ご講有のご親修をいただいて、晴天の下、盛大に長松寺の開導会を奉修させていただくことが出来ました。奥さまにも、執事長・小野山御導師、松本御導師をはじめ、本山宥清寺、第一支庁管内、有縁の御導師や御講師方にもお参詣いただき、本当に、もったいなく、ありがたいことでした。
先住がご遷化になられてから14年。
由緒寺院長松寺を護持させていただいてこれたのは、毎月お参詣くださるご信者みなさまのおかげでした。
明治17(1884)年2月、開導聖人はこの麩屋町に家屋を求められ、お引っ越しをされました。以来、今年で130年。
130年間、護持させていただいてきました。
長松寺のご宝前は開導聖人によるデザイン。130年前のデザイン。
松葉をモチーフにした図案、意匠が散りばめられ、お戒壇の下側、中央段には、左右に「佛立開導」「長松清風」と刻まれています。
御本尊さま、開導聖人護持のご尊像さまも、130年を経て、ご講有猊下をはじめ、みなさまのご法味をお供えさせていただけることの、ありがたさ。
開導聖人がお住まいになっておられた、当時の面影をそのまま残しているのが、長松寺。
大切に、お守りしてゆかなければならないと、気を引き締めています。
しかし、時代は、猛烈な勢いで変わっています。
世の中も変わり、人も変わってゆきます。
その中で、それでもしっかりと永代護持できるように、整えてゆかなければならないと思います。
考えねばならぬこと、頭の痛いこと、重たい責任、恐るべき孤独、すべてが望むところで、有難いです。
昨日は、近しく猊下のお優しい謦咳に接し、参列の皆さまからもいろいろなお話を頂戴し、希望の光りを見て、今後の励みにさせていただくことが出来ました。
ご講有からいただいた、佛立信心の本質を貫く、筋の通った御法門は、絶対に忘れることは出来ません。
御教歌
「おのが身の 為の口唱の万遍は 法のこゝろに叶はざりけり」
畳が擦り切れるくらいのお助行、夏の暑い頃になると汗で座布団が濡れるほど、必死にお看経、お助行させていただいたものです。
自分の祈り、自分のご祈願に終始しているままでは、却って迷いを増長する。
そのままでは、御法の御意に叶わない。
そのご信心を、誰かを救おうとする祈りに変えて、ようやく本物の佛立信心、御法の御意に叶うご信心になるのだ、と。
「現世利益を言う宗教は低俗だ」などという言葉を聞くことがありますが、私たちが「御利益」と呼ぶのは「現世利益」のことではありません。
「現世利益」と「現証の御利益」は違います。
法華経のご信心、佛立の信心は、あくまでも「現証の御利益」です。
何らかの修行をして、何の結果もないとすれば、それこそ「因果」を無視した無意味、無為な話です。
正しく修行をすれば、必ず結果は現れます。それが「現証の御利益」。
しかし、このシンプルな、尊い、力ある修行を、自己の欲望を満たすためだけに終始していてはならぬ、ということが、法華経の御意であり、ご信心の筋なのです。
そこを、成長させろ、次に行け、そうでなければ御法の御意に叶わないぞ。
このように、ご講有からご教導いただきました。
本当に、有難い。
開導聖人の御教歌にお書き添えの厳しい御指南。
「人を助くる法を以て我身を祈り、浄土参拝の法を以て現世を祈るは習損也」
深い深い、厳しい厳しい御指南です。
「人を助けんと思ふ口唱が却て我身の為となる也」
「経の御意に逆く時は却て御利生顕れがたし。不軽行は菩薩也。御利生速也。」
このとおりに、ご信心をさせていただければ、自由自在、本当に速やかに現証の御利益を頂戴できるのです。
ご講有の御法門の中で「因の如来」というお言葉もありました。
いま、ここ最近、ずっと心に思っている大切な教えです。
「因の如来」に近づこうとご信心やご奉公できているかどうかが、大切です。
開導聖人の御指南集、昨日のご講有が拝見された御教歌の数行手前にあるお言葉。
「医者の不養生、坊主の不信心」
開導聖人は、常に厳しいのです。
とにかく、有難い長松寺の開導会でした。
ご講有、山内日開上人は、今から40年前に、ブラジルの教務・信徒を指導されるために、宗門から派遣されてブラジルに単身赴任されています。
半年間、夜行バスを乗り継いでブラジルの各寺院を往復し、信徒研修会を開催されるなどしてご奉公なさったのでした。
本当に、壮絶なご奉公だったと思います。
40年前です。
「ブラジルと仏教展」の準備の最中、ブラジルのコレイア教区長が、当時の記事の写真を送って教えてくださいました。
御法門に先立ち、ご講有から「ブラジルと仏教展」や毎日新聞の記事についてご披露くださり、観覧をお勧めくださいました。本当に、勿体無いことでした。ありがたいです(涙)。
昨日は、本当に、有難かったです。
ご奉公いただいた皆さま、本当に、ありがとうございました。
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