明治の末、ブラジルへ仏教を伝えようと、第1回ブラジル移民船・笠戸丸に乗船し、奴隷のような移民生活を経て、ついにブラジルに仏教を広めた茨木日水。
彼は、日本人の誇るべき徳性や精神性を称えた「ジャポネス・ガランチード」を象徴するような生涯を送りました。
日水は、第一次世界大戦と第二次世界大戦をブラジルで過ごしました。
太平洋戦争が始まるとブラジルはただちに日本と国交を断絶。政府関係者は引き揚げ、ブラジル国内では敵性国民と見なされ、日本人への立ち退きや資産の凍結、没収などの迫害が相次ぎました。日本語で話し合うことも禁止され、情報も遮断されました。戦前の日本で国粋主義教育を受けた人びとは両国のナショナリズムの狭間で苦悩しました。
事実、終戦後の約1 0 年間、日本の勝利を信じて疑わない「勝ち組( 信念派)」と、敗戦を受け入れるべきとする「負け組( 認識派)」の対立が続きました。
この対立はついに日本人同士の殺戮事件にまで発展し、ブラジルの日系人社会は深い傷を負うこととなりました。
日水は、日本から遠く離れたブラジルで、戦争の悲惨さや愚かさ、日本人の素晴らしさや愚かしさを見つめながら過ごしました。近年、その一端を垣間見る手紙が発見され、注目を集めています。
この手紙は弟子の一人・及川日在に宛てたものでした。相手が弟子とはいえ、日水は丁寧に言葉を選びながら、1970(昭和45)年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した三島由紀夫について言及し、「戦争と平和」「憲法と自衛隊」「武士道と仏教」について述べています。
この手紙を執筆した12月8日は、三島が自刃した約2週間後、奇しくも太平洋戦争が勃発した日であり、仏陀釈尊が成道したと伝わる日でもありました。その意義深い日時は、後世に生きる私たちに対する大切なメッセージのように思えます。
そもそもブラジル移民を創始した水野龍は、移民を他民族との「共存共栄」の事業と考えていました。
NHKが水野を取り上げた「その時歴史が動いた」では、副題を「移民は共存共栄の事業なり ~ ブラジル移民1 0 0 年~ 」とされています。日露戦争後、日本の移民政策は台湾や朝鮮、満州建国後は大陸へと転じて、国家を挙げて大量の移民を送り出してゆきました。そこにも「共存共栄」「五族協和」「大東亜共栄」が謳われていましたが、自由民権運動の闘士でもあった水野の「共存共栄」と国家の思惑とは次元の異なるものでした。残念ながら無惨な敗戦がその違いを証明することになります。
明2015(平成27)年、私たちは終戦から70年目を迎えます。戦争から長い年月が経ち、その酷い記憶が薄れる中で、アジアの勢力図も変わり、日本の安全保障、自衛権や憲法改正について活発に議論が交わされています。
水野の事業に参画し、第1 回笠戸丸移民として仏教による共存共栄を目指した茨木日水。異国の地で「ジャポネス・ガランチード」を体現した彼の言葉は現代の日本人の心にどう響くでしょうか。
人間の心の在り方が、この世界を浄土にもし、地獄にもする。法華経の精神を説きながら、『平和国家で押切る事が真の武士道』と書いた日水の言葉は、重たく、厳しく、私たちに向けられています。
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拝啓、十二月三日手取の御手紙御請取いたしました。
此度は松尾氏行きで小使を多分に使はす事になりました。誠にありがとう存じます。帰途は便が悪くて吉田局長迠足を延ばしました。今年は気狂天候で総てが当に成らない、喜んだり悲観したりが農家の現状です。人間の気持を顕はすのでしょう。
此度は三島由紀夫文学者の自刃で世界中のショックでした。珍らしい出来事でしたが拙者の考へます武士道ですが、義を見てせざれば勇なきなりと云ふ言葉があります通りベトナム戦争に国民の飢え衣食住に困難する姿を見て再び戦争はいたす物でないと思ひます。幸ひ日本は平和国家を法律に定められてある事が如何に幸福の事かと思ひます。自衛隊といふのは守備隊の事で城を守るといふ役割です。国の番人です。平和国家を守護して居るのが武士道であります。日本を範として各国が守備隊を置く定度の軍費であれば世界中が経満国になります。此の平和国家で押切る事が武士道です。諍ひ戦ふことが武士道でありません。
斯した高度の思想の文明は佛陀を信じる事にあります。外道の思想には大きい欠点のある事を覚悟せねばならぬのです。三島氏は国士で犠牲精神に富んだ立派な方でありますが時代謬誤の賢者です。言行一致は誰も望む所ですが本未有善の衆生は天台伝教聖徳太子八幡大菩薩の様な観行即には行きません。且つ此の娑婆世界は同居土で賢愚雑居の所ですから、無理な思惑を押付けても全々効果はありません。悲しい事ですが世の犠牲者と見る外ありません。如何に立派な人でありましても、人間凡夫の自力の考へ方では的に当りません。此の世界に高い思想家といふのは釈迦牟尼仏です。三島さんに佛縁の無かった事が致す処と思ひます。
三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なりと高祖聖人は教えられて居ります。法華経の信仰の世界は故に不幸の起る天災の如きは神仏御守護が無いからであると我々は解釈する外ありません。王舎城の名で町が火災を逃れた事など故事を引証しますと過去世の業因もありましょう。我々は南無妙法蓮華経と唱へて一生を御奉公で最後迠それで終る事が出来れば人生としての大果報人と信じて毎日を重ねて居ります。
先は御礼旁々御返事迠
大宣寺
茨木日水拝
及川日在師
昭和四十五年十二月八日
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