昨夜お電話をいただいたお講師には、その方の病気や症状を考えて「気にすることはないです、好きに書かせてあげてください」と言ったが、今日も何人かの方からご連絡をいただき、その原文も届けていただいた。読ませていただいたのだが、それは本当に哀しい内容だった。
ご本人だけが、閉じた世界に入りこんでいて、客観的、普遍的な世界との境界がなくなってしまっている。彼女の感じた世界だけが真実で、それは周りからすれば事実とは全く異なるのだが、それだけが突出して大きくなっている。しかも、その偏った「真実」を理路整然と組み立てて、自分こそ虐げられている存在だと訴えている。
間に入ることで、少しでも本山や他のご信者の皆さまにご迷惑がかからないようにと思ったのだが、彼女にとっては新しい標的を見つけたに過ぎなかったようだ。
残念なことに、彼女は、ずっと以前の問題について訴えていたが、それが誰とも話し合いにならないことを、私への批判によって証明してしまったように思う。
私は、どこにも偏ることなく、丁寧に彼女が接触した各方面の方々から事情を聞き、ご指導をいただきながら、あの日の電話に出ていた。無論、それは、いつも自分が教務として精神疾患に悩む方々と話すように、どこまで会話が成立するか、どこまで相手の話を尊重するだろうか、という手探りの状態だったが。
何とか救いたいが、恐るべき壁がある。如説修行を想えば、怪文書も、悪口も構わないが、この出口の見えない罪障の渦こそ退治しなければならないと思う。末法悪世と知りながら、さみしいものだ。
今後、彼女を救うために、どのような方法があるか、探し出さなければならないが、本当に厳しいと思う。
スリランカでも、様々な流言があり、純粋な信徒を困惑させている。良潤師やシニアメンバー、青年会が、こうした事態に立ち向っている。年末のご奉公の主眼は、まさにこれらの困惑を払拭することだった。
平成24年。「権実雑乱」とは真実と真実でないことが混濁して、結果的に正しいことが見えなくなるということだが、末法の様相は深まり、まさに厳しいご奉公が続くような始まり方。
有難いことだ。難と毒を恐れていては、末法のご弘通、菩薩行は出来ないのだから。
1 件のコメント:
ある住職が言ってました。
「長松くん、気にするな。ほっとけ
言うやつは言わせておいたらいい。
無視だ、無視。御題目をろくに唱えずに、
怪文書ばかり送る輩は、どこかで
現証御罰を蒙るだろう。
大尊師も(争うな、ほっておけ)という
御指南で仰ってあるのだから、
大尊師の言うとおりにしておけ」
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