド・ムーディさんも出ていた番組。

興味深い話はありましたが、最期の時の、あの光りが、本人にしか見えない光りのように言っているから、分からないのだと思います

あの光りは、死にゆく人だけが見る光りではない。

部屋中を照らすのです。

脳内のホルモンや、シナプス、死の間際に、脳の辺縁系が神秘体験をさせるというだけでは、決して説明がつかない。

感動的で、根源的な現象って。

自分以外の死を、何度も見届けている人ならば、分かるはずです。

あの光り。

臨死体験をした人だけではなく、死を見届けてきた人にも、聞いてもらいたいです

人間の、生と死。

脳学者が説く虚無の世界。

宗教学者と言われる人が語る無味乾燥なる世界。

どんどん、大切なものが崩れてゆきます。

そんな風潮のある中で、今日のような日を大切にして、お参りくださった方々が、輝いて見えました。

自分が幸せになるだけではなく、見えざる世界へ旅立った方々が喜ぶだけでもない。

失われてゆく大切なものを守り続けている方々。

空をゼロと考える人に、仏陀の説いた修行の意義が分かるはずもない。

今日の雑感。

つらつらと思い浮かび、書かずにいられなかった。

夕方、まさに霊安室、というか冷凍庫の前に行き、棺を前に、御題目をお唱えさせていただきました。

棺を開き、ドライアイスをどかして、冷たくなった手を握り、お数珠をかけさせていただいて。

ゼロ死について御法門で触れた夕方、まさにゼロ死のような現実に立ち会い、さみしい気持ちと、ご奉公の有難さと、これからの使命を思いました。

お彼岸。

秋季総回向の日。

ありがたい一日でした。

2014年9月22日月曜日

みんな、みんな、ありがたい。

昨夜は、賀川浩先生とセルジオ越後先生にご相伴し、本当に楽しく、贅沢な時間を過ごさせていただきました。

研ぎ澄まされた頭脳、その回転の速さ、経験に裏打ちされた哲学、圧倒的な引き出しの多さ、強さと謙虚さ、ハードボイルド、ニヒリズム、ユーモア、アイロニー、優しさ、気づかい。

89才と、69才。

悪いけれど、ただのアスリートやスポーツ選手では、ここまでは行かないのです。

ジャーナリスト、教育者。

すごかったです。

本当に、ありがたかったです、

昨日のトークライブは京都新聞さまや読売新聞さまが取り上げてくださいました。ありがとうございます。

横浜から大阪、大阪から京都、京都から横浜、横浜から東京へと移動して、今日の午後は浅葉先生にお時間をいただいて、来年の終戦70周年の企画展についてご相談させていただきました。

いつも、お願い事ばかりで、申し訳ない限りです。おんぶに抱っこ。本当に恥も外聞もなくご相談させていただいています。

しかし、来年は何としても戦争と平和について一つの視座を提案したく願っています。

夕陽、きれいだった。

東名高速道路から首都高速に入る用賀料金所に、大きくinseaの看板が出ていて、とっても嬉しい。かっこいい。ありがたい。

みんな、みんな、ありがたい。

2014年9月21日日曜日

サッカーのテラコヤスコラ

大入り、ありがとうございます。

サッカーとブラジル、ブラジルとサッカー、サッカーと日本、日本のサッカー。

その本当の、本当のところ。

それだけじゃない、日本サッカーの生き字引、89才の賀川さん、日本サッカーのご意見番、60万人の子どもたちにサッカーを教えてこられたセルジオ越後さんのお話は、日本人論、教育論にまで及び、学ぶことばかりです。

