いつも以上に長文たい(汗)。
すんましぇんね(博多弁)。
世界の屋根、ヒマラヤ山脈。
山の山の、その向こう側に、しかしくっきりと浮かび上がっています。
ちょうど一年前は、白い雲に隠れていて、サムンドゥラデヴィに戻り、旭の法要を勤めた、たった1日、その日しか見えなかったのです。
しかし、今回はずっと、ずーっと、まるで神々が鎮座して見守っておられるかのように、毎日美しく勇壮な姿を見せてくれていました。
スンカニ村の頂に生まれた聖なる題目塔は、まるで虚空会上の法座ような場所にあります。
約70年ぶりのエクストリームスーパームーンが天空に昇り、この平和題目塔を、ヒマラヤの山々を、ネパールの渓谷を、そして私たちを、照らしてくれていました。
東の空が朝焼けに染まるのを見た時、西の空もスーパームーンによって紅く染まっているのを見ました。
そして、空には無数の星々が輝いて。
太陽は日天子、月は月天子、星々は明星天子。
すべて御題目を中心にいただく南無妙法蓮華経の曼荼羅に描かれた宇宙、世界です。
日本から西に向かう教務には伝えてきました。
法顕や玄奘三蔵は、西から東に仏法を伝えました。
『法顕伝(仏国記)』を読むと、その過酷な旅、孤独、覚悟が文面に溢れています。
西暦399年、今から1617年前、60才を超えていた法顕は仲間と共にインドを目指しました。
しかし、彼と共に長安を出発した仲間たちは旅の途中で次々に倒れたり、途中の町に留まったりしてゆきます。
セイロン(スリランカ)までたどり着いた時、法顕はたった一人になっていて、仏塔を見上げながら胸がこみ上げ、さめざめと泣いたと書かれています。
長安に帰り着いた彼は78才になっていました。
当時のインド、小乗仏教や大乗仏教の版図や分布を知る上で彼の著書は極めて貴重な文献ですが、そうした学術的な価値よりも、一人の志を抱いた仏弟子として、共感を抱き、学ばせていただくことが出来ます。
彼らの努力があってこそ。
果たして仏教は東へ東へと伝わり、日本の鎌倉期に入るとようやく全ての経々が整いました。
それまでは次から次に新しいお経が来日して、全ての経々を網羅した習学や判別が出来なかったのです。
簡単に言えば日本史の教科書で学ぶ「鎌倉新宗教」の動きとは、全ての経々がこの極東の日本に到達したこと、それによる教相判釈が可能になったことによる、と言えます。
一切経(大蔵経)を読破し、それぞれに仏陀の真意を求めることが出来るようになった鎌倉期ー。
それでも様々に見解が分かれ、分かれれば分かれるほど、なお仏陀の真意は隠れ、乱れてゆくかのようでした。
そこに登場したのが法華経に約束された本化上行菩薩のお生れ変り、日蓮聖人でした。
日蓮聖人ご自身、まさか自分が法華経の中に登場する上行菩薩の生まれ変わりとは思ってもおられませんでした。
しかし、ご自身の生涯に巻き起こる、あまりに符合する出来事を通して、ついにそれをご自覚されるに至るのでした。
振り返れば分かります。
釈迦、大日、阿弥陀、薬師、様々な「ホトケ」を比べるのではなく、仏教は仏教の創始者、釈迦牟尼仏陀をこそ敬うべきこと。
いつまでも、仏比べ、神さま比べをしているのではなく。
顕教から密教まで、膨大な、そして様々な経々が入り乱れる中、かといってそれらの経々を煩雑だと言って、閉じず、捨てず、一つも余すところなく仏陀のお経を拝見し、その中に説かれた教えをいただき、その上で最も仏陀の真意が説かれ、宗教的なエリートや素養に優れた者だけでなく、あらゆる人びと、一切の人びと、草木や鳥獣までをも救済する真理が説かれていることを、全ての経々の中から発見する。
発見した。
そのお経こそ『妙法蓮華経(法華経)』でした。
このお経は当然の如く小乗仏教ではありませんが、かといって大乗仏教の枠にも止まりませんでした。
そこには「小乗仏教」と蔑まれた自己中心的な人びとの由来や救済までが説かれてあります。
だからこそ「小乗」でも「大乗」でもなく「一乗(ただ一つの乗り物)」の教えと呼ばれます。
しかも、この法華経には、仏陀がご自身の滅後からはるかに時を経た「末法」という時代の人びとに向けて説かれた教えが明らかにされていました。
なぜか。
それは、その末法こそが、仏陀が仏陀たる根源的由来、ルーツ、シンプルで、エターナルな法と存在を明らかにするものだったからです。
だからこそ、法華経は、法華経の末法正意の御法門は、「最初から仏陀はこのことを説かれたかったのだ」という「仏陀の本懐を説いたお経」と言われるのでした。
この究極の法門は「本化仏教(プリモーディアル・ブディズム、本源的仏教)」であり、まさにパラレルワールド、繰り返しては繰り返す、宇宙と仏陀と衆生の生命が、サンサーラ(輪廻)してゆく世界観が貫かれていました。
はるか久遠(エターナル)にも仏陀がおられ、そこに同じく普遍の法が存在していたこと、久遠に私たちもいて、久遠においても同じ修行があったこと。
久遠からさらにさかのぼれば、繰り返し繰り返して、今があることに気づきます。
すべてを救済する、すべてを一つに帰結させる教えが法華経にあり、それを伝える久遠の仏陀の直弟子、本化の菩薩の筆頭、一番弟子が上行菩薩、日蓮聖人であること。
後世の私たちが日蓮聖人になったつもりで考えるといろいろな解釈も成り立つのですが、この久遠の本法は「直取り」=「直接手にすること」は出来ません。
ですから、最も斬新であるようで、最も根源的な仏教、シンプルで、誰にでも出来る修行、分かる修行、国も、言語も、文化も選ばぬ修行、法となる。
本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経ー。
いま、仏法は東へと渡り、本化上行菩薩の出現と南無妙法蓮華経の開顕によって、西へと帰ります。
その努力を、その努力の一分を、私たちがさせていただける有難さを感じています。
福岡に着いたっちゃん。
飛行機ん中で書いたけん、長くなったっちゃん。
光薫寺はすごくなっとったいねー。
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