日曜日、午前と、午後の御講ミーティングが、終わりました。
いつもながら、もっと時間があれば、もっと心に余裕があれば、もっと勉強しておけば、もっと気力と体力があれば、と反省しながらも、分相応、精一杯、ご奉公させていただきました。言い訳はいいわけ(笑)。
つくづく、いいとこ取りは、本化ではありません。徳は人に譲り、苦労は我に引き受ける、それが本化とお示しですから。
いま、スリランカは16時。17時半から青年会とミーティングします。
この夏、青年会から10名を選抜して日本にお参詣してもらいます。いま、しなければならないことがあります。だから、します。そして、未来に引き継ぎたい。
午前中、妙深寺スリランカ コロンボ別院となったコフワラのセンターで御講ミーティングを奉修させていただきました。
この際、青年会選抜メンバーの誓願言上がありました。
タイトルは、“PROUD TO BE A HBS MEMBER”となっていました。
7月末から8月上旬にかけて、横浜から京都、出来れば広島や陸前高田まで、彼らと一緒に巡りたいと思います。将来の、スリランカのご弘通をかけて。
ケネカちゃんの花嫁修行も始まります。一緒に来日して、そこから来年の3月まで、日本でいろいろなことを勉強してもらえたらと思います。これも、未来のスリランカのご弘通のために。
大家さんからのお話もあり、苦労は我に引き受ける、本当に未来を見据えたご奉公が、私たちに求められていると思います。
昭和40年、茨木日水上人が、凱旋帰国のようなかたちで最後の日本にお戻りになりました。
北は北海道から南は九州まで、全国を行脚して各地で盛大に講演会を開催しました。
関西ではラジオに出演し、NHKの「私の秘密」という番組に出演されたのもこの時です。若き岩下志麻さんと共演されているのですよねー。岩下志麻さん、きれいでしたー。
その一部をミュージアムでも展示しておりますが、その時の写真がたくさん残されています。
昭和39年、つまり、その前年、妙深寺の日博上人はブラジルに行かれました。そして、そこで危機的状況を目の当たりにしました。このままでは駄目と思い、有名なスピーチをしました。
それが、南無の信心という講演で、しっかりとご講有へのお給仕を勤めなければならない、異体同心でご奉公を進めなさい、お金のことは心配するな、妙深寺、法正寺、妙現寺が面倒を見る、旅先だけれども持っているお金をすべてご有志させてもらう、信心を起こせ、信心を取り戻せ、というものでした。
そういうお折伏をされた日博上人。翌年に当たる昭和40年の写真を見ると、妙深寺が一番ボロボロの古いお寺で、他のお寺はとっても立派でしたー。
その時は、そういう身の切り方があったのだと思います。
日博上人亡き後、受け継いだ方々のご奉公は大変であったでしょうし、ご苦労は並々ならぬものがあったと思いますが、妙深寺はきっとそうした果報をたくさんいただいて、盛大に発展を遂げてきたのだと信じます。
ブラジルのご弘通の姿も、本当に素晴らしく、有難く、誇らしいです。
スリランカ。大変な面もたくさんありますが、本門佛立宗らしいご奉公が出来ればと思います。
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