たくさんの方々にお越しいただき、ありがとうございます。

「今身より仏身に至るまでよく持ち奉る」宮沢賢治

大阪の空、とってもきれいですー。

彩雲が出そうー。

今日は10時から本成寺さまにお参詣させていただき、第6回 青壮年会総講でご奉公させていただきます。

2度目のご奉公となります。精一杯ご奉公させていただきます

昨夜は本成寺の局長さまをはじめ、青壮年会でご奉公されている皆さまとお話をしながら夕食を頂戴いたしました。

法灯相続の大切さ思えば思うほど、受け継ぐご奉公の難しさを目の当たりにします。

しかし、それを乗り越えて、家族みんなでご信心できるように、ご奉公されている。

いつも、勉強になります。

今日のテーマは「ご信心の喜びを伝えよう!」といただいております。

満足にお話できるか分かりませんが、精一杯させていただきます。

だって、今日は、何よりも、賢治さんの祥月命日。

昭和8年(1933)9月21日、賢治さんは亡くなりました。

花巻の、あの歌碑の前で、今年も集まりがありますね。

賢治さんの企画展をさせていただいた今年は、特別な思いがあります。

賢治さんが残した文章、僕が、平成4年(1992)、今から22年前に、日記に書いたものがあります。

下記の文章です。

今日、ちょっと紹介させていただこうと思います。

「今身より仏身に至るまでよく持ち奉る

まるで、妙講一座の御文ですが、これは臨終直前の賢治さんの文章です。

「われやがて死なん
  今日又は明日
あたらしくまたわれとは何かを考へる
われとは畢竟法則の外の何でもない
  からだは骨や血や肉や
  それらは結局さまざまの分子で
  幾十種かの原子の結合
  原子は結局真空の一体
  外界もまたしかり
われわが身と外界とをしかく感じ
これらの物質諸種に働く
その法則をわれと云ふ
われ死して真空に帰するや
ふたゝびわれと感ずるや
ともにそこにあるのは一の法則のみ
その本原の法の名を妙法蓮華経と名づくといへり
そのこと人に菩提の心あるを以て菩薩を信ず
菩薩を信ずる事を以て仏を信ず
諸仏無数数億而も仏もまた法なり
諸仏の本原の法これ妙法蓮華経なり
  帰命妙法蓮華経
  生もこれ妙法の生
  死もこれ妙法の死
  今身より仏身に至るまでよく持ち奉る

あと20分で、出発です。

終わりましたら、京都に向かい、賀川浩さんとセルジオ越後さんのトークライブです。

テレビ局、新聞社など、たくさん取材に来てくださいます。

ありがたいです。

2014年9月19日金曜日

傷つき打ちのめされても

はいあがる力が欲しい
人は皆弱虫を 背負って生きている

にがい涙を かじっても
ほほえむ優しさが欲しい
君が愛にしがみつくより
先ずは 君が強くなれ

Hold Your Last Chance
こて先ではがれ落ちる美しさより
Hold Your Last Chance
ひとつぶの汗の方がいい
二度と走れぬ 坂道を上ったら
Hold Your Last Chance

誰かが人生でつまづいたら
さしのべる思いやりが欲しい
人は皆淋しさを 背負って生きている

頬を突き刺す怖さがあっても
立ち向かう勇気が欲しい
曲がりくねった迷路で
真実の自分を探すんだ

Hold Your Last Chance
テーブルに飾られたバラより
Hold Your Last Chance
野に咲くれんげ草の方がいい
二度と走れぬ坂道を上ったら
Hold Your Last Chance
Hold Your Last Chance

-----

沁みるー

すごいなー

ある人の一生を、導くようなフレーズを、歌い上げる人はすごいなー

野に咲くれんげ草の方がいい

ほんとうだ

足して幸せになれると思わない方がいい。

むしろ引いて、捨てたら、幸せになる。

ストレスの原因はストレス解消の中にある。

今日の満足感は明日の欠乏感になる。

本当の、本当に、素直に、正直にならなければ、時間はあまりに短くて、そこに辿りつけない。

余裕があり過ぎる。

結局、まだまだ余裕がある。

そう思ってる。

だから、分からない。

残念。

Hold Your Last Chance

傷つき 打ちのめされても。

踏ん張って生きていれば、必ずすてきな空に会えるよ。

大丈夫。

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...