2009年9月2日水曜日

佛立のルーツにあるご奉公

 海外の方々を大津の佛立寺にお連れしたことは既に書いた。ブラジル、イタリア、韓国、スリランカの主要な方々が佛立寺にお参詣させていただき、小野山御導師やお講師、ご信者みなさまの手厚いお出迎えをいただくことができた。
 前回の地域代表者会議でも、海外参加者をお連れしたのだが、この場所でお聞きしたこと、この場所で感じたことは「佛立のルーツ」として彼らの心を打ったに違いない。
 まず、前回の記事でも書いたのだが、病苦による自殺を思い止めさせ、お助行によって現証の御利益を感得させたというご奉公が佛立寺のルーツにあることを忘れてはならないと思う。
 神奈川県でも過去例を見ないほど今年の自殺者は増えている。社会現象なのか、希望を見いだせない病気の方々が多いのか、経済環境が圧倒的に悪化しているのか、その理由は様々挙げられている。しかし、根本に、心に、頼るべき支柱、信じられるものが欠如していることがあると思う。
 その「自ら命を絶つ」という心境や状況になった方を救うのが佛立信心であり、佛立信者であることを、思い起こさなければならないと思う。この、大津の佛立寺には、開講間もない本門佛立講のご信者が、どのように人々を救い、どのようにご奉公をされ、現証の御利益を顕し、結果としてどのようにご弘通が発展していったかが、この土地に、本堂に、御本尊に、歴史に、刻まれている。
 安政5年8月のこと。酒造家として広く商売を手がけられていた大津の小野山勘兵衛氏は、難治の胃病だった。病気による苦しみから生きる希望を失い、自ら命を絶とうと、いざ首に縄をかけようとした。それを、植木職人として邸内で木々を剪定していた佛立宗のご信者・高橋儀三郎氏が発見。高橋氏は勘兵衛氏の自殺を思い止まらせるためにお折伏をし、すぐに京都の開導聖人に連絡した。そこから、お助行が始まったのである。
 そこで、小野山氏の病悩を除滅させるためのお助行が、夜を徹して行われたという。京都からもご信者方が集まった。そして、明け方。信じられないほどの現証の御利益が顕れた。何をしても治らなかった勘兵衛氏の病が快方に向かったのである。御題目をお唱えした後、それまで苦しさから何も口に入らなかった小野山氏が「お腹が空いた」と言ったのである。この現証の御利益に、小野山勘兵衛氏は随喜して入信。「人助けのために、ここに佛立講を立てていただきたい」と申し出られたという。
 すぐに、親戚一同が本門佛立宗のご信者になられた。親戚の御牧卯兵衛氏も、そこで入信。ご信心に感動して、御牧氏は所有していた茶園をご有志し、ここが佛立寺の全身となった。小さな茶園の中に立つ茶屋を改築して、「法華堂」とした。これが、佛立宗最初の道場、寺院建立の第一歩となる。文久元年のことだった。その後、明治維新が起こり、明治12年(1879)10月28日、大津・法華堂は「佛立寺」と寺号公称し、歴とした「寺院」をなったのである。そして、この御牧氏の子息である虎之助は、10才の時から開導聖人の門に入り、徒弟となった。そして、佛立第2世講有にまでなる。それもこれも、このご奉公、現証の御利益がはじめであった。

 こうした本門佛立宗のルーツにあるご奉公を忘れてはいけないし、現代の私たちも、そういうご奉公をさせていただこうと、努めなければならないと思う。それは、後に、決定的な素晴らしい結果をもたらし、未来を築くだろう。そういうご奉公ができていないなら、未来はないのだから。

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