この日から、戦争が始まった。8年前、この、衝撃的なニュースが飛び込んできた時のことを、今でも鮮明に覚えている。今から8年前の2001年9月11日、アメリカは歴史上経験したことのない壮絶な攻撃を受け、それは全世界に映像を通じてオンタイムで発信された。
これほどまでに、壮絶な映像、ニュースは、なかったと思う。もちろん、JFKの映像、アキノ氏の暗殺など、これまでにも衝撃的な映像を「世界の衝撃映像~」などとタイトルを打たれたテレビ番組で見たことはある。しかし、この「9.11」の衝撃的な映像、今この時に、この恐ろしい事態が起きているのか、という恐怖と怒り、無力感と不安、得体の知れない興奮…、その感覚を、抱いたのだ、8年前の、今夜。
あの夜に見た同じ報道番組で、「老人が戦争を起こして、若者が死ぬ」とコメンテーターの方が言っていた。いつも、この方の論評には頭が下がる。本当に、9.11から始まった戦争を言い得ている。それまでにも多くの血が流されてきたが、この日からさらに多くの血が流されることになった。アフガニスタンで、イラクで、見えない敵と戦うことを選んだアメリカは、多くの若者を戦地に送り、その尊い命を失った。どれほどのテロリストがアメリカを攻撃した代償として命を失ったのか、私には分からない。むしろ、9.11の時には一般人でしかなかった人が、この日を境に始められた戦争によってテロリストになったのではないか。多くの人が、それまで何の罪もなかった愛する人を失った。テロリストを撲滅する以上に、テロリストを生み出したように思う。
そう、9.11よりも前から、ずっと戦争なのだ。今も、戦争は続いている。どこを見て、どこにいるかで、分かるか、分からないか、知っているか、知らないか、という違いがあるだけで、9.11の以前から、アメリカや日本以外ででは、ずっと戦争だった。
私は、本当に、憤慨していたと思う。不謹慎だと思わないで欲しい。あの日、興奮したのは、多くの人が命を落としたテロを目撃して、エンターテイメントを見たかのように興奮したのではない。御仏の教えを、本当に説いていかなければ、大変なことになる、本当に、そのことを知って、ご奉公させていただかなければ、と思った。
2001年9月12日、ブッシュ前大統領はテロに対する闘いを宣言。ここで、タリバン政権の関与を示唆し、ラムズフェルドはビン・ラディンとアル・カイダが容疑者と断定した。同日、国連の安保理は、「テロリズムに対してあらゆる手段を用いて闘う」と決議し、アフガニスタン攻撃の根拠とした。その後の展開は、知るとおりである。
さらに、2003年3月19日、アメリカ合衆国とイギリス、オーストラリア、ポーランドなどの有志連合が、イラク武装解除問題の進展義務違反を理由にイラクに侵攻。恐ろしい事態となった。私は、9.11からの世界の反応に、不信感を募らせ、憤っていたと思う。9.11から発生した報復の連鎖、宗教右派の原理主義者たちの動き、まさに強欲なビジネスマンたちの動きを忘れられない。今でも、それは同じ。イラクが大量破壊兵器を作っていると、衛星写真まで使って報告したにもかかわらず、合成写真の疑惑。裁判は行われたが、東京裁判よりも酷い状態だった。今の世にパール判事はいなかった。罪状も明確にされぬまま、フセイン大統領は処刑。その処刑直前までテレビが彼を追った。公開処刑のようなアレルギー反応から思考停止のまま、恐ろしい時代が続いてきたと思う。本当に多くの人が亡くなった。その人も不幸だが、その家族はもっと不幸であり、その心の炎は、永遠にくすぶり続けるだろう。
ブッシュからオバマへ。何か希望を抱ける今年の9.11ではあるが、未だ、心は晴れない。あのイラク戦争が始まった年、いてもたってもいられず、一人でイスラエルに向かった。私は、どうしても世界に対して仏教を説かなければと思っていたし、そのためには、西欧の宗教の原点、しかも、この9.11の問題にも極めて関係している三つの宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を、肌で感じたかった。イラクから、数百キロのイスラエル。私が帰国した直後、日本の奥外交官らがイラクで殺害された。恐ろしい時代がはじまっていて、その現場に足を踏み入れていたこと、これからも足を踏み入れ続けて、自分の使命、ご弘通をさせていただきたい、ということを、心に誓った。
2003年11月のエルサレム。テルアビブ、ガリラヤ、ベツレヘム。
2005年、9.11の現場であるWTCで、ご回向の一座を奉修させていただいた。この日のこと、この日の思いは、言葉にならない。ひろし君と一緒に、ニューヨークまでたどり着き、そして、目的の場所であった9.11の現場に行った。私は、緊張していた。ここなのだ、ここだったのだ。別に、死んでもいいとおもって、行ったイスラエル、エルサレム。何とか、佛立が、世界に伝えなければならない。ご弘通を、と。
その思いの、衝撃的なニュースの場所。ここで、御題目をお唱えすることに、自分だけかも知れないが、深い深い思いを抱いていて、その場に、ひろし君と一緒に行き、一緒に御題目をお唱えできたことに、深い意味を感じた。本当に、哀しい場所ではあったが、御題目でご回向が出来たこと、その機会が持てたことに、感謝している。意味がある。ここから、はじまってしまったことがあるから。ここで、亡くなった方に対するだけのご回向ではない。ここから、亡くなってしまった方がいるから。
今日、どうしても、少しでも、このことをアップしておきたくて、言葉足らずだが、更新させてもらった。
この上の、2つ目の写真は、エルサレムの聖墳墓教会の地下で撮った写真だ。十字軍が、エルサレムを奪還し、聖墳墓教会の壁面全部に、十字を刻んだ。真っ暗闇の、恐ろしい部屋、階段に、十字架が、刻まれている。私は、聖戦の、恐ろしさを痛感した。新しい時代の、新しい聖戦の始まりとなった、9.11を、思い返している。
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