2009年9月18日金曜日

あたたかい気持ちから

今日は御講です。湘南に向かって走っています。寒川と星川まで。夜は会議があります。

全国各地から京都に、スリランカへのお数珠が届いていて、感激しました。まとめてくださっている小野山さんと原島さんに見せていただきました。丁寧に整理されている箱を見ると、みなさんのあたたかい気持ちが伝わってきました。大阪の本成寺からは、新品のお数珠を求めてくださって、それをわざわざ綺麗なお数珠袋に一つ一つ入れてくださっていました。こんなお数珠をいただくスリランカのご信者さんは、なんて幸せなんだろう。どちらかのお寺でいただかれた記念品のお数珠袋もありましたが、それには佛丸が入っていました。スリランカの人たちは飛び上がって喜ぶに違いありません。ありがたいです。

名前の入っているお拍子木もありました。たくさんお看経をあげられたであろうお拍子木。これがありがたい。新品でも使っておられたものでも、あたたかい気持ちが伝わってきます。ありがとうございます。

しっかり、お届けいたします。

今日も、二度とない覚悟で、御講のご奉公、御法門を拝見させていただきます。毎回、最後のつもりで、ご奉公に挑みます。お参詣のみなさまに、ご信心のありがたさが伝わりますように。聖人の唱える御題目と、私たちの唱える御題目。御題目に違いはありません。しかし、お祖師さまは法華経の御意に背いて唱えたらいけないとお諭しです。

みんな、御題目をお唱えできています。しかし、御意にかなっているかどうか。つまり、謗法をしっかりと見極め、自分のご信心の在り方を見つめてみて、開導聖人のお示しの佛立と、佛立のお寺、佛立の教務、佛立のご信者と、そうではない在り方に、水際を立ててゆかないといけない。交ざって、混じって、分からなくなってはいけません。なんか、最近は、そこが曖昧で、分からなくなっているように思いますから。開導聖人の御教歌、御指南をいただいて、佛立の筋、水際を学びます。お寺も、教務も役中も、そこを見れば、その人を見れば、「佛立らしさ」「此の経の御意」が分かるようでありたいものです。机上の空論では、いけないから。どの宗教でも、それなりに正当性を主張する教義を持ち、奇跡の話などを言います。私たちは、理論だけでも、現証談だけでもなく、人間性や、行動で、真実の仏教であることを証明してゆく責任があると思います。佛立らしさを、受け継いでいるかな?では、佛立らしさとは、何ですか?開導聖人に、ほめられますか?叱られますか?好かれま
すか?嫌われますか?考えてください。人も、組織も、運営方法も、あらゆることを、振り返ってみて、御題目はお唱えしている私たちですが、御意にかなっているのか、かなっていないのかに、徹底して注意を払わなければならないと思います。

あ、もう御講席に着きます。何を書いてるか分からなくなっちゃった。気合いと覚悟で、御講のご奉公をさせていただきます。

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