天体観測に優れた古代マヤ人は極めて精緻(せいち)な暦を持っていました。このマヤ文明が残した「マヤ暦」の記述が平成二十四年(二〇一二)の冬至で終わっていることから、人類は二〇一二年十二月二十一日~二十三日の間に滅亡するという人がいます。以前「ノストラダムスの大予言」も世間を騒がせましたが、的中したとは聞きません。人類滅亡の日を知る者はいません。第一、日時に意味はありません。
しかし、私たちは知っています。昨年、日本は千年に一度の大災害に見舞われました。放射能汚染は日本だけでなく、全世界に広がりました。終息の目処(めど)もつきません。想像を絶する長い期間、何世代にもわたって「見えない死神」は人々を苦しめ続けるでしょう。今後、放射性物質の生物濃縮は進みます。食の安全は失われ、人々の健康や生命を蝕(むしば)んでゆきます。人類は、いま本当の危機に直面しています。
ノストラダムスの大予言やマヤ暦を引いて怯えるのは愚かです。冷静に考えれば、人類がこれまでと同じような思考や価値観のまま行動してゆけば、危機的な状況に陥(おちい)ることは明らかです。全人類のパラダイムシフト、思想や価値観の劇的な変化が必要です。
私は、東日本大震災やこの原発事故は、暴走を続けた人類が最後に迎えた転換点ではないかと考えます。世の中は、ここから加速度的に悪くなり、次の社会システムを生み出すための混乱期を迎えるでしょう。今を、数千年に一度の、全人類規模の、最後の一大転換点にしなければ、手遅れになります。
核兵器による攻撃と原発事故による被曝を経験した日本は、人類の中で特別な使命を背負っていると信じます。日の出る国・日本。人類最初の恐ろしい経験を、世界の平和と安定のために伝えてゆかなければなりません。
人類滅亡へのカウントダウンが始まっているとしても、それを止めるために、新しい社会や人間の在り方を世界に向けて提案すべきです。それが日本人に与えられた役割、使命であると思います。
最重要御書である「観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)」に「四劫(しこう)」という言葉があります。「四劫」とは、御仏による世界の時代区分で、「成劫(じょうこう)」「住劫(じゅうこう)」「壊劫(えこう)」「空劫(くうこう)」の四つを指しています。世界が成り立って成長していく時代を「成劫」、世界が安定して住めるようになる時代を「住劫」、それらが崩壊する時代を「壊劫」、そこから廃墟、空虚になった時代を「空劫」と呼びます。御仏は、人の魂が輪廻(りんね)するのと同じく、この世界も「成(じょう)」「住(じゅう)」「壊(え)」「空(くう)」、「成」「住」「壊」「空」と、何度も繰り返していると説かれました。
昨年は、日米開戦七十年の節目の年でした。大戦で亡くなられた日本人は約三百万人です。犠牲者は大震災の一五〇倍にも上ります。最後の一年間で、その中の約八割、二四〇万人が命を落とされました。七十年前の出来事です。
これを「四劫」に当てはめれば、地獄のような戦争の期間は「壊劫」、敗戦と廃墟の期間は「空劫」、復興と経済成長を遂げてゆく期間は「成劫」、世界第二位の経済大国となった繁栄期は「住劫」。そして、バブル崩壊後の混迷の時代を再び「壊劫」と呼ぶことが出来ます。ここでは日本の戦後史を取り上げましたが、今回の「壊劫」は日本に限定されるものではありません。世界が小さくフラットになる中、金融も経済も、社会保障も、食糧や水の問題もギリギリの状態です。「一ヵ国だけ安全」「一ヵ国の危機」は不可能で、全ては連鎖し、連動して瞬時に広がってゆきます。
三年前、妙深寺は「立正安国論(りっしょうあんこくろん)上奏(じょうそう)七五〇年」を大きく取り上げ、「時代が変わった」と警鐘を鳴らし続けました。ご正当年が終わる大晦日、如説院日修上人のご遷化という驚天動地の大法難が起こりました。これを立正安国論に匹敵する慈悲のお折伏、真実の警鐘と心得て、まさに私たちは「時代が変わった」と確信しました。「壊劫」に入っているのだ、「成劫」「住劫」の感覚では油断が生まれてしまう。
その後の二年間、世の中の状況はご存じのとおりです。あらゆる分野が、危険水域を超えています。大自然の悲鳴、恫喝、痙攣に似た大規模な災害にも苦しみました。東日本大震災と津波、原発事故は、復興政策やエネルギー政策だけではなく、私たちに決定的な条件を突きつけ、選択を迫っています。
長い目で見れば、すでに末法は「壊劫」です。苦難や困難が多く、圧倒的に生きにくい時代なのです。
お祖師さまが立正安国論を執筆する決意は、首都を直撃した正嘉の大地震(一二五七)で固められました。大地震に続いて関西地方で大雨による大洪水が発生します。まるで昨年の状況と似ています。
さらに、正嘉の大地震から毎年のように月食と日食が続きました。これも昨今の状況と全く同じです。昨年十二月十日には十一年五ヵ月ぶりに皆既月食があり、今年五月二十一日は金環日食が起こります。次に観測できるのは二〇三〇年と言いますから、余程のタイミングです。奇妙に重なっているのです。
大地震以降、正月から全国的な大飢饉と大疫病が発生し、さらに鎌倉で日食が起こったといいます。立正安国論の冒頭部分が、凄惨な情景で始まるのも、まさに地獄のような「壊劫」の情景でした。
鎌倉時代、庶民の生活はCO2を排出しない質素なものでした。しかし、当時の人々は自分たちの心や行動が自然界に多くの影響を与えていると信じて悪い出来事が続くと自らを改めようとしました。
ところが、圧倒的に多くの有害物質を自然界に排出している現代人は天変地異と自分たちの生活を結びつけず、改められずにいます。果たしてそれが賢明な人間の姿でしょうか。
放射性物質は「除染」で消えるものではありません。遠ざけても無くなりはしません。自分たちの心や行いを改めずに、解決できると思うのは最も愚かなことです。仏教は、このことを教えています。
六・一〇、妙深寺は「震災復興祈願・先住日爽上人 御十三回忌報恩記念大会 ~ここに、仏教があります~」を開催いたします。ここに息づく生きた仏教、生きたお寺の大切さをお伝えし、社会に欠かせない新しい思考や価値観は生きた仏教に基づくべきであるとお伝えしたいのです。困難な一年も、必ずや素敵な年になります。ぜひ万難を排してお参詣ください。
お祖師さまのお言葉に。
「但(た)だ偏(ひとえ)に、国(くに)の為(ため)、法(のり)の為(ため)、人(ひと)の為(ため)にして、身(み・自分)の為(ため)に之(これ)を申(もう)さず」(安国論御勘由)
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