2009年9月23日水曜日

平成21年度 秋季総回向

 今日は、シルバーウィークだからなのか、例年以上のお参詣をいただき、素晴らしい晴天の下で、本当に盛大に秋季総回向が奉修された。お参詣が増えているということに、本当に感謝、感謝。有難いことだと思う。ご供養が足りなくなり、ご迷惑をお掛けしたとのこと。緊急対策の乾麺と、さらに緊急用の「おふきん」のご供養をお渡しさせていただいたということ。ありがとうございました。 
 本日の秋季総回向での御教歌、
 「あひがたきみのりにあひていさみなく 身の幸ひといふもおぼえず」
 また、妙深寺報に掲載させていただくことになると思うが、この「開化要談」という重要ご指南書にお示しの御教歌をいただいて、ご回向の大切さと、私たち佛立信者が思い抱かなければならないご回向やご信心への思いについて説かせていただいた。
 日本独自の行事であるお彼岸。今から1203年前、大同元年(806年)を起源とする説が有力。日本後記によれば、憤死した早良親王のために諸国の国分寺の僧に命じて全国的な法要を行ったことからお彼岸の行事が普及したといわれている。以来、1203年間、日本人は、春分の日や秋分の日を特別な日として、ご回向の法要を営んできた。これは、本当に尊い日本人の特質であり、守っていくべき文化、営み、行事であると思う。
 一般的に考えても、先祖に手を合わせ、思いを馳せることが有難いこと。生きている者が亡くなった者に対して功徳を送り、あるいは「霊よ鎮まれ」と願うことは、現代の私たちこそ必要な行いだと思う。日本人の心に染みついた大切な行事。
 しかし、古いからいい、習慣だからいいというわけにはいかない。幕末の江戸、お彼岸に限らず、逮夜や施餓鬼、回向や葬式など、仏事はたくさんおこなわれていた。しかし、檀家制度によって多くの僧侶は法を説かず、回向や供養の目的は薄れ、行事は形骸化してゆく。坊さんの、生活のための行事。それに対して疑問もなく、ただ、流されていく。
 それにたいして、水際を立てて、折り目けじめをつけて、本当の仏教で、本当の回向をしよう、そうでなければならぬ、とするのが、開導聖人の御意。それを、受け継いでいるのが、私たちでなければならない、と。もし、一般論として、「回向は大切です」「供養しましょう」と説くだけならば、半分にも満たない。本当に、ご回向になり、功徳になり、御利益をいただく道は何かを説かせていただかなければならず、その「水際」、その「境界」を、お参詣のお一人お一人にも、ぜひ知っていただきたい。その上で、人間として大切な、「先祖に手を合わす」「亡くなった方を想う」という尊いアクションを、起こしていただきたいと思う。「何でもいい」ではないのが、佛立信心。
 開導聖人の御指南。
「両祖の御抄御指南によりて、当家正流を水際たてて結び弘めたる本門佛立講也。これ当講興起の来由なり」本門佛立講興起の来由
 昔、「違いが分かる男の~」というCMのコピーがあったが、本当に「違い」を分かっていただきたい。
 「今は逮夜、施餓鬼、回向、葬式も、第三の教相、御題目、口唱に限る事也。
問、日蓮が法門は第三の法門也。世間の学者、夢にも知らざる法門也と仰せらるると、御抄を出して、拝見せさせ給ひしかども、どうも疑ひ、はれ難く候。此の御抄に、疑ひを起こさば、堕獄はもとより、現に御利益も、頂かれず候。わかり易く、御指南、給はるべく候。
答、ごもっともに候。我も、已前は、さやうに存じて、どうも、当世の御能化方の仰らるるように、題目口唱より、一経読誦の方、はるかに、功徳の勝るると存じ候ところが、大いなる習ひ損じにて候也。そは、御開山の御指南にて、さわりとかわり候也。
今の時は、上行所伝の御題目の五字ばかりより、下種の法とては、更に無く候。口唱信行より、外に利益を蒙る道は、更に無く候。これ如来の御使より、外に知る人無く候。かく心得て、口唱するが、第三の法門にて候也」
 それにしても、御法門は、ライブで聴聞いただきたいと思う。ここには、書ききれない。寺報ではまとめていただけるけど、妙深寺の、あの本堂の中で、同じ時間を共有しながら、聴聞していただきたいと思う。秋季総回向のお参詣、ご奉公、ありがとうございました。

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