古定師とは、京都の本山ではじめて会ったのですが、一年間同じ部屋で寄宿し、本当に助けられました。決して忘れることのない、内容の濃い一年間。特に、阿部信仰師、鈴江昭薫師、竹村堅裕師と古定清啓師と私は、真っ正面からぶつかり合い、ご弘通を固く誓い合いました。古定師は横浜でご奉公されていた時期もあったので、その頃は私も寂しくなかったように思います。いつも、ご弘通の話を聞いてくれる仲間がいるということは、ありがたいことです。
御教歌には「かたらはん 友こそなけれ我あほぐ みのりの道のなどてさみしき」とあります。信心が違う、感性が違う、情熱も危機感も夢も違う、見ている方向が全く違って、この尊いご信心のこと、ご弘通ご奉公のこと、御法さまからいただいた使命について、語り合えない、寂しいものだなぁ、という感慨をお述べになっておられます。やはり、孤独です。孤独は一番苦しいものです。そんな時、友は何より大切です。
私は、気づくと険しい顔になってしまっているようで、母からは「菩薩の誓いをしているのに、それでは駄目ですよ」と注意されます。気難しい、至らない。まして、今やらなければならないことやご弘通のことを思うと、自然と眉間にシワが寄ってしまうようです。そんな時はアクションが伴わない時ですが、喋ってどうなることもない、感性が違う、見ている方向が違うと思って、黙ってしまう。
友人、特に、本山で一緒に修行した友人たちと会うと、やはり堰を切ったようにお互いのご奉公について話が出来る。信心以外の話など、ほとんどしない。そこは、純粋に、ご奉公について語れる。また、注意を受けることもできます。それが、ありがたい。
年に一度すら会えない時があるので、今日だけはお許しをいただいて、清啓師の背中を見ながらお看経させていただきたい。お母様の帰寂にあたり、きっと様々なおはからいを感得していると信じていますし、ご弘通への決意を沸々と抱いていると思います。ご回向させていただきながら、古定にエールを送りたいです。
また、古定師がご奉公されている大垣の妙法寺にお参詣させていただき、ご宝前にご挨拶させていただけることも、ありがたい。さ、電車が着きました。
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