時空を超えて、ようやく帰ってきた感じがします。
ブラジルに仏教を伝えた茨木日水上人。
日水上人は京都の人。
生後すぐお父さまが亡くなられ、お母さんのことを考えて、戸籍上は私生児と記されました。
それでも、お祖母さまに、お母さまに、愛され、育てられた。
特に、お祖母さまは、日扇聖人全集の中に2ヶ所お名前が出ているほど、開導聖人直々にご指導を受け、現証の御利益をいただかれた、筋金入りのご信者さまでした。
京都から伏見、大阪。
お祖母さまに連れられて、お参詣されていました。
日聞上人の佛立宗の僧侶らしいお姿に感激して、得度を決意されたといいます。
大津佛立寺の小野山日風上人をお師匠さまとして出家得度。
大津で修行をなさっていましたが、若気の至りでお寺を飛び出してしまいます。
何度目かの挫折。
小学校の時、東本願寺の大谷蛍なんとかという少年と机が隣同士だったといいます。
一つの机を分けるのですね。
試験の時、はみ出したらいけないというルールを作りました。
なんとなく、はみ出したら顔に墨を塗るというルールを決めたそうです。
最初に肘が出たと言われて、大谷くんに墨を塗られた。
口惜しかったのだと思いますが、今後は大谷くんが出た時、日水上人は硯を持ち上げて、中に入っていた墨を頭からかけてしまった。
すごいです。
これで大騒ぎとなり、日水上人は小学校を退学させられたのでした。
この大谷くんは、兄弟姉妹が多く、毎日馬車で本願寺から送り迎えがあり、学校の中にも一軒のお屋敷があり、その中には専属の女中さんもいたといいますから、あの大谷さんです。
一度目の、挫折は、この事件でしょうか。
そして、二度目は、本門佛立宗の僧侶となったのに、逃げ出したことでしょうか。
しかし、出た先で、佛立宗のご信者さんに出会う。
そこで、お折伏をされる。
早く、お寺に戻りなさい、と。
大津の佛立寺に戻るかと思いきや、東京浅草の清雄寺に行かれました。
清雄寺の日教上人やお師匠さま・日風上人は、お寺を飛び出した、不義理な、裏切りにも近い行為をした日水上人を、寛大なお心で受け入れてくださったのですね。
そして、そうして清雄寺にいる時に、ブラジルへの日本人移民を計画していた水野龍さんが日教上人を訪ねて来られた。
今度ブラジルに日本人が移民します。厳しい開拓生活に正しいご信心は必要です。この際、南米に仏教を広めるべきです。お弟子の一人を移民させませんか。
開導聖人から一天四海皆帰妙法の大願をお聞きになっていた日教上人は快諾します。
お弟子方を前にしてお聞きになった。
誰か、立候補者はいないかー。
誰もいない。
当然です。
そして、日教上人は言いました。
「現樹、行かんか」
現樹とは後の日水上人です。
現樹師は、きっと自分の生い立ちや、先年にお師匠さまを裏切り、日教上人に救われたことなどを思っておられたのだと思います。
すぐに応えました。
「私が行きましょう」
この瞬間、ブラジルに仏教を伝える人が決まった。
苦労に苦労を重ねて、仏教を南米ブラジルに伝える使命が下った。
タイムスリップ。
日水上人のご生涯。
「お世話になりました」という最期のメモまで。
ありがたいです。
歴史。
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