遠くて見えにくいかも知れないが、青少年の一座の会場にご奉安された大御本尊の前で、海外からの代表者に並んでいただいた。現薫師から送っていただいた。今日、この写真を見ていて、思い出していた。もう、ずいぶん前のことのように思ってしまうのがコワイなぁ。
今日は京都から戻り、御染筆、そのままお通夜のご奉公をさせていただいた。有難いご奉公となった。93才の牧野さんのお祖父ちゃん。妙深寺草創期からのご信者さん。先日の神藤さんと同じように、妙深寺を支えてくださった方々である。
子どもながら、牧野さんのお祖父ちゃんといえば、どんなに暑い日でもスーツにネクタイを着けて、教区御講にせよ、御総講にせよ、お参詣され、御導師のお迎えのご奉公やご信者方の前でのご披露をくださっていた。班長、部長、教区長、連合長と、重要なご奉公を歴任された本物のご信者さん。本当に、お手本のように、いつも優しく、朗らかで、ご弘通の思いが篤く、実直な御方だった。
そして、さすがの臨終のお姿。ありがたい。本当に、真っ白で、綺麗なお顔。「生き恥かいても死に恥かくな」との先住の教えを思い出す。いつも、「ご信者さんの数だけヒーローがいる」と言い続けているけれど、本当に、本物だなぁ。憧れます。
原島さんのお父さまの件も、ご祈願、ありがとうございます。駆けつけてくださった御講師からもご連絡をいただいて、お父さまが危篤の状態から持ち直して、お医者さんも驚いているとのご報告。安心はできないと思うが、こうして、お医者さまが「不思議ですね」と言ってくださる「サイン」を顕してくださることが大切。そこに、御法さまの「手」を感じさせていただける。
ご信者であっても、「会者定離は娑婆の習い」からは逃れられない。しかし、そこに現証の御利益があって、「近き現証を引いて、遠き信を取るべし」という御妙判(お祖師さまのお言葉)の御意が分かると思う。ありがたい。お助行、ありがとうございます。
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