ありがたいのは、妙深寺の、お通夜と告別式のご奉公。本当に、あたたかく、本当に、まごころで、お見送りすること。
私たちは、戒名料や塔婆料、墓地販売で生計を立てる葬式仏教や既成仏教でもなく、政治活動や広報活動をする、霊感商法などをする新興宗教でもない。「普通のお寺」だ。しかし、この世に「普通のお寺」がなくなっていることが、不幸の元凶だと思う。本門佛立宗、特に、ご奉公の責任がある「妙深寺」は、徹底して、「普通のお寺」であることを追求したい。「普通のお寺」とは「本来のお寺」であり、「御仏の御本意に叶ったお寺」ということだと信じている。
その一生涯のご奉公の功徳、生き様が「法号(戒名)」となる。本来、死んだ時にもらうものではない。後でお金で買うものなどではない。自分の積んだ功徳で、お師匠さまから頂戴するもの。お師匠さまにご奉公ぶりを見ていただいて、お付けいただくもの。
いずれにしても、人間の一生の最後に当たるのだから、大切なものに違いない。最近は、「お寺で葬式なんてやりたくない」「意味がない」と思っている人が猛烈に増えているという。哀しいことだ。それほど、お寺がない。信頼できるお寺がない。「信」がない。もう、底が見えてる。だから、意味が感じられない。「信」がなければ、確かに意味はない。葬式など、やる必要を見出せないだろう。それも分かる。
しかし、人間にとって大切な臨終、最期の時は、単純な「終わり」ではない。人間には、短い命と長い命があって、短い命は100年そこらで一旦消えてしまうが、長い命の寿命ははかりしれない。「死」とは「魂の宿替え」である。古くなった家も、時間が経過すれば傷む。何とか修理してもたせようとする。修理して、修理して、それでもダメな時が来る。その時は、家族はちょっと外に出ておいて、建て替えなければならない。「死」とは「魂の宿替え」とは、これと同じだ。
同じように、魂は身体に宿る。その身体は、時と共に傷む。傷んだ場所を見つけて、一生懸命に修理する。修理して、修理して、一日でも長くもつように、大切に過ごすことが大切だ。しかし、その宿も、70年か80年、100年そこらで朽ちていくものだ。そして、「宿替え」の時が来るのである。「魂」が無くなるのではない。「宿を変える」のである。
しかし、一般的に考えても、貯蓄が無ければ「建て替え」など出来ない。貯金もないのに新しい家を発注することはできないだろう。そこを、「功徳を積みなさい」「他の人を思いやる生き方、菩薩行に励みましょう」と教えていただくのである。それが、「魂の宿替え」のための「貯金」である。「死」を迎えた時に、「功徳」という名の「貯金」がない人は、「立て替え」「宿替え」ができない。誤解して欲しくないのは、「貯金」という言葉を使っているが、分かりやすくするために書いているだけで、「魂の宿替え」の場合、これは「お金」ではない。
神藤さんも、牧野さんも、本当に素晴らしいご奉公をしてきてくださった。岡野さんも先月末に帰寂された。3人共に90才を越える素晴らしいご信者さんだった。身体を使い、時間を使い、コツコツ、コツコツ、ご奉公くださった。その功徳によって、速やかにご奉公に戻ってきてくださるだろう。きっと、「宿替え」は、とても楽だ。功徳が、たくさん積み上げられている。そう考えると、佛立信者にとって「死」は恐れ、悲しむべきものではない。
神藤さんは、帰寂された後もご奉公くださっている。神藤さんは、大正5年生まれ。横浜に生まれた。ご結婚され三男一女に恵まれたが、ご主人を戦地に送り出さなければならなかった。終戦を迎え、夫からの連絡はなく、途方に暮れた。夫を送り出した妻は、ほとんどの人が戦死した連絡が来るか、あるいは音信不通。終戦から二年経っても、一向に連絡はなかった。戦死したのか。子どもたちを抱えて、途方に暮れていた。しかし、妙深寺の井上房江さんの「ご祈願すれば、必ずご主人は生きて帰ってくる」というお話に、ワラを掴む思いで飛びついた。そして、その日からお参詣、御題目口唱、ご祈願を続けた。1ヶ月後、何とご主人が帰ってきた。その驚愕の出来事に、ご信心は確信に変わった。
今でこそ、「シベリア抑留」などというが、当時の、日本で夫を待つ人たちにとっては暗中模索どころか、何の情報も無い中で、戦死したのか、生きているのか、迷いに迷って必死に生きるしかなかった時代である。事実、抑留先のシベリアなどで命を落とした方々も多くいる。神藤さんは、本当に歓喜にむせび泣いただろう。その証拠に、その後の神藤さんの人生、ご信心の姿は、伝説のようになっている。
御導師や御講師から「この有難いご恩はお教化で返しましょう」、つまり「あなたが助けていただいたならば、他の人も助けてあげるべき」という言葉を素直にいただいて、このご信心を、出会う人ごとにお伝えしていった。素直に、正直に、マインドコントロールをされているわけでも、霊感商法で変な壺を売り歩くわけでもない。ただ、ご信心をお伝えする、御題目をお伝えする、「普通のお寺」を紹介していったのである。
いま、神藤さんの教区は「泉教区」といわれている。その教区には、お寺を代表するようなご信者さんがおられる。「小山さん」「瓜生さん」など、どこに出しても恥ずかしくない佛立信者の方々。こうした方々も、神藤さんのお教化による。神藤さんがいなければ、こうした方々もいないと考えると恐ろしい。なぜなら、瓜生園子さんのお母さんである瓜生みやさんがお教化になっていなかったら、先住の、あのお怪我の時の、家族がうろたえていた時にも、園子さんがいないということである。とんでもない!考えただけでも恐ろしい。あの時、現証の御利益をいただくために、欠かせない役割が人それぞれにある。あぁ、ありがたい、と思うのである。
神藤さんは、96才で帰寂された。妙深寺では、各お通夜、告別式ではどんな方でも必ず「歎読」というものを拝見する。ご宝前に言上しつつ、棺の中の霊位に対しても申しつける、口語体の、言上なのだ。もちろん、神藤さんのお通夜と告別式でも、歎読を拝見したが、その最後に、若輩だから僭越なのだが、
「願わくはこの哀愍の歎徳を受け、寂光の本宮に安からしめんことを。かつ生々世々、行菩薩道の誓願に任せて、師壇世世生を共に相まみえ、浄佛国土の大願成就、共に菩薩行に精進せんことを請い願うのみ」
と言上させていただいた。いつも、抱き合っていたからね、神藤さんとは。いつも、お参詣するたびに。最後に抱き合ったのは、開導会の時、7月19日だった。だから、「師匠」とは言えないけれど、また一緒にご奉公させていただきたい、と。そう思う。
神藤さんには、悩みがあった。それは、子どもたちのご信心。しっかりと、ご信心して欲しい、と願っておられた。最後に抱き合った開導会から病院に直行されたとのことだった。それほど身体が悪いとは、全く感じられなかった。いつもの、明るい、元気な、おちゃめな、神藤さんだった。
しかし、その開導会に神藤さんは長男の方と三男の方を連れてお参詣された。その時と同じように、帰寂される1週間前、二人の息子さんを呼び出された。そして、部長の桜井さんも神藤さんから自宅に来るようにお願いされたのだという。病院から外出してきた96才の神藤さんは、自宅の御本尊の前に息子さん二人と部長さんを並べて引き合わせ、息子さん二人は「御本尊拝受願い」を書かれた。念願を叶えるため、そう、神藤さんは生涯最後のお教化を、お二人の息子さんで締めくくられた。その為に、自宅のご宝前に戻らなければならなかった。その時しかなかった。息子さん達が入信書を提出するのを見守り、見届けて、その後すぐに、救急車で病院に連れられたとのこと。さすがの神藤さんに、言葉がない。本当に、凄すぎるよ、神藤さん。
息子さんはじめ、ご家族一同は、突然の訃報に驚かれ、何から手を付けていいか分からなかった。しかし、喪主となるご長男の仕事関係の葬儀社に手配を依頼して驚いたという。「妙深寺…」と言ったら、その葬儀社が妙深寺をとてもよく知る方々で、「妙深寺でのお葬式なら任せてください」と追われたという。他にもたくさんあるのだが、こうした妙不可思議なサイン、「偶然」では片付けられない「必然」に、二人揃って、「母親の信心のすごさを感じた」とお話くださった。本当に、有難い。
それでも、通夜・告別式と、いろいろ分からないことだらけだったろう。ご信心も、上手に伝えられているか分からない。いろいろと、思案していた。
実は、妙深寺の広報部で、昨年の5月に神藤さんの特別インタビューを行っていた。妙深寺の伝説的な先輩ご信者の声を残しておきたい、という広報部の熱意から生まれたご奉公だった。1年と少し前だから、撮影当時の神藤さんは95才か。いつも、敬老会で踊りを見せてくれていた神藤さんらしく、お茶目で、ケラケラと楽しく笑う姿が収められていた。
私たちは、ご家族やご親族に、是非このビデオを観ていただきたいと思った。96年を生きた神藤さんの、生の声、事実、真実、愛、希望、思いを、この時、感じていただきたいと思った。この時、感じていただかなければ、きっと、チャンスはない。お通夜の会場で、一座が終わった後、会場の壁に映像を映した。受持でもない妙深寺の信仰師や清従師が司会やビデオを回すご奉公をしてくれた。もう、このビデオを観ながら、導師座で涙が止まらなくなった。ご家族も、ご親族も、お祖母ちゃんの「思い」が伝わり、ずっと涙を流されていた。本当に、有難かったと思う。
是非、このビデオを紹介させていただきたいと思う。96才の真実。一つ一つの言葉が、重たい。本当に、ありがたい。
佛立信心とは、本当に有難い。本門佛立宗の葬儀、妙深寺のお通夜や告別式は、本当に、有難いと思う。みなさんのまごころが、一つになっている。「普通のお寺」「本来のお寺」として、神藤さんのように本物のご信心をさせていただきたいと思う。
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今年もいよいよ大詰めですー
いよいよ「今年最後」のご奉公が続き、「よいお年を」というご挨拶をさせていただくようになりました。 今年最後の教区御講を終えた日曜日の夕方、横浜ランドマークタワーのスタジオで白井貴子さんをゲストにお迎えしてラジオの収録を行いました。ずっと聴いていたいほど大切なお話が盛りだくさん。 ...
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